急に慌てた様子を見せた由美子ちゃんに首を傾げた瞬間、わたしのお盆からみかんが消えた。


「おまえ食うの遅ぇなあ」


からかうように言われた言葉に視線をあげると、わたしの冷凍みかんを手にしたクラスの親分こと大野くんがいた。


「これもらってくぜ」
「ちょっと…」


教室の入り口で待っていた杉山くんと食べるのだろうか。
行くぜ杉山!と元気に走り去った大野くんの左手には、わたしの冷凍みかん。

何も言わずにただその光景を眺めていたわたしに代わって、由美子ちゃんが抗議の声をあげようとしたけれど、それは無意味に2人の後を追っただけだった。


「ほんと、あの2人ってばひどいわ!
 名前ちゃん、わたしのみかん半分あげるからね」
「ほんと?由美子ちゃん、ありがとう」


給食のみかんにそこまでの思い入れはないのだけれど、由美子ちゃんが半分くれると言ってくれたのでありがたくいただくことにする。

由美子ちゃんは優しいから大好き。
女の子のぜんぶを集めてぎゅっとしたみたいなのに、間違ったことには勇敢にも立ち向かっていく強い女の子。
一緒にいてとても楽しいと思えるお友達。

それに比べて大野くんと杉山くんは、少し―――と言うかだいぶ俺様なところがあって、ちょっとだけ苦手だったりする。

特に大野くんは「女子なんてどうでもいい」と普段から言っているので、余計に怖い。
別に何か怖いことを言われたりされているわけでもないけれど、なんとなく勝手なイメージで近寄りがたく感じていた。
あ、されていると言えばされているのかな。

由美子ちゃんからもらった冷凍みかんも食べ終え、給食が終われば今日の残りも少ない。

あっと言う間に終わりの会を迎えて、お楽しみの放課後に突入した。


「うーたを歌うならー、ぼくらにーまかせろー」


お馴染みの歌を由美子ちゃんと口ずさみながらお家までの道を辿る。

いつもの分かれ道に着いた瞬間、わたしは頼まれていたおつかいを思い出して足を止めた。


「じゃあね、由美子ちゃん」
「あれ、名前ちゃんおつかい?」
「そうなの。すっかり忘れちゃってた」
「そっかあ、お人形さんごっこしようと思ってたけど、じゃあ今日はバイバイだね」


残念そうにする由美子ちゃんに謝って、わたしはいつもとは違う道へとつま先を向ける。
背後から聞こえた「ばっははーい」という声に、わたしも振り返って同じ言葉を返した。

めったに来ることのない道は、あまり人気がなくてどこか心を不安にさせた。


「…道、おぼえてるかな」


込み上げる不安や恐怖心を和らげるために1人で文句を言ってみるけれど、こだまのようにわたしの声を響かせるその場所ではよけいに寂しくなるだけだった。

諦めてさっさと用事をすませてしまおう。

そう思い、通りの角を曲がったとたん、目の前に茶色いかたまりが飛び出してきた。
闘争心を剥き出しにして、鋭くとがったキバの間からは雨のように涎が滴っている。


「の、のらいぬ…!」


その犬の首に、立派な首輪がはめられていたら。
さらにはその首輪にはリードがついていて、そのリードも人の手がしっかりと握っていたら、わたしもそこまで怯えたりはしなかったに違いない。

恐怖に足が竦んで動けなくなってしまったわたしに、自由を持て余した野良犬は今にも飛びかからんとする体勢を作った。


「っ…こないで!」


わたしが悲鳴をあげるのと、犬の前足が地面を蹴るのはほぼ同時だった。

とっさにしゃがみ込んで目を伏せたけれど、いつまでたっても犬の気配を近くに感じない。
ただ、うなり声をだけは確かに聞こえてくる。

恐る恐る開けた目に真っ先に飛び込んできたのは、1時間もたたないほど前に見た青色のシャツだった。


「失せろよ」


聞き慣れたその声に、かたまっていた体が少しずつほぐれていくのがわかる。


「失せろっつってんだよ!」


ひときわ大きな声が響くと、さっきまで勢いのあった野良犬が瞬く間にその場から立ち去った。

わたしはただ呆然と、その一連のできごとを眺めることしかできなかった。


「大丈夫かよ」
「お…おおの、くん…」


わたしをかばうように、大野くんが目の前に立っていた。

大野くんはちらちらとわたしの手足に目を配った後、溜息をつくようにすとんと肩をおろした。


「このへん、凶暴な野良犬がいるっていうウワサ知らねぇのか?」
「お家、こっちじゃないから…知らなかった…」
「なるほどな」


大野くんのお家はこのへんなのだろうか。
なんてことをぼんやりと思いながら、大野くんの登場をいまだに夢心地のように感じた。

大野くんは野良犬が走って行った方を一瞬振り返ってから、しゃがみ込んだままのわたしの腕を引っ張る。
もたもたとしながらも、なんとか立ち上がることができた。


「買い物か」
「うん、知り合いのお店におつかい」
「どこ?」
「八百屋さん…えっと、高橋青果」
「よし」


それだけ言うと、大野くんはわたしの腕を一度だけ引っ張って歩き出してしまった。
今は離れた腕を見つめながら、大野くんの伝えようとしたことを必死で解読する。

たぶん、ついてこい。

わたしは小走りで大野くんに追いついて、少し後ろについて歩いた。

学校でもあまり話すことのない大野くん。
言葉を交わすときは、大抵大野くんがわたしにイジワルをするときくらい。
だから、こんなときにすらすらと会話ができるはずもなく、当然わたしたちの間には沈黙がただよった。

けれど、その静かな空気がきらいではなかった。

「よし」通りにお店へと連れて行ってくれた大野くんは、その後、わたしのお家にまで送り届けてくれた。
わたしのお家に着く頃にはすっかり夕焼けが空を覆っていて、お家に電話するかとたずねても、大野くんは「じゃあな」とだけ残して帰って行った。

夕焼けに伸びた長い影と、頼もしく見えたその背中が見えなくなるまで、わたしはお家の前から少しも動くことができなかった。

その日からわたしのなかで、大野くんはイジワルなだけじゃない、わたしにとってのヒーローになった。







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