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小学生の頃から友達がたくさんいた。
中学に入学するとその数も自然と増えて、友達に恵まれた学校生活を送っていた。


「名前ちゃんって背が高いから羨ましいな」
「何着ても似合っちゃうもんね」


私は昔から背の高い女の子だった。

小学校の背の順ではいつもいちばん後ろで、毎日友達の後頭部を眺めていた。
だから、従姉このみさんからポートフォリオモデルに選ばれたことも、特に気にも留めず簡単に捉えていた。

端から端まで美容・ファッション家系だったこともあって、幼い頃から色んな服を着て、色んな髪型をして、メイクを習得したのも早かった。
好きな服を着るだけで踊りたくなったし、可愛い色が唇に乗っているだけで気持ちが高揚した。

自分の身長を活かしながら、大好きなおしゃれができることが楽しかった。


「この服かわいいね!」
「すごく綺麗な写真!」


そのうちECサイトの着用モデルをするようになって、私が被写体になった写真が友達の目に触れる機会も増えた。


「事務所に入るの!?」
「すごいじゃん!これでプロモデルだね!」


中学2年生の夏。
伯母が経営する小規模のモデル事務所に所属することが決まった。

雑誌デビューしたら他の子に自慢する、と友達は笑ってくれた。

秋。
プロモデルとしてデビューした。

初めての仕事はプチプラコスメの仕事だった。
アパレル商品も展開しているメーカーで、靴とメイクの両方を身につけた。

爪も整えて、メーカー側が設定したターゲット通りのメイクを施される。
靴を引き立てる服を身に纏い、髪もふんわりとセットされれば、中学生の私が一気に大人っぽくなった。

ドラッグストアの化粧品コーナーに飾られるだけのポスター。

それでも同世代からの反響は好感触で、私が初めてモデルを勤めた商品は総合的な人気を博すこととなった。


「アイツ調子乗ってね?」


忙しいスケジュールが漸く終わりを迎えた頃だった。

月曜日。
登校して初めに囁かれた陰口。

トゲのあるその言葉を放ったのは、私がデビューした時に自慢したいと言ってくれた友達だった。


"モデルの名前と同じ学校だけど、まじで加工乙って感じ"
"実物ぜんぜん可愛くないよな"
"モデル体型でもないのにプロとか痛すぎwプロモデルに謝れよw"
"いっそAVにでも行けよ。どうせ今の事務所も枕した結果だし"


机の中に入っていた数枚のA4用紙には、そんな言葉が並んだ掲示板がいくつもプリントされていた。
ネットの片隅で研がれた言葉は、思春期の私を傷付けるのには十分すぎるほどの効力を孕んでいた。

確かに私はプロのモデルになるのが夢だったというわけではない。
従姉のお仕事のためにモデルを引き受けて、それがきっかけでプロモデルになっただけのただの素人。

だけど、プロになってからは体調管理や食事には気を配ったつもりだ。
大好きだったお菓子もやめて、炭水化物だって抜いた。
毎日欠かさず運動もして、美容と体型の基礎を固めた。

真剣にお仕事をする企業や従姉に誠心誠意向き合いたくて、自分なりのけじめを示したつもりだった。

そんな努力すらも受け入れてもらえず、ネットや同級生はひたすら心ない言葉を投げつけてくる。

確かに骨格は恵まれている方だと自覚している。
けど、生まれ持ったものだけを活かすのは嫌だった。
だからそこに付加価値が生まれるように努力をしてきたのに、結局彼らの目にはデフォルトの私しか見えていない。

ご飯も喉を通らなくなって、何度も吐いた。
学校にも、行きたくなくなった。
朝起きて制服に触った瞬間、拒絶反応のように吐き気が込み上げてくる。
だけどここで学校に通うのをやめてしまったら、それこそ逃げたように思えて嫌だった。

重たい足を引きずって通学して、聞こえるように囁かれる言葉に涙を堪える日々。

楽しかったはずの学校が、私にとって地獄に変わってしまった。


「名字さん、大丈夫…?」


そんな時に声をかけてくれたのが、多々良くんだった。

小学校が同じだった多々良くんは特にいじめられやすい子で、小学生の頃は何度も多々良くんを助けていた。


「……大丈夫って返ってくると思って聞いてるなら───ひどいのね、富士田くんって」


もう私に話しかけないでほしい。
いっそ、そこにいない扱いを受けた方がマシだ。

多々良くんがそんな子じゃないことはよく解っていた。
解っていたけど、学校の子を信じられなくなっていた私は、冷たい言葉を容赦なく放ってしまった。

それなのに、多々良くんは私に声をかけ続けてくれた。


「名字さん、よかったら…一緒に学校、行こう」
「名字さん、い、一緒に帰らない?」
「名字さん、お昼…一緒に、食べよう」


クラスも違うのに、私の元にやって来ては息苦しい世界から連れ出してくれた。

知っていた。
小学校の校区は同じだけど、多々良くんの家は私の家の逆方向にあることくらい。
毎朝少し早く家を出て、わざわざ私を迎えに来てくれたのだ。
お家のことで大変なのに、下校する時も遠回りをして家まで送り届けてくれた。

クラスの───学年中の陰口に合わせることもせずに、多々良くんは私の味方でいてくれた。

そして、ある雨の日だった。

人気のない薄暗い廊下の片隅で、肩を並べてお昼ご飯を食べていた時。

多々良くんが零した一言に、私は声を殺して泣いた。


「モデルになった名字さんの方が、昔よりも輝いているように見える」


いくら心が傷ついても、自信だけは片時も忘れなかった。
堂々としていないモデルなんて、モデルではない。
モデルとしてのプロ意識を常に持ち、胸を張って商品の魅力を伝えられるモデルであり続ける努力だけは怠らなかった。

多々良くんには、それが伝わっていたのだ。

お弁当を片手に膝に顔を埋めて大泣きする私に、多々良くんは心底動揺していた。
今思い返すと、少し笑える光景だった。


「おはよう、名前ちゃん」
「おはよう、多々良くん」


その日を境にお互いの呼び方が変わり、私たちの関係がただの同級生から親友になった。
中学最後の年では同じクラスになって、クラス発表の時にはハイタッチをしたものだ。
次第に同級生も興味を失ったのか、引き潮のように私から離れていった。
不思議なことにそれと同じタイミングでネットへの書き込みもなくなって、多々良くん曰く「悪質なコメントはほとんど学校の人だったのかもね」。

それでも正直、まだ人を信じ切ることができない。
否───頼り方を忘れてしまった。

少しでも誰かに頼れば、ネットに書かれた言葉と同じようになってしまう気がして怖かった。
モデルとして、プロとして自立していないと思われることが怖かった。

だから小笠原ダンススタジオの皆さんにも一線を引いてしまっていたし、競技ダンスの世界に足を踏み入れることも仕事の一環だと冷めた捉え方をしてしまっていた。

そんな時に迎えた三笠宮杯での出来事は、私に大きな衝撃を残していった。

プロとして、1人のダンサーとして、怪我をしていても試合に出ることを強く望んだ兵藤くん。
そんな兵藤くんが、懇願してきたのだ。
たった短い付き合いのなかで、私を見通したかのような物言いで。

彼の言ったことがすべて真実だったせいで、あの日の救護室で見た兵藤くんを引き留めることができなかった。

だって、気持ちがわかるから。
彼がボールルームに懸ける想いを。

私がモデルという仕事に懸ける想いは、どうしようもなく彼のそれと同じだった。
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