彼は、誰よりも目立つ人だった。

使い古された表現を用いれば、頭脳明晰、容姿端麗。
そしてそこに拍車をかけるのは、社交的な紳士である事と、洗練された統率力だろう。
ちょっとやそっとの真似事で身に付く様なものではないそれは、彼が生まれ以て、もしくはこれまでの人生のなかで培われてきた結晶だ。

そんな万物とも言えるものを備えた彼の事を知らない生徒は、この学校においては一人もいない。

だって、目立つ人だから。

そんな彼が―――水沼君が太陽だとすれば、私や他の生徒達はさながら草や花。
太陽の日差しを浴びて成長をする様に、学校が抱える問題事なんて露知らず、ただ水沼君に守られて生活をする。
それでも水沼君は率先して学校にとって明るい道を示し、大人達すらも巻き込んで歩んでいくのだ。
大半は私情を挟んで動く事の方が多いけれど、どちらにせよ、彼の持ち得る影響力には目を見張るものがある。

ジャンヌ・ダルク。

なんとなく、彼の後姿に外国の英雄が重なった。

ジャンヌ・ダルクこと水沼くんにも、不思議な事はたくさんある。
その中でも取り立てて首を傾げてしまう事と言えば、私が水沼くんとお付き合いをしている事だ。
何故、彼の様な優秀で見目麗しい人が、お花畑の中の一輪にしか過ぎない私を選んだのだろう。

私が水沼君に対して抱く恭敬からくる好意が恋愛感情に昇華するよりも先に、水沼君からその内に秘めていた想いを告げられた。

そしてよく解らないままにお付き合いが始まって、今に至る。
決して流されたわけではないけれど、慎重に考えたかと言えばそれは嘘になるだろう。
碌に人を好きになった事がない私にとって、彼の手を取る事は遠くの国へと飛び立つに近しい程の賭けだった様に思う。


「俺を支えて欲しい。
 ―――名字、好きだ」


あの日、夕日が差し込む教室で言われた言葉は、恐らく一生忘れられない言葉となって私の中に住み続けるだろう。

流行りの少女漫画で読んだ憧れの告白に、水沼君らしい一言が添えられていた。
そんな余裕はどこから?と思う隙もなく、次第に体中の血液が沸騰したみたいに内側からじわじわと熱が広がり、手足の先がジンと疼いた。

私の"好き"が水沼君に追いついたのも、きっとその時からだろう。

そのせいで余計に負い目を感じてしまう瞬間がある。

殊更何かに秀でているわけでもなければ、容姿だって普通の女子生徒なのに。
そんな普通の女子生徒が、学校中の尊敬の的である水沼君に選ばれて、その上私の想いは後からついて来たと言っても過言ではないものだ。

だから、思い切って訊ねてみた。


「水沼君は…どうして、私の事が好きだったの?」


刷り終えたばかりのカルチェラタンに落ちていた双眸が、ゆっくりと私の顔を捉える。
感情が一切読めないそれに、思わず、今しがた零したばかりの言葉を吸い込んでしまいたくなった。
気を抜くと、歯が鳴って舌を噛んでしまいそうだ。

吹き抜けた風にカーテンが揺れて、少しの埃っぽさに紛れた水沼君の柔らかな香りが鼻腔を擽る。


「―――名字は、俺が理由もなければ人を好きになる様な男には見えない?」
「そう、じゃなくて…なんで、私だったのかなって、思って…」


開口一番に図星を突かれ、思わず声が裏返る。
上手く誤魔化せただろうか。
決して彼をその様な人だと思っていたわけではないが、自分の疑問を紐解いていけば、そういう事になってしまう事に漸く気付き、思わず膝の上でスカートを握り締めた。

あまり納得していない声色で相槌を一つ返してくれた水沼君は、ややあって、何でもない様なそれで簡潔に告げた。


「最初は、笑った顔が可愛いとか、そんな単純な事がきっかけだった気がする。
 けど、今は言葉で表現が出来ないくらいに名字の全部が好きで、俺が最初に言った通り、名字に支えられて今の俺がいる」


ああ、この笑い方は初めて見る。

耳元で鳴る音は、風の音なのだろうか、それとも髪が揺れる音なのだろうか。


「―――今の…」
「俺一人じゃ、何も出来やしないさ。
 そこに名字がいてくれて、初めて俺は水沼史郎になれる」


そう言って、水沼君は緩く口角を上げて眼鏡の奥の目を細めた。

思わず空気を呑んでしまった。
彼の、慈しむ様なその表情に息が詰まる。
それと同時に、そんな表情が向けられているのが自分である事への喜びが、爪先から少しずつ這い上がってきた。

ただの花でも、そこに咲く意味はきちんとあったらしい。

太陽がいつまでも太陽でいられるように、そして、思わず目止めてしまいそうになるくらいに咲き誇るべきか。
もう、後ろめるのも負い目を感じるのもやめにしよう。

意を決意した私は、カルチェラタンに触れる水沼君の手に自らの手を伸ばした。


「私は、水沼君を支えたい。
 だって―――水沼君の事が、好きだから」


まだ一度も口にした事のなかった彼への想いを、教室に漂う夕方の風に乗せた。







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