09




相手の人は私の衝突程度ではビクともせず、むしろそれに弾かれた私が勢いよく跳ね返ってしまう。
たたらを踏んだと同時に二の腕が大きな手のひらに包まれたおかげで、格好悪く地面に尻餅をつくということは免れた。


「っと、スイマセン」
「あ、ありがとうございま…す……」


随分と見上げた気がする。

仙石さんよりも、少しだけ低い位置にある三白眼気味の鋭い眼差し。
僅かに開いた口から覗く逞しい犬歯。
体のラインを示す衣裳───兵藤くんが着ていたものと似ているので、恐らくラテンの衣裳だ───からはがっしりとした逞しい筋肉が浮かび上がっている。
私の知る男性のダンサーのなかで言えば、仙石さんに最も近い気がした。

仙石さんと背格好が似ていたこともあって、その人の影にもう1人別の男性がいることにようやく気がついた。
細身ではあるものの、その人の背もまた高いこと。


「歩き出す時はきちんと周りを確認しないと、袴田さん」
「そうだね。大丈夫ですか?」


細身の男性から"袴田さん"と呼ばれた人に顔を覗き込まれ、咄嗟に四度頷いて「大丈夫です」と言葉を紡いだ。


「あれ……もしかしてロティの名前さんですか?」
「え?あのカタログの?」


袴田さんに続いて、細身の男性の顔も視界に入ってくる。
そこで初めて気がついたけど、なんて綺麗な顔をしている人なんだろう。
目を細めたくなるくらいに白い肌と、左目の下で2つ連なったほくろが魅力的だ。

じっとこちらを見下ろす4つの目に向かって、今度は一度だけ、ゆっくりと頷いた。


「やっぱり!俺、ファンなんすよ」
「そうだったんですか?初耳ですが」
「そうだっけ。ポスターの印象が強すぎてビューティーモデルかと思ってたけど、実はパーツモデルもファッションモデルも1人でやってたとかオールラウンダーですごいなぁって」
「確かにロティのカタログではすべてのモデルが名前さんでしたね」
「ロティはまだまだ駆け出しで専属モデルも私しかいないので」
「それでですか。二人三脚という感じがして良いですね」


心臓が速くなって、頬が熱くなる。

ファンだと言ってくれる人から直接褒められたのは初めてだ。
マリサさんから褒められた時とは、また違った感覚。

心の底から嬉しかった。

ロティの知名度は半々だとこのみさんが言っていた。
ブランド自体がそれくらいなのであれば、モデルである私自身の知名度や認知度はもっと下がる。

そんななかで私がロティのモデルだと気づいてくれた人が更衣室にも複数名いたことと、ファンだと言ってくれる人が目の前にいることが嬉しくて、口角がくすぐったくなった。

私はきっと、この瞬間の喜びは一生忘れないと思う。

ありがとうございます、とお辞儀をすると、袴田さんが「そのー…」と言いにくそうに口を開いた。


「ダメ元でお願いするんですけど、一緒に写真とか難しいですか」
「えっと……SNSとかへの公開はNGなんですけど、それでも大丈夫でしたら」


「よっしゃー!」と響き渡るほどの大声が上がった。

私の友人として・・・・・・・撮影する分には特に咎められることはない。
このみさんも黙認してくれている。
SNSの部分に関しては性善説になってしまうけど、面と向かってファンだと言ってくれたこの人に対して、何かお返しがしたかったのかもしれない。

袴田さんから携帯を預かって、私が撮影ボタンを押す係りを買って出る。
せっかくだからとお連れの方───蔵内さんも一緒にフレームに入り、3人で写真を撮った。
ヒールを履いたことで170以上の背丈にはなっていたけど、それでも2人の身長には程遠くて少しだけ屈ませてしまったのが申し訳なかった。


「ありがとうございました。ファンですって言ってもらえたの初めてだったので、すごく嬉しかったです」
「まじで…すか」
「話しにくいですよね?敬語じゃなくて大丈夫ですよ。袴田さんの方が年上だと思うので」
「……女性に年齢を訊ねるのは大変失礼なのですが、名前さんは今?」
「中3です」


今度は驚愕の絶叫が2つ分、展示ブースに反響した。

聞けばお二人は現在高校2年生で、私より2つ上のお兄さんだった。
私のことは19歳くらいの大学生だと思っていたらしく、まだ義務教育中の少女だとはこれっぽっちも思っていなかったらしい。
その際に蔵内さんが「とても大人っぽい方だったので」と絶妙なタイミングでフォローを入れてくれたおかげで、老けて見えるのかと気落ちすることはなかった。


「じゃあ俺が名前ちゃん公認のファン第1号ってことで……袴田天獄。よろしくね」
「僕は蔵内一創と申します。ミーハーな言動は失礼にあたりますし、僕自身みっともない気がしますので、今はファン2号を名乗るのはやめておきますね」
「次に会えた時は100号かもよ」
「構いませんよ。それだけ名前さんにファンが増えたということですし」


2人の会話はテンポがよくて、その仲の良さが初対面の私にも伝わってくる。

袴田天獄さんと蔵内一創さん。
本当に袴田さんの言うとおり、ファン第1号だ。

まさか自分にファンができる日が来るとは思ってもいなかったので、なんだかすごく特別な気がした。


「袴田さんと蔵内さんも試合に出られるんですよね」
「うん、俺はスタンダードとラテン」
「僕はスタンダードだけですが、この後の1次予選に出場しますよ」


かっちりとした燕尾服。
黒のスラックスは2人の脚の長さを引き立たせていて、シルエットだけでも洗練された雰囲気を漂わせている。


「頑張ってくださいね」


2人を見上げて、心からエールを贈る。
無責任な言葉だと言う人もいるけど、私はこの言葉が何よりも力を与えてくれると信じている。

袴田さんはパッと表情を明るくさせて、その逞しい犬歯を覗かせた。


「名前ちゃんも頑張ってね」


そう言って会場の奥へと踵を返した2人の背中は、静かに、だけど確実に闘志を纏っていた。

棚引く後ろ裾を見えたなくなるまで見送ったところで、私はロティのブースへと歩き出した。

2人と会話した、たった数分の間にも増え続けた観戦客。
これだけ大きな会場なのだから、観に来る人の数も膨らむに決まっている。

あんなにも大勢の目の前で、袴田さんや蔵内さんは戦うんだ。
もちろん、兵藤くんと花岡さんも。

スチールモデルの私は、基本的にスタッフの視線しか感じることがない。
野外ロケの時でさえも、有名なモデルさんならまだしも、私のような素人モデルでは立ち止まって見物する人もいない。
大衆の目に晒されるのは、出来上がった、完成された姿だけ。
ショーモデルと違ってランウェイに出る機会もないので、みんなの目の前で失敗することもなければ、見せ方を間違えることもない。

だけど、今日ここにいる人たちは違う。

練習の成果をフロアにぶつけて、生々しいほどの熱を届ける。
それに魅せられた観客は沸き、審査員が優劣を決める。

一発勝負。


「じゃあ名前、ブース立とうか」


私の一発勝負は、これだ。


「こんにちは、ロゼ・ティコです!」


最後にかけられた言葉が、こんなにも私の背中を押してくれるなんて。
よく「ファンのエールはすごい」と聞くけど、私は身をもってそれを体験してしまった。
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