朝食の片付けと洗濯を終わらせた後、すぐにでも買い物へと出かけるのかと思いきや、名前は一人日課の稽古に励んでいた。
普段なら熊徹に相手をしてもらうところなのだが、熊徹不在の今日ばかりはそうもいかない。

いつも指摘されることを思い出しながら黙々と木刀を振るい、昼になれば百秋坊と昼食をとる。
そして、また稽古にのめりこむ。

「やり過ぎに良いことはないぞ」と百秋坊に声をかけられた頃には、すっかり太陽が沈んでしまっていた。
途端、自ら百秋坊に頼み込んだ約束を思い出した名前は、慌てて百秋坊の手を引き家を飛び出した。

"澁天街"
そこは、バケモノが行き交う街。

野菜、果物、乾物、その他生活においての必需品などは大抵ここの市場で揃う。

熊徹の食欲は並大抵のものではない。
名の通り熊型の獣人なのだから、その体は大きく、毎回の食事量にも頷ける。
そのため、食料の減りは目紛るしいものがあった。

名前は背負い籠を背負い直し、ポケットに入れていた紙切れを取り出す。
体の小さな名前でも買い物がしやすいよう、以前熊徹が作ってくれたものだ。
これなら一人でも買い物ができると、名前はこれを気に入っていた。


「ねえ、百さん」
「どうした」
「もしお父さんが本当にお土産を用意してくれたとしたら、なんだと思う?」


しめじ、人参、味噌、米。
購入した食材を次々背負い籠に入れながら、ふとそんなこと百秋坊に訊ねる。


「名前は何が土産だと嬉しい?」
「わたしは……お父さんが無地に帰ってきてくれたらなんでもいいかな」


聞いたか、熊徹よ。


自分に向けて言われたわけでもないのに、名前のあまりにも健気な発言に、百秋坊は年甲斐にもなく心を打たれた。
我慢ならずに名前の頭を撫でれば、大きな双眸が百秋坊を捉える。


「名前は本当に良い子だ」
「…えへへ」


あの粗暴な男のことなので、名前の人格形成期には冷や冷やとしたものだが、一体誰に似たのやら。
誰とも知れぬ生みの親の影響が多少なりともあるのだろうか。
無垢で素直な少女に育ったものだ、と百秋坊は舌を巻かざるを得ない。

名前の背負い籠から重たそうな米を掬い上げた百秋坊の目に、ふと、何気ない一角が飛び込んでくる。

狼顔のバケモノが三人、一人の子供を取り囲みながら愉しげに牙を剥いていた。
名前と同じ人間の子供のように見える少年と、その少年をいたぶるような不穏な言葉につられたと言っても過言ではなかったが、修行の身である百秋坊にとって一度目撃してしまったものはそのまま放っておくことはできない。


「名前、私が戻ってくるまでここから動かんでくれ」
「え?」


ちょうど店の主人から甘味―――チョコレートを受け取ろうとしていた後ろ姿に軽く声をかける。
この店は甘味屋ではないので、おそらく褒美か何かでくれようとしているのだろう。
名前は頻繁に人から物を与えられることがあるのだ。

騒ぎが起こっているのは、そこから通路を挟んで正面にある露店だった。
名前のことは露店の主人に任せるとする。

その露店の傍まで近づいたところで、狼に首根っこを摘まみ上げられた少年が遂に助けを求める声を上げた。


「助けて!」
「やめろ馬鹿者。罪深いことを言うな」


鶴の一声。
百秋坊のその一言で、その場の騒ぎは瞬く間に沈下された。

不服そうに散り散りになった狼たちを見送り、百秋坊はようやく地面に下ろされた少年を見下ろす。
やはり、どこからどう見ても人の子だ。
バケモノのにおいを一切纏わず、見た目は名前と何一つ変わりのない少年。
人間に流れる年月の計算方法はあまり詳しいわけではないが、バケモノと同じならば年の頃も名前と同じくらいだろうか。

怯えたように自らの腕を抱き締めた少年に、同情の念が沸く。


「百さーん、もういい?」
「ああ、こちらへおいで」
「おんなの…こ…?」


百秋坊の声につられて目線を持ち上げた少年が、ぽつりと呟く声が聞こえた。

素直に言いつけを守っていた名前は、店主にお礼を言いながら行き交う人をスルスルと避けながら二人に走り寄る。
すでに名前からは、少年の姿が認識できているだろう。


「すまんな、名前」
「百さん、この子だあれ?」


やはり。
形だけは百秋坊の手に縋る名前の興味は完全に少年に向いているようで、百秋坊への返事もそこそこに、口を突いて出るそれは少年への言葉のみだった。


「人間界から澁天街に迷い込んだのだろう」
「え?じゃあこの子は人間なの?人間界から来たの?」
「お、お前だって人間だろ!?」


不意に声を荒げた少年に、名前は目を瞬かせる。

名前は見た目こそ人間そのものだが、生きてきた場所や纏うにおいはバケモノそのものだ。
物心ついた頃から熊徹を始めとしたバケモノに囲まれ、そんなバケモノに育てられてきたのだから、本人も自分自身を歴としたバケモノだという自覚を持っている。

人間だと面と向かって言われた名前は、見る見るうちにその口元をきゅっと引き締め眉をつり上げてしまった。


「わっわたし人間じゃない!」
「嘘だね!どこからどう見たって人間じゃねぇか!」
「違う!人間じゃないもん!」
「まあまあ、二人とも落ち着かんか」


ヒートアップする二人の間に割って入った百秋坊は、持ち前の落ち着いた態度で子供同士のやり取りを宥めた。
お互いに鼻息を荒くし、一歩も譲らないという姿勢で睨み合っている。
子供がムキになりやすいのは、人間もバケモノも何ら変わりはないらしい。

名前の手を引いた百秋坊は、穏やかな声でついておいでと少年を促した。







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