09




時間にして5分くらいだろうか。
なだらかな額、カーブを描く鼻筋、太い眉、二重がくっきりとした瞳。
横に結ばれた口元を観察し続ける。

そんなふうに無遠慮に目の前の親友をじっと見つめていれば、ついに居心地の悪そうな視線が投げられた。


「なに?」


頬が少し赤い。
太い眉も歪に波打っていて、困っているのか、迷惑そうなのかよくわからない表情がこちらに向いている。


「ううん。なんか多々良くん、かっこよくなったなって」
「はあ!?」


10分ほどの時間を残した昼休みの教室は、既に生徒が戻り始めていてそれなりに賑わっている。
そんな空間に多々良くんの絶叫が響いたものなので、一瞬にしてシンと静まりかえった上に、いくつもの視線がこちらに向いた。

私は左手でシー!とやって見せ、右手は上下に振って勢いよく立ち上がった多々良くんに着席を促す。
さっきは少しだけ赤かった頬が、完全に真っ赤に染まってしまった。


「き、急にそんなこと言うなよ…!」
「だってそう思ったんだもん」


正確には、頼もしくなった顔つき、と言えばよかっただろうか。
男らしい頼もしさと言うか、垢抜けた様子と言うか。
とにかく、そんな些細な変化を咄嗟に言語化するのは少しばかり難しくて、咄嗟に「かっこいい」と表した。
するとその「かっこいい」が案外馴染んでいて、強ち間違った表現でもなかったなと思った。

多々良くんがダンスと出会ってから、3ヶ月の月日が経った。

短いようで長いその期間のなかで、多々良くんはめきめきと成長している。
色んな選手に囲まれながら、刺激を受けながら、ようやく土から芽を出し始めたのだ。

目の前を走る背中が少しずつ遠くなっていくようで、応援したい気持ちの傍らにほんの少しの寂しさを感じているのも事実。
だけど、9年間の付き合いの中で多々良くんが何かに打ち込む姿は初めて見る。
寂しさなんて、全力で応援したい気持ちの前では完全に霞んでしまう。


「明後日だよね、大会」
「うん、そうだよ」
「明後日……あー、お仕事がなかったら応援に行けたのになぁ……」
「群馬だから少し遠いし、気持ちだけで嬉しいよ」


そう言って苦笑いした多々良くんの顔つきは、やっぱり以前よりも男らしさを増していた。

かっこいいなあ、と心の隅で思い浮かべながら再び多々良くんを観察すると、きりっとした眉が急にへなへなと下がっていく。


「……き、緊張してきた」
「え?明後日だよね?緊張するの早くない?」
「しっしかたないだろ!出場経験なんて、三笠宮杯の土壇場1回きりなんだし……」


確かに今まで人目を集めることとは無縁だった多々良くんからしてみれば、2日前───なんなら1週間前からでも緊張するのも無理はない。
顔面を青くして俯く多々良くんを見ていると、応援に駆けつけたい気持ちが増すばかりだった。

多々良くんとそんな会話をして、そんなもどかしい気持ちを抱いたのが3日前。

仕事に向かおうと家を出ようとしたところでこのみさんから着信があり、何かと思って出てみれば今日のお仕事がなくなったというお知らせだった。
相手都合のリスケなので、今日のスケジュールに思わぬ空白ができる。

時刻は10時を少し過ぎた頃。
私はこのみさんに一言断りを入れて、気づいたら群馬行きの電車へと飛び乗っていた。

土地勘のない場所だけど、多々良くんから試合会場を聞いていて助かった。

地図アプリを頼りに道なりに知らない街を突き進めば、電車の中で何度もストリートビューで確認した建物と同じものが目の前に現れる。
この中で試合を行っているのだろうか。
恐る恐る足を踏み入れれば、入り口の案内板に「天平杯」の文字を見つけて胸を撫で下ろす。

示された階まで上がれば、三笠宮杯ほどではないけど確かに広がる熱気が肌を刺激した。
外を歩いてきた体は冷気が残っていて程よい体感温度を保っているけど、あと数分もすれば暑くなりそうだと勘が言っている。
ダンスホールに続く扉の傍らで、もそもそとアウターを脱いで腕に抱え込んでおく。


「名前?」


背後から聞こえた自分の名前に振り向けば、まさかここにいるなんて思いもしなかった人───兵藤くんが立っていた。
腕に装着された松葉杖を見て、最後に見た彼の姿を思い出す。

兵藤くんは慣れた足取りで私の前まで近寄ると、その口元を少しだけ緩めた。


「まさかいるとは思ってなかった」
「兵藤くんこそ、なんでいるの?」
「俺?」


兵藤くんの長い睫毛が僅かにホールへと向けられたと同時に、マイクを通した声が兵藤くんのお母さん───マリサさんの名前を紡いだのが聞こえてくる。
マリサさんは特別審査員として、準決勝から天平杯に合流したらしい。
同じ音を拾った兵藤くんが「つーわけ」と付け足した。
今日リスケになった仕事とは、マリサさんとの打ち合わせだった。

なるほどこういうことだったのか、と思うと同時に、そこで私は心臓が嫌な音を鳴らしていることに気づく。

兵藤くんは、花岡さんが違う人と組んだことを知っているのだろうか。
もし知らずにいるのであれば、今日この場所で賀寿くんと踊る花岡さんを目撃することになる。
小笠原での仙石さんや多々良くんの様子を思い返せば、既にカップルを組んでいる人が他の人と踊ることにとてつもないタブーのような空気が漂っていた。

だからなんとなく、兵藤くんに見せてはいけないような気がしたのだ。


「行こうぜ」
「う、うん……」


兵藤くんは意外と頑固だ。
真っ当な理由がない以上は、あまり素直に言うことを聞いてくれない人だ。
最もらしい理由なんて今の私には思い浮かぶはずもなく、カツンと松葉杖をならしてホールへと吸い込まれていく兵藤くんの背中を追うことしかできなかった。

ホールの中は、さっきまでいた場所よりもずっと熱気が渦巻いていた。

高い天井。
大きな照明。
どこまでも反響する歓声と音楽。

対になって、くるくると回る鮮やかな色彩。


「───ディズニーだ」


豊かな黒髪を後ろに撫でつけた多々良くんを見つけて、無意識のうちにそんな言葉が漏れた。

なんてロマンチックなんだろう。

まったりとしていて、それでいてハッとさせられるような緩急に心が揺さぶられる。
その向かいで弓のように背中を反らすのは、きっと真子ちゃんだ。
控え目に私へ想いを綴ってくれた時の真子ちゃんとはまったく違う、そのあまりの美しさに上手く吸ができない。
カナリアイエローのドレスの波間から時折顔を覗かせる黒いスラックスが、多々良くんの存在感を引き立てていた。

多々良くんと真子ちゃんが大きく動くたびに、フィットニットの下で肌が粟立つのが判る。

手を取ってダンスを踊る王子様とお姫様。
どんなに手を伸ばしても届かない。
触れることさえ叶わない、別世界にいるような気持ちだった。

その場にただ呆然と立ち尽くしてホールの中央を凝視していると、真横から腕を捕まれて僅かに引っ張られる。
ようやく視界に流れる景色を情報としてとらえられるようになり、私は慌てて腕を引かれた方へと振り返った。


「───……泣いてんのか?」


両の目を少しだけ見開いた兵藤くんが放った言葉に、疑問符が飛ぶ。
腕に触れていた手が離れて、そのまま右頬に伸びてくる。
下瞼の上で動いた兵藤くんの指に、自分の目尻から零れる水滴に気づかされた。


「あ……ごめんね、なんでもないの」


小さなショルダーバッグに詰め込んだハンカチを取り出して、メイクが落ちないよう慎重に目の際を拭き取る。

どうして涙が零れたかなんて、私にも解らない。
強いて言えば、多々良くんと真子ちゃんのダンスに感銘を受けたのだろうか。
それとも、競技ダンスそのものに心を打たれたのか。
とにかく意図して流した涙ではなかったので、心配してくれた兵藤くんに頭を下げておく。


「とりあえず名前もこっち来い」
「あ、仙石さん」


兵藤くんの肩越しに見つけた仙石さんが珍しく動揺した表情を浮かべていたので、私はそれだけで何となく察してしまった。

兵藤くんに、花岡さんたちが見つかってしまったんだと。
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