05




今日の多々良くんはやけに上機嫌だ。
それこそ、背中に羽が生えているみたいに。
授業中もずっとソワソワしていたし、終礼中もスクール鞄を握り締めて今か今かと足を揺らしていた。

思わずその背中を引き留めてしまった際にも、用事があるなら早く話して、と言いたげな眼差しで振り返られたので思わず苦笑いが零れた。

1分1秒でも早く踊りたいと顔中に書き殴った多々良くんを呼び止め、私も追加のカタログを渡す用事があるからと一緒にスタジオに向かうことになった。

小笠原ダンススタジオに向かう道中でくるくると回る多々良くんを見ていると、昨日観戦したダンスの試合が余程楽しかったのだということは想像に容易い。


「僕は変わらなきゃ」


多々良くんが切実な思いを吐き出したあの日、彼は夜通し踊り続けたと仙石さんから聞かされた。
それも、ちゃんとした振り付けがあるものではなく、筋トレと言っても過言ではない単調な動きを一晩中ずっと。
足の裏の皮が酷く剥けるまで。

もともとは多々良くんが気安く言い放った「仙石さんのようなプロになりたい」という発言に怒った仙石さんが根性試しでやらせたことだったらしいけど、まさか本当にやり切ってしまうなんて。

そんな多々良くんに仙石さんが根負けして、以来、多々良くんは小笠原ダンススタジオでダンスを習っているらしい。

とは言っても、指導をするのは仙石さんや環さんではなくて、指導者歴初心者マークのスタッフだと言っていた。
私はてっきり仙石さんが指導者に就いたのだとばかり思っていたので、その話を多々良くんから聞いたときは拍子抜けしてしまった。

すっかり小笠原ダンススタジオの常連となった多々良くんは、昨日、仙石さん達に試合に連れて行ってもらったらしい。
その試合には多々良くん憧れの人───まさか花岡さんのことだとは予想もしていなかった───も出ていたようで、初めて生で見る花岡さんのダンスに浮き足立っているようだった。


「それは何て言うダンス?」
「なんだっけ、ワルツだったかな」
「ワルツ!ディズニーとかで見るやつだ」


多々良くんのダンスが上達すれば、あんな風にロマンチックなダンスを踊れるようになるのだろうか。
同級生の女の子とすら話しているところを見たことがないので、本人には失礼だけどなかなか想像が難しかった。


「…………」


スタジオの入り口付近で、ダンスの構えを取る多々良くんの後ろ姿を眺める。
頭の中で再生されたのは、土曜日にマリサさんに言われた言葉だった。


「撮影までにダンサーの姿勢・・・・・・・と同じに調整できるかしら?」


ボーッとスタジオを眺める多々良くんの死角に立って、背筋を伸ばす。
左腕を伸ばして右腕を曲げれば、二の腕にピリピリと痛みが走った。

どうやって物にするべきか。
レッスン料を支払って、小笠原ダンススタジオの皆さん教えを請うのも1つの手かもしれない。
多々良くんに続いて入会してしまおうか。

そんなことを悶々と考えていると、突然背後から伸びてきた長い腕に体を包まれた。


「!?」
「それはリーダーのホールド。パートナーはこう」


背中にぴったりとくっつく気配。
耳の縁を撫でた吐息に、思わず肩が跳ねる。

ごつごつとした手の平に操られて、腕の構えが変わった。
右腕が伸びて左腕が曲がった状態になったものの、つらさは先程と何も違わない。
むしろ筋肉の緊張が増したような気がして、僅かに腕が震えた。


「ダンス、始めるのか?」


どこかで聞き覚えのある声だということに気づき、そのままの体勢でそっと後ろを振り返る。
こめかみに相手の顎が当たっていたので、振り向く勢いを間違えると大変なことになるだろうと思ってのことだ。


「やっぱり兵藤くん!」


私の構えを指摘したのは、マリサさんの息子さんの兵藤くんだった。
まだ半袖でもちょうどいい気温なのに、見慣れないブレザーをしっかり着込んでいる───シャツのボタン掛け違えている気がする───。

兵藤くんは私と視線が合うと軽く会釈をして、そのままそっと体を離した。


「マリサさんと約束したの」
「うん、聞いた。あんたなら大丈夫だと思うけど」
「ほんと?兵藤くんに言ってもらえると自信出るな」


マリサさんと約束を交わしたその日の夜、マリサさん以外に、兵藤くんについても少しだけ調べさせてもらった。

マリサさんの1人息子、兵藤清春くん。
中学3年生で既にアマチュア団体の日本ダンススポーツ連盟のグランプリを制覇している実力者。
そして私が個人的にいちばん驚いたことは、兵藤くんのパートナーが花岡さん───そう、多々良くんの憧れの人だということ。

ダンスのことはよく解らないけど、なんとなく、彼を形容する文章や表現でかなりすごい人なのだということは理解できた。
そんな兵藤くんの「大丈夫」は相当な力を孕んでいて、私は根拠のない自信に震えそうになった。


「て言うかアレ、あんたの知り合い?」


アレ、と投げられた兵藤くんの視線を辿れば、まだダンススタジオの入り口に立ち尽くして動かない多々良くんがいた。
窓の方を凝視しているあたり、花岡さんの姿でも見つけたのだろうか。
何を思い出しているのか、なんだかその後ろ姿がふにゃふにゃしているような気がする。


「もしかしてスタジオに降りる?」
「……まあ」


短くそう放たれた肯定の言葉を聞いて、私は弾かれたように多々良くんに駆け寄った。


「多々良くん、そこ邪魔になってる」
「え?あっすみません───」


ぐいぐいと腕を引っ張って入り口の道を譲れば、後ろからついて来た兵藤くんがそのまま私たちの横を追い抜いていく。

サイズの大きなローファーの爪先が階段に差し掛かる直前、ハッとした様子で多々良くんが勢いよく頭を持ち上げた。


「ひょう───」
「兵藤くん!?」


私と多々良くんの声が重なる。
そのどちらも、ダンススタジオに繋がる階段の下へと吸い込まれていった。

兵藤くんが、階段から落ちた。


「だ、大丈夫!?」


彼は体が資本のダンサーでもあるし、そもそも階段から落ちること自体危険だ。
階段に散らばる教科書や筆記用具、鞄を飛び越えて、ほとんど階下まで落下した兵藤くんを慌てて追いかける。

上体だけ起き上がった状態でぼーっとしている兵藤くんの傍に膝をついて、怪我の具合を確かめる。
顔を少し擦り剥いているけど、それ以外は特に大丈夫そうだ。
いきなり目の前で階段から落ちていったものだから、自分の胸に手を当てると心臓が早鐘を打っていた。
何もなくてよかった。

その後兵藤くんは、物音と私の声を聞きつけてスタジオから顔を出した仙石さんにレスキューされた。


「例の大型プロジェクト決まったんだ!よかったわね、名前ちゃん」


追加のカタログを受け取るや否や、環さんの優しい手が私の手をぎゅっと握る。


「これでこのみちゃんも安眠できるんじゃない?」
「え?もしかして漏らしてました?」
「最後に来てくれた時にな、バッチリ。不眠症になりそうっつって」
「うわあ、お客さんのところで…すみませんでした」


お客さんの前で弱音を吐くなんて!
それくらいこのみさんが小笠原ダンススタジオの皆さんを信頼しているのかもしれないけど、私は眉を顰めずにはいられなかった。

なぜか仙石さんに怒られる多々良くんを横目に、環さんに両手を取られながらぺこりと頭を下げれば、やーねーと明るい声が降りかかる。


「そんなこと気にしなくていいのよ。小笠原ダンススタジオわたしたちとロティの仲じゃない」


と、環さんや番場さん、仁保さんはうんうんと頷いてくれたけど、私はその言葉に甘えることができなかった。
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