05




マチの広い紙袋を胸の前に抱えながら、私は小笠原ダンススタジオの最後の階段で深呼吸を繰り返す。
微かにだけど、音楽が聞こえてくる。

仙石さんの背中にしがみつきながら、花岡さんに謝ろうと心に決めた夜。

あの時は何も考えずにそう決心したものの、喧嘩の経験が乏しかった私は、完全に仲直りの方法を掴み倦ねていた。

花岡さんは私じゃないし、私は花岡さんじゃない。
私が花岡さんの立場だったら───なんて、それほど頼りにならない想像はない。
そうした悩みを携えながら撮影に臨んだ矢先、思わぬきっかけ・・・・と出会ってしまった。

私はそのきっかけを腕に抱き、こうして小笠原まで訪れていた。

学校からここに来るまでの途中で寄り道をしたので、恐らく多々良くんは既に中にいるだろう。
大勢の目の前で謝るのも、花岡さんの選択肢を潰してしまうようで気が進まない。
となれば、花岡さんだけを上手く呼び出して伝えるのが最もベストだと思えた。

けれど、生憎私は花岡さんの連絡先を知らない。
レッスンがいつ終わるのかも判らないし、それまでスタジオの前にいるのもあからさまな待ち伏せのようでなんだか嫌だ。

こんなにも小笠原に入りづらいと思ったことはない。

どうしよう。


「あら名前ちゃん。どうしたの?入らないの?」


まさに天の助けだった。


「番場さん、仁保さん…!」
「なんだ、随分と大荷物だな」


私に抱えられた荷物を見て目を丸くする仁保さんに、適当な笑みを返しておく。
きっとこの2人は私と花岡さんのことを知らないだろうし、余計な気遣いをさせてしまうのも申し訳ない。

とにもかくにも、2人が現れてくれたことでスタジオに入る口実ができた。

私は扉に手をかけた仁保さんの裾を引っ張って、その動作を一旦止めさせる。


「あ、あの!私がスタジオの前にずっといたこと……誰にも言わないでください……」
「ああ?なん───」
「もちろんよ、名前ちゃん!そこで偶然会って私が連れてきたことにするから」


紙袋を一瞥して仁保さんを遮った番場さんは、何かを察したような声色でウインクを飛ばす───この瞬間、頼れるお姉さんとして番場さんに尊敬の念を抱かずにはいられなかった───。


わっと込み上げてくる感動を落ち着かせて、私は2人の後に続いてスタジオに足を踏み入れた。


「おお、名前も一緒か。そんなに小笠原ココが気に入ったか?」
「……ええ、まあ」


煮え切らない私の返答をどう受け取ったのか、番場さんが背後で「鈍い男」と小さくつぶやいたのが聞こえてくる。
もしかして、番場さんは私と花岡さんのことを知っているのだろうか。

仙石さんを眺めるままにスタジオのなかを一瞥すれば、既に多々良くんと真子ちゃん、賀寿さんと花岡さんが集まっていた。
目が合った真子ちゃんが勢いよくお辞儀をしてくれたので、その愛らしさにつられて零れた笑みをそのままに同じように軽く会釈をする。
多々良くんは緊張した面持ちのまま、手に持った紙を睨め付けている。

賀寿さんは「名前がいたら俺もやる気出るで!」と朗らかに笑っていて、先日の私の態度に罪悪感を覚えた。

花岡さんの方には、怖くて目を向けられなかった。


「そうそう、ガジュとしずくが組むことになった。ついでにこいつらも」
「年明けに公式戦エントリーするんで応援よろしくっす」


屈託のない笑みで、賀寿さんが宣言する。

カップルを組む組まないの話をしていたあの日、私は途中で退席してしまったから話の行方がどうなったのか知らなかった。
結局、結局花岡さんは賀寿さんとカップルを組むことになったたらしい。
あの時よりも花岡さんの気持ちも理解できる今、状況を受け止めた心の捉え方が少しだけ違ったような気がした───もちろん、複雑なことには変わりないけれど───。


「公式戦!?…って、エントリーしちゃ後に引けないぜ!元のパートナーはどうするよ!?」


慌てる仁保さんの様子に、自分が少しずつ蚊帳の外になっていくのが解る。
競技ダンスについてもっと知ろうと決めたところなのに、改めて、私にとって本当に右も左もわからない世界なんだと思い知らされる。

紙袋をぎゅっと抱きしめたところで、私の方へと振り返った番場さんと目が合った。


「ガジュくんとしずくちゃんはね、この2人で正式なカップル登録をしないと公式戦には出場できないの」
「カップル登録?」
「ガジュくんもしずくちゃんも、それぞれマコちゃんや兵藤くんとカップル登録しているわ。一体どうするつもりなのかしら……」


番場さんの声に、不安の色が滲む。
いつもは仁保さんや環さんと一緒になって何事も楽しむタイプだけど、だからこそ余程事態が深刻なものなのだと物語っていた。

仙石さんは、どうするつもりなんだろう。
そう思って顔を上げれば、多々良くんが賀寿さんに1枚の紙を突き出していた。
どうやら、多々良くんからの果たし状だったらしい。

鼻毛石天平さんという方の個人開催試合───天平杯。

叩き付けられた挑戦状を目にした賀寿さんは、内容を流し読みながら顔を顰める。


「さっさとデカい試合で初出場優勝デビューウィン飾らにゃいかん時にこんなお遊び……」
「だ、だから、この試合で僕らが勝ったらまこちゃんを認めて元の組に戻ってくれますか?」


賀寿さんは多々良くんの言葉を聞くや否や、挑戦状を床に投げ捨てて多々良くんに詰め寄った。
ここで見ていても後退しそうになるくらいの圧力が滲み出ている。


「しずくと組解消セパレートしろっつーんかい?」


思わずなるほど、と首が数度動いた。
非公式の試合であればカップル登録をする必要もないし、多々良くんと真子ちゃんが勝ってしまえば賀寿さんと花岡さんがカップル登録をする必要もなくなる。

仙石さんの手伝いもあるのかもしれないけど、多々良くんにしてはなかなか踏み切った挑戦だと思った。

真上から睨み付けられている当の本人は、賀寿さんからの問いかけに頷くでもなく、ましてや否定するわけでもなくぎこちない仕草で賀寿さんから視線を外していく。
私もあの距離で睨まれたら同じようにしてしまうと思う。

何も言葉を返さない多々良くんに痺れを切らしたのか、賀寿さんの鋭い眼差しが真子ちゃんを射抜いた。


「おいまこ。こいつと組んで俺に勝つ気なんか。カップルの勝ち負けは男選手リーダーの力量次第ってわかってんべな?」


語尾に疑問符はついているけど、あってないようなものだ。
賀寿さんの断定するような強い物言いに、眉を下げた真子ちゃんの顔が足下へと下がっていく。


「ウジウジむかつくわ!ちったつっかえ口言ってみぃ!!」
「ガジュさんは勝手だよ!まこちゃんって相方パートナーがいるのに!」


スタジオに響き渡った賀寿さんと多々良くんの怒声に、びくりと肩が震えた。
驚いたのは一瞬で、思考はすぐに別のことへとシフトする。

多々良くんが、怒った。
自分がいじめられても怒り返さなかったあの多々良くんが、人に大声を出している。
競技ダンスは、彼に良くも悪くも影響を与えているとは思っていたけど、まさかこんなにもその効果が出ているとは思ってもみなかった。

自己主張をあまりせず、どちらかと言うと誰かのために、誰かの影で。
そんな性格の多々良くんが、自分の意見を口にして年上相手に反論している。


「花岡さんは兵藤くんの相方パートナーなのに!ひっかきまわして……残された方はどうしたらいいのさ!?」


真子ちゃんを庇っている。
だけど、私にはそれだけには思えない言葉だった。

最初に賀寿さんが花岡さんを勧誘した時にも、多々良くんは精一杯反対の意思を示していた。

私は彼の姿から、焦りのようなものを感じ取っていた。


「天平杯は1次予選WワルTタン、2次予選FフォッQクイ、準決・決勝は4種総合WTFQだ」
「……ふぅん、仙石さんはたわしの味方なんすね」


今まで傍観を決めていた仙石さんの口が開いた途端、多々良くんの襟ぐりに伸びかけていた賀寿くんの腕が止まる。


「OK、スタンダード戦上等っすよ。ちょうどやりこんでくべえと思ってましたし」


多々良くんの果たし状を、賀寿さんが受け取った。

多々良くんが、試合に出る。
試合で、ライバルと戦うのだ。

カップルの存続がかかった、大事な戦いを。


「───まこ相手じゃ本気も出せなかったし」


扇動の色を含んだ賀寿さんの目が、多々良くんと真子ちゃんを見下ろしていた。
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