夏も終わりに近付き、夜にもなれば秋の虫がちらほらと鳴き始める。
暑いのは苦手だが、何だかんだで夏は楽しいイベント事が多いから退屈はしない。

しかしそんな俺は、どうも花火大会にだけはトラウマに近い苦手意識を持っているらしい。

否、持っている。

遡ること昨年。
初めてできた彼女と、憧れの花火大会デートの日。

世界で1番可愛いと叫びたくなるくらいに可愛い彼女が、見慣れない浴衣姿で待ち合わせ場所に現れた。
生成色に散りばめられた赤色の古典柄が、彼女の愛らしさを更に引き立てていたのをよく覚えている。
やっとの思いで「可愛い」「似合ってる」「ありがとう」の言葉を紡いだ時、こちらの様子を伺うような表情が一瞬にして綻んだ。
まるで、浴衣にあしらわれた花が咲いたみたいな、一瞬の空気の変化。

彼女はこの花火大会を楽しみにしていたし、俺も彼女と過ごす憧れのシチュエーションだったということもあり楽しみにしていた。
打ち上がる花火に合わせて、歓声が上がる。
そのなかでも彼女の声だけを拾い集めれば、花火の音に震える心臓がまるで彼女の声に反応しているようだと錯覚する。

彼女の瞳が俺を最後に捉えたのは、数分前。
打ち上がる花火を1つでも見逃すまいと、花火と花火の間もその目はしっかりと濃紺の空を捉えていた。
かく言う俺は、花火よりも彼女の横顔ばかりを見つめている気がする。

メインは花火ではない。
彼女と過ごしていることだ。

ふと周りを見渡せばカップルに囲まれていて、どの女の子も彼氏のために着飾って可愛かったけど、やっぱり隣で花火に染められた彼女が誰よりも可愛かった。

花火に煌めく目。
赤やオレンジに染まる頬。
嬉しそうに少し開いた口元。
綺麗に巻かれた後れ毛が、風に揺れて細い首筋を撫でている。

ああもう、可愛いな。

なんて思った直後、わっと湧き上がる今日1番の歓声。
その歓声は、小さな後頭部に手を回して彼女にキスをした俺にではなく、この花火大会の目玉花火に対するそれだった。

どこか遠くで鳴っているような花火の音。
数秒の静寂の後、蘇る雑音。
風に乗って漂う花火の燃えかす。
火薬の匂い。

次々と人混みに紛れていく周囲の動きのなかで、いまだ動かない俺たち。
彼女は目を見開いていて、口をぱくぱくと動かしている。

そして、ギョッとする。

その大きな瞳に膜が張り、鼻の頭が僅かに染まり出したからだ。


「っ……最後の花火、1番楽しみにしてたのに…!翼くんのばか!」


やってしまった。
完全にやってしまったのだ。

1年前の俺は、彼女が1番楽しみにしていた花火が打ち上がる瞬間に、その楽しみを奪ってしまったのだ。
当然その後は微妙な空気に包まれ、電車の中でも特に会話もなく、お泊まりなんてこともなし。
彼氏彼女らしい言葉も交わさずに解散となってしまった。

自ら掘った墓穴なのだが、その出来事が完全に花火大会へのトラウマへと昇華してしまったのだ。

しかし幸いなことに俺と彼女は翌日には仲直りをして、1年経った今でも仲良くお付き合いをしている。
俺の方から花火大会に誘うのは憚られたが、そんな杞憂もどこへやら、なんと彼女の方から花火大会へのお誘いがかかったのだ。
去年のことを覚えているのかいないのか、俺は思わず何度も「いいの?」と念押ししてしまった。

そんな彼女―――名前と2度目の花火大会。
今年こそは絶対にヘマはできない。
そう心に決めた花火大会当日、去年と同じ待ち合わせ場所に現れた名前は、黒地に色鮮やかな花が咲いた浴衣を身に纏っていた。
今年の彼女は、愛らしいと言うよりも、息を呑むほどに綺麗だった。

今年は場所を変えて花火を見ることになり、俺たちは土手に設けられた石段に腰を落ち着けた。
横に並ぶと人が通れなくなるので、名前を下段にして縦並び。
横顔を見られなくなるのは残念だが、その方がまた思わずキスをしてしまうなんて事態も免れそうだし、何より真っ白いうなじを堪能できるから、まあいいか。

花火大会の始まりを告げるように少しずつ花火が打ち上がれば、周りの歓声も徐々に大きくなる。
例に漏れず名前も歓声をあげて、大きな花火の時には少し体を仰け反らせて俺の足に背中を預けてくる。

やっぱり可愛いな。

後ろ姿と仕草だけでそう思えるのだから、俺は相当名前に夢中らしい。
まあ、事実そうなのだけれど。

花火を見つつ、名前の後ろ姿を見る。
名前のおかげで、花火がより綺麗なものに感じた。


「(花火…綺麗だな…)」


降り注ぐような花火に、なんとなく名前の後れ毛を重ねる。

ぼんやりとしていたせいで、俺は反応がワンテンポ遅れてしまった。

不意に名前がこちらを振り返り、俺の膝に手をついたかと思った瞬間に触れる唇。
大きな音が続けて俺の心臓を震わせた。
周りの今日1番の歓声が、遠ざかる。

名前の唇に馴染んだグロスが、ぬるりと口元を滑る。
グッと香った甘い匂いに、一瞬くらりと目が霞んだ。

名前の体が離れる頃には、周りの人たちは駅の方へと歩みを進めようと踵を返していた。


「な、なん―――」
「去年のおかえし」


眉を少し吊り上げて言う名前の顔は、薄暗くてもわかるくらいに真っ赤に染まっていた。

もう花火は打ち上がっていないのに。

自分から仕掛けたくせに俺よりも恥ずかしがる彼女を、今年は帰せそうにはなかった。

トラウマも消え去り、俺にとって花火大会の最高の思い出ができた夏。







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