04



あの日から小笠原には行けていない。
単純に仕事のスケジュールの関係で時間がなかったということもあるけど、何よりも花岡さんと気まずいことになってしまったという理由の方が大きいのかもしれない。

仕事を終えて電車に乗り、降車駅の改札を通る。
この時間は学生や会社勤めの人が入り混じる時間帯だ。
家路を急ぐスーツの人に続いて駅舎を出れば、辺りはもうすっかり夜の色を浮かべていた。
もうすっかり秋の終わりの空気を纏った風が鼻を刺激して、厚手のカーディガンの袖口を押しつけた。


「───あ」


駅前ロータリーに停まる、大きなバイク。
そのバイクに跨がる人も大きくて、道行く人がチラチラと興味を示している。

紺色の世界で、明るい髪色が一際目立っていた。


「おお、来たか」


バイクの人───仙石さんは私の姿を見るなり快活に笑って、豪快な動作で私を手招く。

恐る恐る歩み寄りながら、私はその間に頭をフル回転させていた。
仙石さんと何か約束してたっけ?スケジュール漏れ?と何度も今週を行ったり来たりしてみたけど、どうにも仙石さんとの約束は思い出せない。

それもそのはず。
そもそも約束なんてしていないのだから、いくら記憶を辿ったところで今日の邂逅は予定にないものだった。


「もしかしてずっと待ってたんですか?」
「いや、このみちゃんから連絡もらって、大体こんくらいだろうなーってタイミング狙ってきた」


そう言いながら投げ寄こされたものを受け取れば、何の用でここにいたのかが解った。
ちらっと仙石さんへと視線を向けると、既に自分のヘルメットを装着している。
わざわざこのみさんに終わった時間を聞いて駅まで迎えに来るのには、何か理由があるのかもしれない。

私は前髪を両サイドに流してヘルメットを被り、サイドカーに乗り込もうと片足を上げた。
サイドカーに乗れる機会なんて早々ないので、私は密かに心を躍らせていた。



「そっちじゃないだろ」
「え?」


見上げると、なぜか仙石さんの親指が仙石さんの後ろを指していた。
せっかくのサイドカーなのに。





体が剥き出しのまま車と同じ速度で走るのは案外怖い。

私は絶対に振り落とされまいと仙石さんの体に腕を巻き付け、太ももでしっかりとバイクのシートを挟んだ。


「どこ行くんですか?」
「ドライブしようぜ。このみちゃん経由でちゃんと許可も取ってある」


ヘルメットに装着されたインカムを通して、仙石さんの弾んだ声が流れる。
すぐ目の前にいるのに、耳元から声が聞こえてくるのは何だか変な感じだ。

こうして自分から仙石さんにしがみつくこともなかったので知らなかったけど、やっぱり仙石さんは見た目通り厚みがあった。
信号待ちになればそのお腹が呼吸のリズムに合わせて膨らむのが解るけど、バイクが走り出せばたちまち逞しい支えになる。
時折香る、大人っぽい香水。

大人の男の人。

何をするにも保護者の許可が要らなくて、何でも好きなことができるしほしいものを何でも買える。

私も仙石さんと同じ年齢になる頃には、もっと色んな考え方ができるようになるんだろうか。
誰の目も怖くなくて、私がモデルであることに誰も酷い言葉はかけてこなくなるのだろうか。
私がこんなにも向こう見ずな癖に臆病なのは、私がまだまだ子どもだからなのだろうか。

大人になったら、自分の選択を受け入れられるのだろうか。

冷たい風とは違う別の何かで鼻の奥がツンと痛んで、私は無意識に仙石さんの大きな背中にヘルメットを押しつけた。


「ほれ、おつかれさん」


30分くらい走ったところで、ようやく振動が終わる。
仙石さんの手を借りてバイクから降りれば、遠くから磯の香りが漂ってくるのが判った。

街灯を頼りに道なりに少し歩くと、まるで絵本に出てくるサーカスのような光の群れが目の前に零れた。


「うわぁ……」


対岸の明かりを反映した東京港は何色ともつかない姿でそこにいて、カラフルな光の帯が何層も水面上に横たわっている。
ライトをたくさんつけた子ども部屋のカーテンみたいな橋が、少しだけ遠くに見える。
今にもそのカーテンが引かれて、賑やかな舞台が始まりそうだ。

潮風は冷たいはずなのに、私は時が止まったようにその夜景を目に焼きつけていた。


「どうだ、少しは元気になったか?」


そんな言葉とともに手が取られたかと思うと、ん、とその上に280mlのペットボトルが乗る。
いつもなら熱く感じるのに、ちょうどいい温度に感じるくらい手が冷えてしまっていたみたいで、私はすぐに両手でペットボトルを包み込んだ。

仙石さんは器用にも片手で缶コーヒーのプルタブを開けて、喉仏を数度上下させた。


「……ありがとうございます」
「その礼はどっちの意味だ?」
「こっちです。この紅茶好きなので」
「じゃあ心の曇り空はまだまだってとこか」


きっと仙石さんは、曇り空の理由を知っているに違いない。
あのこと・・・・について花岡さんが愚痴を零すようにも思えないし、かと言って私も小笠原で漏らした記憶はない。
むしろあの日以来小笠原には行っていないのだから、言えるような場面自体なかったんだけど。

もらった紅茶を飲もうとキャップを開けようとするも、手が滑って上手く開けられない。
見かねた仙石さんがお互いの飲み物を交換させて、パキッと音を立てながら簡単に蓋を開けてくれた。
もう一度、ありがとうございますと会釈する。
無防備になった飲み口から、私の好きな紅茶の香りが立ち上っている。


「ガジュはともかく、しずくのことはあんま悪く思わないでやってくれ」
「そんな……悪くは思ってません。ただ……」
「失望した、ぐらいか?」
「……まあ、そうですね」


仙石さんにはどこまでも見透かされてしまう。
付き合いの浅い私が、付き合いの長い花岡さんに対してネガティブな感情を抱くことだって、仙石さんからすればいい気分はしないだろうに。

そんな感情すら隠しきれなかったことに後ろめたさを覚えて、私は顔にかかる前髪を避ける振りをして顔を隠した。


「───多々良アイツに兵藤の替え玉をやらせたのは俺だ」


「え…」と声を漏らしたつもりだったけど、仙石さんの告白はあまりにも衝撃で、思ったほどの発声には至らなかった。

長い脚を動かした仙石さんは、近くのベンチに腰掛ける。
私は少しだけ躊躇った後、胸元で紅茶のペットボトルを握り締めながらその隣へと腰を下ろした。


「そうでもしないと、アイツは是が非でも試合に出ようとするからな。
 まあ、結果的にタンゴで戻ってきやがったが……下手してりゃ6ヶ月どころの話じゃなかったしな。んで兵藤のパートナーであるしずくには、替え玉のことも怪我のことも伏せて踊らすだけ踊らせて───今に至るっつーわけだ」


心臓を小槌で殴られたような気分だった。

仙石さんの激白が本当なら、花岡さんがああして怒るのも無理はない。

競技ダンスは1人で完成するものじゃない。
お互いの信頼のもと、お互いが心を通わせて成り立つものだ。
絶対的存在である花岡さんには、何も伝えられることはなかったのだと思うと、今更になって胸が痛んだ。

花岡さんが怒って、投げやりになって、本来のリーダーじゃない賀寿さんと踊ると言ってもしかたがないことのように思えた。
それなのに。


「……わ、私───」
「力尽くで兵藤を止めた俺が言うのもなんだが、兵藤の……お前の気持ちも理解はできる」
「…………」
「プライドを持って向き合ってるからこそ、な」


だが、武器からだを痛めつけるにはお前らはまだ若すぎる。


そう言って夜空を仰いだ仙石さんは、重たい溜息を一つ零す。

自分本意な感情を花岡さんに抱いてしまった罪悪感で、いっそこの空に吸い込まれたいと思った。
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