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兵藤くんが見当たらないという話を聞いたのは、ロティのブースのお手伝いも終盤に差し掛かった頃だった。


「名前ちゃん、兵藤くん見なかった?」


順調にロティのマネキンをやって、声をかけてくれた何人かと話をした40分間。
残すところ10分という時に、息を切らした環さんが雪崩れ込むように訪ねてきた。


「え?兵藤くんいないんですか?」
「そうなの!もうすぐで2次予選始まっちゃうのに、どこ行っちゃったのかしら…」


スタンダードの2次予選は確か12:20スタートだったはずだ。
開始まで30分もないのに、燕尾服もそのままで行方知れずだなんて。

兵藤くんの行きそうな所に心当たりがあるわけでもない。
私は彼のことをあまりにも知らなさすぎる。
かと言って「そうなんですね」だけで済ませられるほど淡泊な人間ではないし、むしろ試合の結果云々よりも姿が見えないという事実が不安でしかたがなかった。


「あの、このみさん……」
「さっき環さんから聞いた。兵藤くんだよね。インタビューの流れは?」
「覚えてます」
「……じゃあ45分までね」
「ありがとうございます!」


ブースのお手伝いが終わると同時にスタッフさんに挨拶をして、私は急ぎ足でその場を後にした。

2次予選まで後20分。
出場選手が廊下に連なっていたので、その中から兵藤くんを探してみるもやっぱり見つからなかった。
トイレに入るわけにもいかないし、完全に行き詰まっている。

何の成果もなく時間だけがいたずらに過ぎてしまい、もう2次予選まで時間がない。
気持ちだけが焦るようだった。


「すみませんが後はよろしくお願いします!」


どうしようかと立ち止まった時、1つの黒いシルエットが真横を駆け抜けていった。
振り返って目で追ってみれば、燕尾服を纏った大柄な男性のシルエットが遠ざかっていく。
次いで彼の出てきた場所へと視線を戻すと、救護室と書かれたプレートがやけに目についた。

何の根拠も確信もないけど、なんとなく、足が動く。


「───兵藤くん!」
「……あ」


見つけた。

簡易ベッドの上に腰掛けた兵藤くんと、目が合った。


「なんでここにっ…」


小走りで彼の傍らに歩み寄り、その場に膝をついて兵藤くんを見上げる。
兵藤くんの被っている帽子が裏表逆だなんて、今はそんなことどうでもよかった。

彼が見つかったことと、見つけた場所が救護室だったことに別の不安が込み上げてくる。

兵藤くんの手が、左膝を覆うように動いたのが見えた。


「足、痛いの?怪我、したの…?」
「…………」
「兵藤くん……」


救護室の壁に掛けられた時計は、無情にも12時21分を示していた。

2次予選は、とっくに始まっている。

所謂故障・・なのか、それとも怪我・・なのか。
それによって、兵藤くんをフロアへ連れて行くことを躊躇してしまう。


「……ちょっと前から、少しずつ痛みが増えてきた」
「え……」
「けど膝に負担はかかるもんだし、それに……今日も落としたくねぇ」


ぞくり、と皮膚の表面が一斉に粟立つ。
背筋を駆け上るなにかは首筋を通過して、後頭部の辺りで体に溶け込んでいった。

兵藤くんのぎらついた瞳を見ていると、ダンサーでもない私がなぜだか気負けしてしまいそうになる。


「───お前さ」


不意に、兵藤くんの左手が膝から離れて、私の右手を掬い上げる。
導かれるままに辿り着いた先は、テーピングが巻かれた兵藤くんの左膝だった。


「仕事に一生懸命だろ」


膝の上に手を乗せられて、その上から彼の熱い手がしっかりと包み込んでくる。


「たった1件の仕事のために専門外のホールドまで練習して、体型維持とか減量とか」
「…………」
「聞いたぞ。こだわりのシルエットを出すために無茶なダイエットもしたって」
「っ、誰から…」
「それすらも厭わないほど、お前は真剣に仕事と向き合ってる。本気なんだろ」


俺も同じなんだよ。


小さく吐き出されたその言葉に、胸がぎゅっと締め付けられるような気がした。

私は今、私が恥ずかしくて堪らない。

「仕事だから」を免罪符にして、競技ダンス彼らと心から向き合おうとしていなかった。
いつも親身になって寄り添ってくれた環さんや、アドバイスをしてくれた仙石さん。
私を買ってくれたマリサさんだってそうだ。
「ファンだ」と、「頑張れ」と言ってくれた袴田さんや蔵内さんも。

膝が痛くてしかたがないはずなのに、それでも出場を渇望する兵藤くんだって。

こんなにも本気でダンスにぶつかっている彼らと関わっている癖に、私は自ら壁を作っていた。
上澄みだけを掬わせてもらって、一体私は何を返せていたんだろう。

鼻の奥がツンと痛くなり、私は咄嗟に真下を向く。
瞼を閉じて、涙の気配をやり過ごす。


「何でお前が泣くんだよ」
「……泣いてない」
「泣きそうだろ。泣くなよ」


僅かに笑みを含めた兵藤くんの声が、優しく耳朶を撫でていく。


「───ひゃあ!」
「あ、悪い」
「なんでそんなとこ撫でたの!?」


右手から離れた兵藤くんの手がうなじに触れ、思わず上擦った声が溢れた。
そのことを恥ずかしく思いながらおずおずと顔を上げれば、しれっとした様子で「髪纏めてて撫でられるとこなかったから」と告げられた。

だからと言ってうなじを選ぶあたり、やっぱり兵藤くんは少しズレている。


「……ありがとう」


それでも、彼の優しさが嬉しかった。


「兵藤くん、行こう」


床についていた膝を伸ばして立ち上がった私は、まだベッドに座ったままの兵藤くんに手を差し出す。
弱まることを知らない闘志の炎が、私をゆっくりを見上げていた。


「私は応援する。兵藤くんを応援するよ」
「…………」
「お仕事があるから試合までは見届けられないけど、応援してるから」


伸ばした手に兵藤くんのそれが重ねられて、もう一本の手も添えながら立ち上がる動作を手伝う。
救護室のスタッフさんに嘘を織り交ぜた説明をして、2人してアリーナへと向かった。

歓声と音楽が漏れ聞こえていて、その盛り上がりがよく判る。

このみさんと約束した時間まで残り僅かだったので、私は兵藤くんに「じゃあ」と声をかけた。


「私、行くね。頑張ってね」


ファイト!と両手で握り拳を作って、インタビュー会場へと踵を返した。

───ところで、右腕を捕まれて足が止まる。


「頑張ってこい、名前」


目元を和らげた兵藤くんが、静かに頷く。

無意識のうちに呼吸を止めてしまっていた私は、自分の時間が動き出すのと同時にハッと瞬きを一つ。


「───うん!」


やっぱり、この言葉が好きだと思った。
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