仕事の忙しさにかまけて、ネット通販と言う文明の力に頼った結果。
今朝、1枚のCDが過剰梱包に育まれながらポストに投函されていた。
特別ファンと言うわけではないが、たまたま耳にして気に入った曲を皮切りに既出の曲をいくつか聴いてみたところ、どの曲も私好みのバンドだった。
しかし時既に遅く、曲を調べていくうちに、半年前に解散してしまったことを同時に知る。
もうこのバンドの新曲は聴けないのかと残念に思い、せっかくなので1stアルバムを購入した。

身包みを適当に剥がし、さっそくディスクをパソコンに飲み込ませる。
歌詞よりもメロディーで好みを決める癖があるので、とりあえず13曲全ての1番だけを流して、特に気に入ったものをiPhoneと同期させた。
最近は配信されたものだけを購入するユーザーが増え、CD自体が売れない時代だと小耳に挟んだことがある。
気に入ったものは形として傍に置いておきたい性格をしている身としては、あまり理解ができない時代の流れだ。

ペットボトルからグラスに移しただけのアイスティーを片手に、ブックレットの中をペラペラと眺める。
淡いフォントで象られた歌詞が、シンプルなページに散らばっている。
スピーカーから紡がれるピアノやサックス、ギターの音色が心地いい。
音楽のジャンルには明るくないが、これはアシッドジャズだろうか。

網戸からそよいだ風があまりにも気持ち良くて、思わず意識が曲から窓の外へと向かった。
春の気候だ。

いくら仕事が忙しかったとは言えど、それも昨日までの話。
ようやく多忙な日々から解放されて、習慣で早起きまでしてしまった土曜日だ。
家にいるのはもったいない。

そうとなればと、パソコンの電源を落とし、新しく曲を入れたばかりのiPhoneをカバンに落として、まだ一度も着ていない春服に袖を通した。





勢いで飛び出して来たものの、今日の予定はまったくの無計画だ。
家を出た際に見た時刻は昼前だったので、まずはどこかで早めの昼食でもとろう。

行きつけの店に向かうか、それとも新たな店を開拓するか。

大きな選択肢を前に思考を巡らせていると、不意に鼻腔を擽る匂いに歩みが止まった。
匂いのもとを視線で辿れば、一件の雑居ビルがそこに佇んでいた。
その雑居ビルの1Fこそが、主導権を握る空腹を誘惑させる場所だ。

そこは、何度か前を通ったことのある喫茶店だった。
一見、何の変哲もないありふれた喫茶店だが、ピーク時を除いても常に来客があり、非常に人気の喫茶店だ。
客層を見ても若い女性が多く、何か目新しいスイーツでも置いているのだろうか。

ポアロとは、そういう印象のある喫茶店だった。

窓から店内を伺えば、今日は比較的来客が少ない。
ゴールデンウィーク初日ということもあり、遠出をしている人が多いのだろう。

好奇心と興味のまま、私はポアロの扉に手をかけた。


「いらっしゃいませ」


店内に足を踏み入れ、瞬時に理解した。
ポアロが若い女性を中心に人気な理由を。

カウンター越しに目が合った店員が、蕩けるような金色の髪を揺らして微笑んだ。
物腰の柔らかそうな雰囲気に反して、その褐色の肌がどこかアクティブな様子を印象付ける。

まさに絵に描いたような美男子が、この喫茶店で働いていたことを知った。

本当に綺麗な人だと頭の端で思いながら、早々に視線を外して一番隅の席に着く。
目が合った瞬間に、びくりと震えた肩に気づかれていなければ良いが。

メニュー越しに店内をザッと見渡したところ、今のところ従業員は彼だけらしい。
と言うことは、オーダーを取りに来るのも彼になる。
こちらが勢いよく顔を逸らしたため一瞬しか視線は絡まなかった、どうもあの目は苦手だ。
ほんの僅かな時間で相手の全てを暴けそうな鋭さが、彼の目にはあった。

席に着いた手前、退店するわけにもいかず、渋々オーダーのために彼を呼びつけた。


「アイスミルクティーを1つと、えっと」
「お食事でしたら、このハムサンドがお勧めですよ」
「え?あ…じゃあ、それをお願いします」
「はい、かしこまりました」


まさか喫茶店でお勧めメニューを教えてもらえるとは思っていなかったので、予想外の助言に思わず言葉を詰まらせてしまった。
厨房へと下がっていく彼の背中を見つめながら、声もかっこいいな、なんてらしくもない感想を抱く。

ハムサンドが来るまで、次の予定を立てよう。
iPhoneに繋がるイヤホンを耳に嵌めて、今朝取り込んだばかりの曲を選べば、爽やかなアコースティックギターの音色が流れ出す。
そのままいくつか画面をタップし、お気に入りのファッションブランドや映画をチェックすれば、今日1日の予定がだいぶ定まった。

それにしても、この曲はこのお店に合うな。

改めて店内を観察すれば、耳の中で流れる曲が妙にマッチングする。
静かすぎず、けれど上品で元気なそれは、このお店によく合っていた。
と言うよりも、どこか先程の店員を彷彿とさせる。

油断したところで浮かび上がった彼の姿に思わず小さく頭を振り、画面に表示される映画のスケジュールに視線を落とした。


「お待たせしました。
アイスミルクティーとハムサンドです」
「あ、すみません、ありがとうございます」


それなりに良い座席をネット予約で抑えたところで、お待ちかねの昼食が運ばれてきた。
外したイヤホンをiPhoneの上にまとめ、机の角に追いやる。


「洋画、お好きなんですか?」
「…え?」
「いや、お席を予約されていた映画がシリーズ物の新作でしたので」


あの一瞬で見たと言うのだろうか。
鋭い観察眼と評せば良いのか、それとも目敏いと評せば良いのか。

かと言って隠す必要もないことなので、ミルクティーにガムシロップを継ぎ足しながら軽く頷いて反応を示した。


「スピンオフとはまたちょっと違うんですが、このシリーズの策略にハマってしまって」
「ああ、作品によってスポットのあたる人物が違いますからね」
「そうなんです。
違う作品では脇役だったのに、次は主役になるってなるとどうなるのか気になってしまって」


つい数分前に少しでも苦手だと思ってしまったことを詫びたい。
彼―――安室さんは本当に観察力が鋭く、こちらの些細な仕草や言動を見抜いては会話に混ぜ込んでくるのだが、それにはきちんとした訳があった。
最初はその様子に警戒をしてしまったのだが、彼がシャーロック・ホームズが好きと言うことが発覚した途端、なるほどと納得せざるを得なかった。

そして何よりも一番驚いたのは、このハムサンドだ。

焼いた形跡はないのにパンは温かく柔らかい。
料理に対して熱心な方ではないので、調味料に何が入っているかまでは判別できないが、ハムから漂う風味とマヨネーズの相性が見事に合っている。
このハムサンドを生み出すのに、一体どれくらいの研究を重ねたのだろう。
そこまで考えたところで、安室さんからそこはかとなく感じる器用さに、彼の持てる知識だけで出来上がったものなのではないかという仮説が生まれた。


「美味しそうに召し上がっていただけて、作った身としてはとても嬉しいです」
「っ!あ、安室さんお仕事はいいんですか!」


厨房に身を引いたと思っていた彼が戻ってきていたことにも気がつかず、食べている姿を黙って眺められていたのかと思うと顔から火が出るようだった。

今は常連の方しかいてませんし、と店内を一瞥する安室さんに、なぜか話し相手にさせているようで頭が下がる。
申し訳なく思いつつも、正直なところ、彼との会話は楽しかった。
彼が博識なことも手伝ってか、どんな話題を出しても必ず会話が膨らむのだ。
シャーロック・ホームズだけでなく、恐らく色んな本を読んでいる人なのだろう。

ハムサンドの感想を述べ、紅茶の美味しさに頬を緩ませたり、今朝届いたばかりのCDに詰め込まれた曲がポアロにとても良く合うこと。

ミルクティーに溶けた氷が混ざり出す頃、そう言えば映画の時間がありますね、という安室さんの一言に現実に引き戻された。
時間を忘れるほど、彼との会話に夢中になってしまっていた。
慌てて机の上の私物を鞄に詰め込み、伝票を彼に手渡す。
その後を追うようにレジ口まで行き、会計を済ませた。

こんな別れ方をするのは、もったいない。


「あの、また来ますね」
「本当ですか。
では、またのご来店をお待ちしております」


思わず突いて出た言葉に自分自身でビックリするよりも早く、安室さんは恭しく腰を折った。
なんとなく、通い詰める常連さんや窓越しに見た彼女たちの気持ちがわかるようだった。

後ろ髪を引かれつつも踵を返した途端、名残惜しさばかりに気を取られていたのか、段差とも呼べないような段差に足を取られる。
こけるという展開は浮かばなかったものの、確実に体は大きくよろめいた。


「集中すると周りが見えなくなるところは、僕の目の届く範囲だけにしてくださいね」
「……す、すみません…」


左腕を掴む大きな手の平と、右肩に触れる温もりに、安室さんが支えてくれたのだと悟る。
慌てて身を離し、入店した時よりも幾分か見つめられるようになった双眸を覗き込めば、安室さんは緩く口角を上げて苦笑いを浮かべていた。


「次は甘めのミルクティーをご用意します」
「―――ありがとうございます」


先程の謝罪を塗り替えるようにお礼を述べれば、満足したようにその碧眼が細まった。
体に触れていた手が背中を押すように動き、私はようやく映画館へと歩み出した。


「良かったら、今度その曲を聴かせてください」


その言葉を背中に受けながら、私は今朝のアシッドジャズを再生させた。







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