夜の帳が下りる頃、夕闇を灯す街灯は心なしか帰路を急がせた。
それでも、門限を厳守しなければならないという状況におかれていても尚、駅へと向かう足だけは惰性的だった。

時間とともに増え出す大人の合間を縫い、この空間ではとびきり浮いている制服を翻す。
漆黒のキャンバスに、細い筆先で白い絵の具を点々と塗り付けていくような感覚。

黒は強い。
どの色と混ぜ合わせても、黒色はいつも優位になれることを忘れていたわけではないが、あまりにも同じキャンバスを繰り返してきたせいで、すっかり油断をしてしまっていたのだ。


「ねーえ」
「っ!」


知らない声に腕を掴まれた。
思わず肩を震わせて振り返ると、男が2人そこにいた。

知らない男の下卑た笑い顔は、街灯に薄っすらと浮き上がり不気味さを増している。
太い指輪に装飾された指が絡みつく腕を強く引いてみるも、大人と子供の力の差なのか、それとも男と女の力の差なのか、ピクリとも動かなかった。


「その制服さぁ、超お嬢様ガッコだよね?
俺たちいっつも見てたんだけど、キミほぼ毎日ここ通るっしょ?塾かなんか?それとも習い事?」
「今日いつもより遅いし、もう門限間に合わないじゃん?ちょっとくらい遅くなっても同じだし、オレたちと遊ぼうよ」


もしも。
もしもここで彼らに従ってしまったら、この先の未来はどれくらい変わっていくのだろう。

親に敷かれたレールから外れて、まったくの別人になってしまうだろうか。
それとも、今まで通りレールの上は走り続けながらも、停まるべき駅をいくつも見落としてしまうのだろうか。

正直、どちらも怖い。
見えない未来が恐ろしい。

生まれてから今まで、ずっと親の決めた路線図に従って生きて来たのだから、自分の意思や、他の誰かの示す道を歩くことが怖い。

けれどそれ以上に、この道ではない、違う道を歩きたかった。

抵抗を、やめてみようか。
解放して欲しかったはずの腕は、今では彼らに引かれることを望んでいる。

数秒考えを巡らせた後、腕に込めていた力を抜いた。
罪悪感や恐怖心が、黒色で塗り潰されていく。
怖かったはずの黒色に、安心し始めている自分を感じた。


「こいつ、俺のツレだから」


不意に、掴まれていた腕が解放される。
けれどすぐにまた掴まれ、景色が動いた。

指輪をしていない手。
けれど、腕に触れる指先が硬かった。

どこか蚊帳の外にいたような感覚が薄まり、意識が定まり出す。
それと同時に視界に捉えたのは、フードを被ったままの黒い背中だった。

この人は誰だろう。

ふと視線を落とせば、繋がった腕の先に刺青を見つけた。
生まれて初めて見る刺青に、恐怖心よりも先に好奇心が疼く。

有刺鉄線を模したようなそれを見つめすぎたせいか、自分の腕にも同じものがあるような錯覚を覚えた。


「大丈夫か」


この景色は見覚えがある。
あと少し歩けば駅に辿り着く、人通りの多い道だ。

体ごと振り返ったその人は、掴んでいた腕を離して、代わりに言葉を発した。
驚くほどに、優しい声だった。

その声に弾かれるように顔を上げれば、黒いフードの正体と視線が触れ合う。
黒から覗いていたその顔に、思わず目を見開いた。

遅い時間にあのような場所にいたことと、そして先程認識した刺青も手伝って、ずっと歳上なのだろうと思っていたばかりだったので、然程歳も変わらないであろう顔付きに驚く。
次いで目を奪われたのは、首に絡み付いた刺青だった。
手首の刺青もそうだったけれど、同じ世代と思しき少年が施すには疑問が湧いて出る。
両耳合わせて12個のピアスも相俟って、彼を取り巻く世界と、自身を取り巻く世界がまったくの別物であることをまざまざと感じた。


「えっと…あの、ありがとう、ございました…」


夜空に架かるオーロラでも眺めるような感覚で、長い襟足と前髪に走る青に目を奪われながら口を開く。

いつもなら、礼を述べて、それだけだ。
言い訳や二言目など言うことがないのに、今日は何故か、ぽろりとそれが溢れた。


「でも、困っていたわけではない、です」


あの時、決して助けを求めていたわけではない。
それ以上に、あの男たちの世界に身を委ねようとしていたのだ。

決められていない未来を、見てみたかったのだ。


「―――だからだよ」
「え…」


少しだけ、目の前の彼の表情が曇る。

矛盾したその言葉に、呼吸をすることさえ忘れて思考を巡らせるも、考えがまとまらずに夜空へと霧散していった。


「自分で見つけて、自分で選べ」


それだけを残して、名も知れぬ彼は人混みに消えて行った。
まるで映画のような出来事は、こうして幕を閉じたのだった。

黒でもなく白でもない、灰色の彼。
黒と白が混ざった人。

この興奮が覚める頃には、彼の言葉の意味が理解できそうな気がする。
今はまだ、彼の手の温もりを忘れたくなかった。

彼が立ち去った後に、見えるはずのない一筋の道が見えた気がした。

そして、踵を返して駅へと向かった私の後にも。







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