06



「は…花岡、さん」


呼び止めた声が裏返り、カッと頬に熱が集中する。
それでも真っ直ぐ見つめた視線だけは逸らさなかった。


「なに?」
「ちょっとだけ……いい?」


怒っているのか、怒っていないのかすら判らない。
額から流れる汗を淡々と拭うだけで、今はどんな感情が心の内を占めているのかまったく読めない。
そんな表情をこちらに投げた花岡さんに向かって、怖ず怖ずと口を開く。

多々良くんと賀寿さんが対決をすることが決まってから、仙石さんは多々良組の特訓に付きっ切り───開始1時間もせずに2人を連れてスタジオを出て行ってしまったけど───で、残された賀寿さんと花岡さんも汗を飛ばしながら稽古に励んでいた。
そんな賀寿さんも数分前に帰路につき、今は花岡さんと2人きりの状態だった。
とは言ってもスタッフルームには環さんもいるし、番場さんや仁保さんだっている。
だから私はなるべく声を落として、花岡さんを誘った。


「いいよ」


それだけ短く答えた花岡さんは、帰る支度するから少しだけ待って、と言い残して更衣室へと姿を消した。

心臓がドキドキする。
スタジオには暖房が緩くかかっているのに、見る見るうちに手足の先が冷たくなっていく気がした。
花岡さんが出てくるまでに、どうやって切り出そうとか、どういう順序で話そうとか思考を巡らせる。

なんて言われるだろうか。
どういう反応をされるだろうか。

想像ができないからこそ、緊張感も高まっていく。

何度も頭の中でシミュレーションを重ねていると、カーディガンを羽織った花岡さんが入り口から「行こ」と声をかけてきた。
私は慌てて床から立ち上がってブルゾンを羽織る。
花岡さんが開けてくれていたドアを潜りながら「お邪魔しました」とスタジオ内に声をかければ、スタッフルームから環さんの間延びした声が聞こえてきた。

花岡さんの後ろに並んで階段をのぼり、すっかり暗くなった線路沿いを歩く。

少し寒い。
いつもならポケットに手を入れて歩いてしまうけど、今はそうするわけにもいかない。
肩をぎゅっと縮ませて、寒さを凌いだ。


「ここでいい?」
「うん、大丈夫」


辿り着いたのはこの間の公園とは別の公園で、今日の方がこじんまりとしていた。
ブランコがなかったので、年季の入った木製のベンチに2人並んで腰掛ける。
膝の上に紙袋を置けば、ずっと腕が当たっていたところが少し折れ曲がってしまっていた。

さて、どう切り出そうと練習していたっけ。

ゴールは謝ること。
───否、謝って仲直りをすることだ。

まずは稽古後に呼び出してごめんね、だろうか。
それともいきなり本題に入っても可笑しくないだろうか。

1人で悶々と頭を抱えていると、不意に花岡さんが立ち上がった気配がした。


「ちょっと寒いね。飲み物いる?」
「え、あ───ま、待って!」


私がグズグズしすぎたんだ。
私は何の考えもなしに花岡さんの袖を掴んで咄嗟に引き留める。
丸くなった花岡さんの大きな目が、こちらを見下ろしていた。

私は掴んだ袖をそのままに立ち上がり、花岡さんの腕に紙袋を突きつけた。


「───ごめんなさい」


渡された紙袋をじっと見下ろしたまま、唇は開かない。
すぐに許してもらえるとも思っていなかったので、無言は想定内だ。

ややあって、ハッとした様子で顔を上げた花岡さんが最初に紡いだ言葉は、私の謝罪に対する返事でもなく、怒りの感情でもなかった。


「これ、開けていい?」
「……うん、開けてほしい」


再度ベンチに座り直した花岡さんに続いて、私もベンチに腰を下ろす。

繊細な手が、紙袋の中身を解きにかかる。
するりと抜き取られるリボン。
ガサガサと開かれていくフィルム。

私の心臓の音が、加速する。
自分の膝を見つめて、久しぶりに自由になった両手を握った。


「───わあ……!」


色んな音が鳴り終わったところで、花岡さんの口から感嘆の声が漏れた。
怖々と顎を持ち上げれば、月明かりが申し訳程度に照らす暗がりでもはっきりと判るくらいに目を輝かせた花岡さんがいる。


「これ、くれるの?」


花岡さんはラッピングのなかから姿を現したそれを両手に持ち直し、勢いよく私の方へと顔を上げた。
眼鏡の奥で輝く瞳に向かって、こくんと頷く。


「カランコエって言うんだって。昨日の撮影の背景に使われてたんだけど、なんだか花岡さんみたいだなって思ったら贈りたくなっちゃって……」
「カランコエ……綺麗……」
「───あ!そ、それはちゃんと買ったやつだよ!スタジオにあったのは赤色だったんだけど、白色を見つけたらますます花岡さんみたいで…!」


花岡さんの手に収まった小さな植木鉢のなかで寄り集まった小振りの白い花びらたち。
多肉植物特有の分厚い葉っぱは、シルクのドレスみたいに波打っている。

植木鉢から零れるように咲くその花が、あまりにも綺麗で、見た瞬間に花岡さんの姿を思い浮かべていた。
きっと、フロアの花岡さんもこんなふうに咲き誇るんだろう。

ひとしきりカランコエを眺めた花岡さんは、申し訳なさそうな様子で首を傾げた。


「これ、ずっと持って待っててくれたんだ。重かったでしょ」
「う、ううん!そんなに大きくないサイズだし、平気」


花も渡せて、言いたかった謝罪の言葉も言えた。
例え花岡さんが今すぐ許す気にはなれなかったとしても。

急に心が軽くなった私は、花岡さんに気づかれないように大きく息を吐いた。
もう夜も遅いし、お互い早く帰った方がいい。
そう思ってそっと立ち上がれば、座ったままの花岡さんに名前を呼ばれた。


「私も言い過ぎた。ごめんなさい」
「え───」
「あの時言ったことは全部私の本音だし、それをなかったことにはしない。けど、名字さんを突き放すようなことを言ってしまったことは凄く後悔してるの」


座り直すことも、呼吸をすることも忘れて、私は花岡さんから目が離せなかった。
眼鏡の向こうで瞬きをするたびに、長い睫毛が揺れている。


「私、名字さんのこと勘違いしてたみたい。名字さんはモデルで、自分の体が商品だから、きっと清春の怪我を知れば止めてくれる人だと思ってた」
「…………」
「でも、名字さんは違った。自分の体のこと以上に、プロモデルとしての自覚が強いから……そして、それは清春も同じ。だから、怪我を知ってて出場させたんでしょ?」


驚きで言葉が出ない。
まさか、花岡さんがここまで私のことを観察していたなんて思いもよらなかった。

驚いたけど、それ以上に嬉しかった。

表面的なモデル・名前じゃなくて、ちゃんと本質的なところに目を向けてくれたのだ。
花岡さんからしてみれば、リーダーである兵藤くんの怪我を助長させるようなことをしてしまったただの部外者なのに。


「名字さん」


花岡さんの手が、私の指先に触れる。


「清春を理解してくれてありがとう」
「っ───」


目頭がぎゅっと熱くなって、花岡さんの顔が滲んだ。
繋いだ手が、安心するくらいに温かかった。


「本来なら私がやるべきことなんだろうけどさ。……私もまだまだ自分のことしか頭にないみたい」
「そ、そんな…!私こそ、花岡さんのこと何も考えてなかった……もし私が花岡さんの立場だったら、きっと同じことを思ってただろうから……」
「───ありがとう」


目を合わせて、笑い合う。

私たちは、きっと大丈夫だ。
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