11



いつの間にか咲く花壇の花みたいだと思った。

なんと言う名前だったか。
真っ白な花びらで、中心部分が黄色いあの花。


「───あ……名前です」


ああそうだ、カモミールだ。
花の季節は通り過ぎ、先日植え付けをしたばかりの花。
それによく似ていると思った。

はっきりとした目。
なだらかな筋の細い鼻。
程よく膨らみを持った唇。
高い背丈と、それを証明する姿勢の良さ。

何となく見覚えのあるようなもどかしさに支配されかけたところで、小笠原のスタジオ内が脳に浮かぶ。
たまきさんや仙石さんがやけに気に入っていたあのポスターの女だ。

こいつはモデルだ、と記憶が一致する。

服を着ていてもわかる体型は、確かにダンサーにしては全体的な筋肉が少なく、何もしていない中学3年生と比べればしっかりしている。

名前と名乗った女は俺を凝視していたが、不思議と嫌な気はしなかった。
長い睫毛が上下に動くたびに、宝石のような瞳が俺の体───姿勢を分解するみたいに辿っていくのが面白かった。

母さんはビジネスパートナーと紹介していた。
中長期の仕事が入りそうだと言っていたのはこのことだったのかと納得する。

可哀想に。

会っていきなりダンサーの姿勢を要望されるなんて。
少しでもダンスを囓っていれば話はまた違ったかもしれないが、恐らくそいつはダンスのダの字も知らない素人だ。
そんなやつがあの・・兵藤マリサに気に入られるなんて、俺からしてみれば運の尽きと言っても過言ではない。

それでもそいつは真っ直ぐに母さんを見つめて、やると断言した。
母さんは何でも白黒はっきりさせたがる。
そういう性格だからこそ、きっと彼女のその言葉にも射抜かれただろう。

今思えば、俺もあの時一緒に仕留められていたのかもしれない。

次に彼女と会ったのは2日後で、小笠原の前で慣れない動作でホールドの構えを見せていた。
その構えはリーダーの構えだ。
恐らく、少し先で浮かれたワルツらしきダンスを踊っているヤツの真似をしたんだろう。
母さんからの課題だもんな。

俺も小笠原に行く予定だったし、通りがかった船だ。

そいつの背中にぴったりと寄り添い、上げる腕と下げる腕の向きを変えてやる。
一度だけ肩が跳ねたが、ホールドを教えてやるとそいつは面白いくらいに静かになった。
体中の神経をフル稼働させて型を覚えているようだ。
そのあまりの真剣さは、ダンスを始めるのかと冗談で訊ねてしまったくらいだ。

スタジオに入ってからも、そいつは真剣に俺たち───否、しずくを目で追っていた。
時折体を動かしては、筋肉の使い方や姿勢を真似しているようだった。

助けてやりたいところだが、三笠宮杯を控えている俺たちに寄り道をする暇はない。

だから、自ら彼女に手を差し伸べなかったと言うのに。

仙石さんが彼女に助言をする様子を見て、なぜか胸の中に暗い靄が広がった。
彼女の体に腕が回る。
仙石さんの肩越しに、そいつの顔が見える。
妙にムカつく角度だ。

そして仙石さんの余計な一言が聞こえてきて、振り返って見ればそいつが怒りながらスタジオを出て行く後ろ姿が見えた。
母さんとのプロジェクトに必要な資料にあいつの3サイズが書いてあったが、絶対に仙石さんには教えてやらない。

少しだけ清々しい気分になった。


「怪我、そんなにひどくないみたいで安心した」


細い膝の上で、黄色い箱が僅かに揺れる。
快気祝いの焼き菓子だと言っていた。


「兵藤くんと花岡さんの試合見られなかったな」
「引退するわけじゃねぇからまた見られるだろ」
「そっか、楽しみはとっておかないとだね」


連日の練習で膝に負荷をかけ続けた結果、三笠宮杯は悲惨だった。

ど素人の富士田アイツが俺に成りすまして試合に出てるわ、おまけに膝にテーピングをしているところを目撃されるわ。
おかげで仙石さんにも膝の故障がバレてしまい、挙げ句の果てに規則違反で6ヶ月の出場停止処分まで食らうことになった。

俺はあの試合で勝たなければいけなかったのに、たったの2次予選で倒れてしまった。

しばらくダンスは踊れない。

そこら辺の話を───恐らく母親伝手で───聞きつけたこいつが、病室を訪ねてきて今に至る。

今日のそいつは三笠宮杯で見た時よりもシンプルで、だんだんどっちが本当の姿なのか判らなくなってくる。


「兵藤くんが救急車で運ばれたって聞いて心臓が止まるかと思った」
「みんな大袈裟なんだよ」
「そんなことないよ。現に入院までしてるのは誰?それぐらいのことなの」


白い頬が膨らむ。
よく変わる表情だ。

荷物を詰め込んだボストンバッグをベッドの上に置けば、私が持つと言い出した。


「いいよこれくらい、腕が折れたわけじゃねぇし」
「でも松葉杖つくでしょ?荷物が邪魔になっちゃう」


車椅子を押してあげるのでもいいんだよ?と言われてしまえば、俺はそいつにバッグを渡すほかない。
そのことに満足したそいつはどや顔で鼻を鳴らし、ボストンバッグに腕を通した。
変なヤツ、と首を傾げておく。


「いつも車で行ってたから、駅からお家まで案内してほしいな」
「いや、寄りたいところがある」
「今日は安静にするようにって看護師さんも言ってたでしょ!?」


頼りないくらいに小さな手が、俺の上着を掴んだ。
こいつも自分を曲げないタイプの人間だった。

富士田アイツの家に行きたいとだけ告げれば、色々と事情を察したのか押し黙ってくれたので安堵の息を吐く。


「……お仕事あるから、送るだけになっちゃうけど」
「いい。助かる」
「無茶だけはしないでね」
「しない。……と思う」
「何するつもり?」


本当に忙しいやつだ。

しずくはどちらかと言えば、見ててわかりやすい感情と表に出さない感情がある。
一方、隣を歩くこいつと言えばその感情が手に取るように読めた。
出会ってまだ間もない俺に、容易く表情を変えるのだ。

今もこうして、気が気でないと言わんばかりの顔色で俺を横目でちらちらと伺っている。

三笠宮杯の時にこいつが───名前が言ってくれた言葉が、嬉しかった。

仙石さんはワザと富士田アイツに替え玉をさせた。
"出場停止6ヶ月"という公の建前を俺に着せるために。

出場停止にさえなっちまえば、俺が踊らなくて済むから、と。

相方パートナーのしずくに話していれば、きっと似たようなことを言われたに違いない。

棄権しよう。
出場しないで。

───クソ食らえだ。

俺が兵藤マリサの息子である以上、踊り続けなければならない。
実力でライバルをねじ伏せ、証明する必要がある。

兵藤マリサの息子とは違う。

兵藤清春・・・・であるべきなんだ。


「兵藤くん、行こう」


そいつは突然、俺の世界に入り込んできた。
ノックの音すら聞こえず、いつの間にかそこに立っていたのだ。

鍵をかけ忘れたのか、それとも、俺が無意識に招き入れたのか。

俺を立ち上がらせた手は、あまりにも小さくて頼りなく、優しい温もりだった。

そうだ。
こいつもプロだ。
誰よりも自分に期待し、自分に厳しいやつなのだ。

初めて拠り所を見つけたような気分だった。
同い年の、同じプロ。

自分自身の証明を、渇望している同志。
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -