とんだ災難だと思ったばかりなのに、息を飲んだ俺の頭の中は単純なまでに突然降り出した雨に感謝の言葉を並べまくっていた。

今日は何の予定もないからと、メンバーのやつらと適当に雑談を交わしてから帰路についた。
地元に着いてもまだまだ明るい日差しは、頼んでもいないのに夏の到来を知らせているようだった。

梅雨入りをしたのは半月前の話なのに、今年はまだあまり雨が降っていない。
それどころか、真夏のような日が目立つ。
じっとりと汗ばむ高い気温、澄み渡る青空と白い雲。
夏じゃん。

暑いのはあまり得意ではないが、俺は夏が好きだ。
夏は気温が高く、心も体も開放的になれる季節だと思っている。

そう、心も体も。

季節が夏に向かうにつれ、街を行き交う女の子の肌面積は広がり、夏本番になれば、そう、水着ギャル。最高。
普段の生活からかけ離れた物を身に纏うと、気持ちもいつもより大きくなる。
特に、海やプールと言ったロケーションが加わると凄い。
知らないやつから声をかけられても、それを受け入れる女の子の数もその場所では少しばかり増えるのだ。
メンバーを誘えば、一部から妨害を食らいまくることに間違いはないので、吉宗あたりにでも声をかけてみようか。

夏、楽しみだなあ。


「あれ、翼?」


この夏に実行すべき計画を組み立てていると、背後から俺の名前が紡がれる。
その声が女の子のものだったので、緩んだ口元を咄嗟に引き締め爽やかな笑顔を貼り付けて振り返った。


「やっぱり翼だ!ひさしぶりだね」
「……なんだ、名前じゃん」


外面を張り付けて損をした。
振り返った先にいたのは、女の子には間違いないが、俺にとって全くの期待性のない異性ーーー所謂、幼馴染の名前だった。
まあ、相手が俺の名前を知っていた時点で、新しい出会いの瞬間ではないわな。

あからさまに声のトーンが下がった俺を気にする素振りもなく、幼馴染の名前は嬉しそうに笑った。


「元気だった?1年振りくらいだよね?
翼、ぜんぜん見かけないんだもん、心配してたんだよ」


女の子はよく喋る生き物だと痛いくらいに知っていたが、本当によく喋るもんだと改めて感心してしまう。
今のところ、俺はまだ名前から投げかけられる質問に対して1つも答えられていない。
矢継ぎ早に次の質問が飛んでくるからだ。
俺の答えを聞く気がないなら聞くな。

しかし、確かにこいつの言う通り、俺たちが会うのは実に1年振りくらいだ。
あの頃はまだBLASTの存在すらなくて、この1年間の目まぐるしさを痛感する。
つまり、名前はBLASTのこととか知らないんだな。
今日に限ってベースも持っていないし、恐らく音楽を続けていることも知らないだろう。

当時はモテたくてベースを始めてみたものの、今となってはベースが好きで、音楽が好きで、BLASTが好きだからベースを弾いている。
たった1年で、俺も変わったな。


「麗華は元気?」
「ん?ああ、麗華ね。
うん、元気っつーか、相変わらず?」
「そっか、相変わらずなんだね。
緋ノ山だっけ?名前からしてかっこいい男の子たくさんいそうだもんね」
「どんな名前だよ。
ま、俺もこう見えて人気あるんだけどなあ」
「それ自分で言うの?
うん、でも、翼って幼稚園の頃からモテモテだったもんね。
分かる気がする」


そして、変わったのは俺だけではなかった。

期待性皆無の異性の1人だと信じてやまなかったはずなのに、こいつが笑うたびに心臓が一瞬だけ不規則な動きをする。
正確には、心臓とはまた違う、もっと内側の部分なのだが、俺がその名前を知らないせいで上手く説明がつかない。
説明するのは得意なはずなんだけど。

1年前よりも伸びた髪に、顔付きも少し大人っぽくなったような気がする。
たぶん、化粧はしていない。
けど、リップクリームに縁取りをされた唇が、やけに色っぽく見える。
スカートから伸びる足は相変わらず細いけど、体の線は曲線とくびれが格段に増えている。
俺の女の子の観察眼をなめるなよ。

通う学校が違うせいで、恐らく名前の持つ話題の引き出しの中身はまだ当分尽きないだろう。
別に予定があるわけでもないし、相手してやるか。

そう思った矢先のことだった。


「―――え?」
「お、雨か?」


それは10秒も要せず、突如襲いかかってきた。
バケツをひっくり返したような雨とは、上手いことを言ったものだ。

降り出したと思った瞬間には激しさを増していた雨がコンクリートを濡らし、制服にも染み込んでいく。
俺と名前は慌てて走り出し、宛もなく足元を濡らした。

走りながら、モテ仕草を研究し尽くした悲しい癖が飛び出し、着ていたベストを少し後ろの名前に渡す。
ベストもだいぶ水を含んでいたが、ないよりはマシだろう。
一瞬何をされているのか理解できなかったようだが、一向に手を引っ込めない俺を見て、そいつはベストを受け取り雨から身を守るように広げた。
その際に飛び出したお礼を告げる声が、息切れながら跳ねていて少しだけ可愛いと思った。

住宅街だったこともあり、雨宿りのできそうな場所になかなか巡り会えなかったが、途中で見つけたシャッターが閉じられた小さな商店の軒下に潜り込むことができた。
ため息にも似たそれを大きく吐き出し、鈍く淀む空を見上げる。
天気予報にもなかった雨だ。
やむ頃合いも予測ができない。


「ゲリラ豪雨みたいだね」
「だなー。
晴れてたとは言え、まだ梅雨明けはしてないし、完全に油断してたわ」


軒下に飛び込んでからすぐに呼吸を整えつつあった俺に対して、まだ呼吸の乱れていた名前がようやく言葉を発する。
語尾に吐息が含まれていたので、完全に調子を取り戻したわけではなさそうだったが。
大きく上下する肩が視界の端に入り、大丈夫かと言う意味を込めてふと隣に視線を落とす。

まじか。

言葉が出てこないとは、このことを言うのだろう。
とんだ災難だと思いかけた思考が、なんの機能も果たさなくなる。
少し赤くなった頬とか、水に濡れて肌に張り付いたシャツとか、透けて見えるブラとか。

そんなものはどうでもいい。

難しそうな顔で雨空を見上げる名前の、水気を含んだ髪とか、何か言いたげに結ばれた口元とか、濡れた髪をかけた際に、その細い指先が形を辿った耳とか。
17年生きて、初めて本心からその言葉が出た。

綺麗だ。


「翼、これ借りてていい?」
「っ…うん、いいよ」


漂う空気は、涼しくなるどころか蒸し暑さを増す。
湿度が上がったのか、それとも俺自身の体温が上がったのか。

俺のベストを肩にかけた幼馴染は、呑気にも、早くやむといいねなんて間延びした声を漏らす。

雨がやむ。
それだけは嫌だと思った。
こんなにも雨に打たれたのに、まだ降り続いてほしい。

濡れた体を少しだけ名前のほうへと寄せ、真横に並んだ細い肩に二の腕をくっつける。


「名前の話、聞かせてよ」
「え?私の話?さっきは右から左っぽかったくせに」
「することないし、いい暇潰しにはなるじゃん」
「暇潰しねえ…。
じゃあ、翼の話も聞かせてよ。お互いに話そ」


無邪気な笑顔が向けられ、また心臓が不規則に動く。
その甘い香りのする揺れた髪から落ちた雫を見て、まるで自分を見ているようだと感じた。


「彼氏できた?」
「うわー、ヤな質問。
ほしいんだけど、なかなか難しくってさあ」
「そっか、まあ、たぶんすぐできるよ」
「適当に言ってない?
じゃあ、翼は?好きな子いるの?」
「好きな子ねえ…」


人生で起こり得るイベントの鍵となるポイントは、案外身近に落ちているものだ。
BLASTを結成した時だったり、今回もそうだ。


「できた、かな」










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