春の気候に踊る磯の香りと、時折聞こえてくるのはカモメの歌声。
空の青さはカモメの白をはっきりと引き立たせ、港で遊ぶさざ波は海のにおいをかき混ぜている。

決して大きい村というわけではない。
小さな小さな市場があって、その市場のそばに本屋さんが一つ、服屋さんも一つ、民家に併設されたこぢんまりとした病院が一つ。
島民はみな顔見知りで、子供が生まれれば島で育てるような狭いコロニー。

主産業の農業や酪農で成り立っているような、特に取り立てることもない平々凡々な島だ。

そんな村に、一艘の船が水平線の向こうからやって来た。

この島に船が寄りつくことなんて、年に一度あるかないかくらいだろう。
船と言えば仕入れや交渉目的で島民の船が出て行く一方であり、島から船が確認できるのもその船が戻ってきた時くらいだ。

極めて珍しい"お客さん"に、当然村の人たちはざわめきたっていた。


海賊船だ。


誰かの怯えた声が、少しずつ姿を大きくする船―――海賊船に対する恐怖を認識させ、触発させた。

町を出歩いていた者は建物の中に飛び込み、身を隠しながら窓の外の様子を覗う。
活き活きとしていた市場は静まりかえり、それこそ、海賊に襲われた村のような静けさだけが広がっていた。

村が恐怖に包まれている一方、私は家の裏にある小屋で平和にもヤギとウシの世話をしていた。
子ヤギに服の裾を引っ張られながら、パン屋さんに卸すための乳を樽に移し替える。
村の騒ぎなんて、一つも耳に入ってこなかった。

汗と泥と動物のにおいに包まれた体を石けんで綺麗に洗い流して、着替える服も作業服ではない、数あるお気に入りのうちの1つのワンピースだ。
村の人は気にしないのにと言ってくれているけれど、食品を扱うお店にあのにおいはつれては行けないし、何よりも女としての自分が許さない。

さっぱりと綺麗になった全身に、なんだか心も軽くなる。

動物たちに留守番を頼み、乳が並々と入った樽が2つばかり並ぶ荷車を引きながら市場を目指した。

季節が明確になっている偉大なる航路グランドラインのなかでも珍しく、この島の季節は定まっていない。
四季というものが順に巡っているのだ。
長い冬を終えた今は、朗らかな春のベールが島中に漂っている。

そんな陽気にあてられたのか、暇になると頭の中に思い浮かぶのは「恋をしたい」という情念。

悲しいことに、島のなかの限られた同年代組に異性は1人もいなかった。
1番歳の近い異性で、上は30―――それも、すでに所帯がある―――、下は14歳とあまりにも極端な振り幅なのだ
この島の人口を考えると、歳の近い人間は著しく貴重だった。

私も今年で20になった。

祖父が生きていた頃、一度だけ島を出て他の島で好い人を見つけたことがある。
別の島で結婚相手を見つける方法がこの島では常なので、私が島を出るのもおかしな話ではなかった。

数人の人と恋をして、そして最後に出会った人とそのまま結婚するのかと信じてやまなかったけれど、唯一の肉親だった祖父の訃報が舞い込み、遺された家業を継ぐことになった際に別れることとなった。
そんな仕事なんてしたくない、と言ったのだ。
あまり綺麗な別れではなかったことを思い出しては重い溜息が出る。

貴重な同年代がどんどん嫁ぎ先を見つけていくなか、自分は毎日動物の世話に明け暮れている。
自ら選んだ道とは言え、時折、無性に寂しくなる。


「当分はあの子たちが恋人だね」


小屋でお留守番をしているであろう動物たちを思い浮かべて、苦笑いを一つ。

そして、歩みが止まった。


「……あれ?」


おかしい。
市場が閉まるにはまだ早い時間だと言うのに、人が一人もいない。
それに、屋台も出しっ放しだ。
こんなにも中途半端な市場は見たことがない。

集会でも行っているのだろうか。

そう思い荷車を引こうとしたところで、体が途端に言うことを聞かなくなってしまった。


「お前、この島のモンか?」


どこから現れたのか。
気配どころか足跡一つさえ立てずに、一人の男が道を塞ぐように背後に立っていた。
その見知らぬ男は、ドレッドヘアを揺らしながらこちらに距離を詰めてくる。

全身を飾るギラギラとした装飾に、風に踊る真っ白な羽織。
鍛えられた筋肉を申し訳程度に隠すメッシュの服。
その肌は日に焼け、常日頃から日差しに晒されているのだということが窺える。

そんな見てくれの人物を怪しい者だと決定付けたのは、その男の背後に聳える黒旗を靡かせた船―――海賊船だった。


「あ……」
「まァそう怯えんなよかわい子ちゃん。こんなちっぽけな島、潰したところで労力の無駄だからな。
 ちィっとばかし物資をいただくだけだぜ」


ドレッド男はニヤニヤとした表情で市場全体を見渡し、小馬鹿にしたようにその肩を竦める。
男の肩越しに見えた市場では、彼の手下であろう海賊たちが市場の屋台から食料や金品を運び出していた。

私は荷車をそのままに、勢いよく振り返り来た道を駆け抜けた。

村が静かだった理由はこれだったのか。
海賊船が上陸したから、みんな隠れていたんだ。

足と体力には自信がある方だったけれど、男を撒くよりも早く、腕を掴まれてしまう。
「終わった」そんな一文が、脳裏を過ぎる。


「ちょいちょい待てよ。だから何もしねェって言ってるだろ」
「うそ!海賊の何もしないは何かする!」
「随分疑われてんのな」


まァ、海賊だしな。


そう言って一人納得した様子の男の力は強く、掴まれた腕は振り解けそうにもない。

生まれてこのかた一度も海賊を見たことはなかったけれど、海賊はつまるところの大犯罪者だ。
人を平気で殺して、金目のものを強奪し、好き勝手に乱暴を働く無頼漢。
そんな男に触られていると思うと、男の手の平が触れる手首を中心に鳥肌が立ちそうだ。

なんとか捕縛から逃げ出そうと藻掻いていると、ふと男の真剣な顔付きが私の目を覗き込んできた。
思わず体が強ばり、背筋が伸びる。
気が変わって、やっぱり殺すなんて言われれば堪ったものではない。

顎に手を当ててこちらを見据えてくる男に、心の中で命乞いを続ける。
口に出すのはなんだか癪だった。


「お前―――…マジで可愛いな。容姿は俺様のタイプどんぴしゃ」
「……はい?」


思いがけない言葉に、肩から一気に力が抜ける。
今までの人生でこれほどまでに脱力したことがあっただろうか。

突然何を言い出すのかと思えば、目の前の男は私の頭のてっぺんからつま先までじろじろと見下ろし、その口元に朗らかな笑みを浮かべている。
あ、近くで見たらかっこいいかも…なんて邪念が浮かびそうになり、慌ててかぶりを振った。


「俺はバウンティー海賊団のプライズ。
 お前の名前を教えてくれ」
「え?えっと…名前、です」
「名前…いい名だ、名前」


しまった!海賊に名前を教えてしまった!

恭しく手を握り、紳士よろしくスマートに自己紹介の流れに運んだ彼―――プライズ、さんの目は本気だ。
私は、本気で狙われている。

粗暴な見た目とは裏腹に、女性の扱いには細心の注意を払っているのか、乱暴にされたのは腕を掴まれた最初の一度きりだ。

プライズさんの長い指が私の顔の輪郭をなぞったせいで、その指先につられるように間抜けにも唇が薄らと開いてしまった。


「名前、お前のことがもっと知りたい」
「う、うそっ」
「嘘じゃねェよ―――そうだな、お前が最近嫉妬をしたエピソードを聞かせてくれ」


知りたいと思っている女性に対して、最初に聞くことが嫉妬エピソードとは、この人は一体女性に何を求めているのだろうか。
そんな疑問が尽きることなく浮かび上がる。
それでもプライズさんの期待に満ちた眼差しとぶつかれば、何か言わなければ、と過去の記憶を漁らずにはいられなかった。


「えっと…かわいがってる子ヤギが、どんなにかわいがっても最後は私じゃなくてお母さんヤギを選ぶこと…?」
「可愛い嫉妬だな」


なんだかものすごく馬鹿にされたような気がする。
顔中に熱がカッと集まり、顔を持ち上げてプライズさんを睨み付けた。
けれど見上げた先のプライズさんは馬鹿にした様子なんて少しもなく、今度は違う意味で顔が熱くなった。

プライズさんは他にも聞きたいことがあるのか、他には?と別のエピソードを催促してくる。
あまり普段から嫉妬という感情に苛まれたことのない私は、先ほどのエピソードでもじゅうぶんに頭を捻った方なのだ。
これ以上、プライズさんが望んでいそうな内容なんて出てきそうにない。

そこまで思ったところで、ごちゃごちゃと絡まり合っていた記憶が解け、ある一点に真っ直ぐに矢が突き刺さった。


「―――みんなが、どんどん結婚していく」
「…ほう」
「私も、結婚なんて贅沢なことは言わないから…恋がしたい」


一緒に育った同年代の友達が、次々と島を出て行く光景が蘇る。
夫に嫁いできてもらった子も1人だけいるけれど、その子はその子で生まれ育ったこの島で幸せな家庭を築いている。
出て行った3人は、時々便りを寄越して夫婦生活は順調だと教えてくれる。

そんな話を聞く度に、胸の奥がぎゅっと締め付けられるような思いだった。

羨ましい。

そんな感情が、どす黒い渦となって私の周りをぐるぐる渦巻いている。


「見事なまでに嫉妬の炎が燃え上がってるな」
「…見えるんですか?」
「いやいや、物の例えだって」


何を言うんだこの人は、と怪訝な眼差しで見つめてみれば、何でもない様子で軽く手を振られた。

それでも、プライズさんの顔付きが先程よりも機嫌が良さそうなのはなぜだろう。


「俺様がその嫉妬の炎を消してやるよ」
「えっ―――」


拒むよりも素早く、指先に触れたプライズさんの、唇。

なぜか、嫌だと感じなかった。
初対面の、それも海賊相手に触れられて、なぜ嫌悪感が湧いてこないのだろう。

呆然とプライズさんの瞳を見つめていると、今までにないくらい顔が熱く感じた。
熱すぎて、逆上せそうだ。


「俺様は海を渡る海賊だからな、一緒に住んでやることはできないが」
「結構です」
「つれねェな。
 ―――ま、そのうち俺様を恋しく思う日がくるぜ」


そう言って、気障ったらしくウインクを1つ。

それからバウンティー海賊団は、本当に島の人は襲わずに立ち去っていった。
食料などはごっそりと持って行かれたけれど、何事も命あっての物種。
もとより自給自足の生活が安定して成り立っていたこの島では、バウンティー海賊団の施しは大した被害には至らなかった。

プライズさん。
突然やってきた海賊は、私に謎めいた言葉を残していった。

あれ以来、私の家に時折手紙が届くようになった。
差出人はいつも決まって"P"。
甘いメッセージが綴られた手紙には、いつもお花やアクセサリー。


"名前が恋しい"


何通目かになるメッセージカードの内容には、そう綴られていた。
がさつで、男らしい癖字を眺めていると「私もです」なんて感想が浮かんできたものだから驚きだ。

嵐のようにやって来て、嵐のように去って行った彼。

さすが海賊と言うべきか、プライズさんは私の心をしっかりと盗んでいったようだ。


"また会いに行く"


心なしか明るく見える文章を目で追い、まだ見ぬその日に心を躍らせた。

海賊と遠距離恋愛なんて、おかしな話だと天国の祖父は呆れるだろうか。







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