29年ばかりの年月で培われた記憶のなかから、彼女を形容できる言葉や情景を手当たり次第に漁った。
ぽつりぽつりと浮かんでくるそれらを順に並べ、少し先を歩くその小さな背中に宛てがっては篩にかける。
可憐。
夏の夕暮れ。
朗らかさ。
水溜りに反映した、ビルの群れから溢れた輝き。
否、最後のものは余りにも詩的すぎるか。
吟味したそれを彼女ーーー名前の後ろ姿に縫い付け、違和のあるものは傍の水溜りに置いて行く。
雨季特有の湿った風に、夏の気配が混ざるようになった。
それはまだほんの僅かな気配だと言うのに、しっかりと肌を撫で付けるものなので嫌でも感じ取ることが出来る。
それでも、生地の薄い名前のスカートの裾はそんな空気を物ともせず、軽やかに風に舞っていた。
月明かりから助長して伸びる都心の灯りをそのヒールで踏みしめながら、不意に、どこか鼻歌交じりに名前が振り返る。
「どうした?」
短く投げかけた問いに、彼女は口を開かない。
目尻を下げ、元より上がった口角を更に上げる。
細まった眼差しはしっかりと俺を捉えていた。
名前は何も言わないまま再び前へと向き直り、心なしか、光を踏む足取りは先程よりも浮ついていた。
冬の夜の澄み切った空。
慈愛。
肌の体温で温まった朝のシーツ。
恋慕。
一定の歩調だったそれを少しだけ大きく踏み出し、ものの数歩で彼女の隣に肩を並べた。
頼りない腰元に腕を伸ばし、名前の幾分か低い肩に二の腕を押し付ける。
濃紺に広がる暁。
そこまで思い浮かべて、ふと我に返った。
彼女を形容するものを浮かべていたつもりだったが、気付けばその殆どは自身の好きなものだ。
「…参ったな」
要するに、俺は自分でも思っていた以上に彼女に惚れ込んでいたらしい。
そして、それは名前も同じだ。
笑い方で何を考えているのか、手に取るように分かるようになってしまった。
くすくすと小さく笑いながらもたれ掛かる彼女は、月明かりに輝く石畳にヒールの爪先を乗せる。
何気ない光景だと言うのに、酷く幻想的な瞬間のように感じた。