モビーディック号の日常。
照り付ける日差しに肌を焦がしながら、自身の背丈より少しばかり高い竿に白い塊を投げては広げ投げては広げの単調な動作を繰り返す。
竿目掛けて勢いをつけるたびに、顎から滴った汗が木目の床にシミを広げた。
モビーディック号は乗組員の数が半端ではない。
毎日行う洗濯物の作業量もそれに比例して半端ではないが、それよりも、週に一度待ち受けるシーツの洗濯物の方がよっぽど骨が折れる。
普段なら洗濯から物干しまで全て船内の洗濯部屋で済ますのだが、先日の敵襲の影響で負傷者の数が激増。
医務室どころか船中のシーツというシーツが血に塗れてしまい、洗濯部屋では事足りない程に今週分の作業が膨れ上がったというわけだ。
天気も雲一つない快晴だったので、少々窮屈にはなるが、洗濯部屋に収まりきらなかったシーツは甲板で干すこととなった。
運悪くも今週の洗濯当番の1人にあたってしまった名前は、首の後ろにじんわりと走り出す気怠さに溜息を吐きながら、丸まったシーツを物干し竿に投げつける。
このタイミングで洗濯当番にあたったことも合わせて、洗濯籠から絡まり合ったシーツを取り出す際に指の爪先が少し剥がれるわで何かと散々だ。
いつもなら洗濯物から香る匂いに胸が踊っているところだが、今日ばかりはその香りでさえ忌ま忌ましさを覚えた。
纏めきれなかった後れ毛が、首筋にぴたりと張り付いている。
明日は筋肉痛だろうなと漸く肩の力が抜けたのは、全てのシーツを干し終えたその2時間後だった。
最初の方に干したシーツは、この炎天下で既に乾き始めているのかヒラヒラと風に舞っている。
小さいものや薄いシーツに関しては、あと1時間もすればすっかり取り込めそうだ。
シーツが靡いているということは、風が吹いているということだ。
少しでも涼を取り込もうと、名前はシーツがふわりと踊るその間に身を滑り込ませ、石鹸の香りを乗せた風に体を冷やす。
この日差しの強さの前では大した涼しさではないが、今の火照りきった名前にとってないよりは遙かに良かった。
「…シャワー浴びたい」
潮風に吹かれながら、名前はその心地良さに目を瞑る。
波の音が、よく聞こえるようだった。
「サボりだって怒られちゃうかな…」
「名前」
「わ!?」
突如かけられた声に、思わず体が跳ねる。
瞠目しながら振り返れば、シーツの合間からオレンジ色のテンガロンハットが覗き、次いでそばかすが散りばめられた顔が現れた。
「エ、エースか…びっくりしちゃった」
覗いた顔にホッと胸を撫で下ろせば、来たばかりの男は訝しげに眉を顰めた。
怠けているつもりはないが、端から見ればそう捉えられても可笑しくはなかったのだ。
いつ誰に怒られるかと内心ヒヤヒヤしていたのだが、現れた男もまたエスケープの常習犯なので、決して責められることはないと名前は安堵で肩を撫で下ろした。
案の定、名前を驚かせたエースは、申し訳なさそうに苦笑いを浮かべ頬を掻いた。
「あ?悪ィ、驚かすつもりはなかった。
ところでお前、まだメシ食ってねェのか?サッチが心配してたぞ」
「…あ、間に合わなかった」
言われた途端、腹の虫が寂しげに泣いた。
この尋常ではない量の洗濯物を昼までには終わらせ、今日こそきちんと昼に昼食をとろうと思っていたのだが、エースの口ぶりではどうやらまた間に合わなかったらしい。
項垂れてしまった名前の後ろ姿に、エースはやれやれと肩を竦めた。
「あんまり頑張りすぎんなよ」
「うん、ありがとう。
でも頑張りすぎてるわけじゃないの。
私にできることをしているだけだし、それはみんなも同じでしょ」
振り返りながら浮かべられた笑顔に、エースは口を真一文字に引き締めることしか出来なかった。
否、他にもう一つ。
「あ、エースの甘えん坊モードだ」
「…るせ」
「ねえ、せっかく干したシーツがシワになっちゃうよ」
「聞こえねェよ」
乾き始めていたシーツごとエースに包まれた名前は、シーツとエースの腕の中であつーいと声をあげているが、その声色は嬉しそうにふわふわとしていた。
日にあたったシーツはすっかり熱を帯びており、エースの腕には名前の体温が伝わらない。
同時に、名前もエースの急上昇した体温を感じることは出来なかった。
それでも、先日の敵襲を思い返せばこんな些細な触れ合いすら愛しいのだ。
暫く2人で戯れていたが、再度名前の腹から情けない音が響いたので、エースはそのまま名前を担ぎ上げ食堂へと駆け出した。
擦れ違うクルーたちが、またかよ、やれやれと一様にいつもの景色だと受け流す。
そんな目線もお構いなしに、楽しそうに笑い合うエースと名前の声がこだましていた。
モビーディック号の日常だ。