今朝からしつこく降り続けていた雨は、午後には止むだろうという生徒たちの期待に応えてくれたのか、夕方には濡れた地面と鈍色の雲だけを残して去っていった。

最終下校の鐘が、湿気った空気と混ざり合いながら時刻を告げる。

期末テストが近いということもあり、最終下校の鐘が鳴る頃には残っている者は殆どおらず、見受けられるとすれば同好会の者か、居残り勉強のどちらかだろう。
最終下校まで残っていた数少ない生徒の内の一人である名前は、強いて言えば後者に含まれるのだろうが、勉強と言いつつも大半は友人と談笑を交わして過ごしていた。
その友人も、練習が終わったと律儀に教室まで迎えに来た翼の姿を見た途端、つい今の瞬間まで腹を抱えて笑っていたとは思えない早さで白々しく撤退していったのだが。

濡れたアスファルトから立ち込める夏の気配が、湿気と相俟って張り付くような鬱陶しさを孕んでいる。
それでも、今日の練習の様子を楽しげに話す翼の隣に並べた肩に感じる温もりは、むず痒くも心地好いものだった。

触れ合った腕がじわりと熱を持ち、次第にしなやかな指が絡み合う。
綺麗に畳まれた傘が、視界の端でゆらゆらと揺れる。


「次のライブも来るよね」


語尾を上げないその問いかけは、肯定以外の返事は受け付けないという彼の意思表示だ。
当の本人はそれを癖だとは思っていないようだが、いつもこちらに合わせようとすることが多い翼が見せる可愛い一面として秘めておくことにする。
まあ、当初に比べるとこちらに合わせようとすることも限りなく減ったのだが。

名前は焦らすようにたっぷりと間をあけた後、ライブがすごく楽しみであると告げた。
見て取れる程の安堵で強く握り込まれる手が嬉しかった。


「翼くんがベース弾いてるとこって、すごくかっこいいからライブの時はずっとドキドキが止まらないんだ」


そこまで告げて、自然と歩みが止まる。
隣を歩いていた翼も同じように立ち止まり、2人の視線は少し先の水溜りで交わった。
先程までの雨でできたのだろう。

しかしその水溜りは、水溜りと聞いて想像するものとは少しばかりかけ離れた大きさを保ちながら景色を反映させていた。
避けようにも、すぐ隣は車道が走っているので、この水溜りを超える以外の方法では難色を示しそうだ。


「すごい水溜り」
「完全に飛び越えられるかどうか、ギリギリの大きさだなー」


考えてどうにかなるものでもないが、少しでも被害の少ない方法を算出してしまう。

頭の中でシミュレーションをしているであろう翼の横顔を見上げれば、形の綺麗な横顔が真剣に水溜りを見つめていた。
難しげに細められたライトグリーンの瞳が面白くて、さすがの名前にもほんの僅かな悪戯心が芽生える。

漫画のドジな主人公のように、こんな典型的な方法で水溜りに浸かることはないだろう。

軽い気持ちでこの先数秒の光景を巡らせ、名前は繋いでいた手を軸に翼の体を前へと押しやった。


「えいっ」
「っ、おい!ばか…!」
「う、うそっ―――」


しかし、今回は名前の想像力が至らなかったらしい。

どうやら翼を押したタイミングでこちらへと振り返ろうとしていたらしく、翼の体が大きく揺らいだ。
踏ん張る力が分散されてしまっていたせいだ。
それでも水溜りに入水するという選択肢を蹴り飛ばした翼は、咄嗟に片足に力を入れ水溜りの向こう側へと着地した。

そして、手をしっかりと繋いでいたおかげで予期せぬ動きをした翼についていくことのできなかった名前の体は、一直線に水溜りへと引き寄せられたのだった。


「―――っ…」
「この悪戯っ子め」


しかし、それよりも強い力で引き寄せられ、一瞬何が起こったのか目を白黒とさせる。
次いで認識できたのは、背中をしっかりと支える腕の力強さと、水溜りが背後に移動しているということだった。
鼻腔をくすぐる優しい匂いにつられてそっと視線を持ち上げれば、苦笑いを浮かべる翼の眼差しと絡み合う。

翼に引っ張られて、なんとか水溜りを飛び越えられたらしい。

見かけによらないその意外な逞しさや、すぐ目の前の服から香る翼の匂いに、心臓が早鐘を打ったように騒がしくなる。


「―――ドキドキが止まんないのってさ、ライブの時だけ?」


離すどころかますます力の込められる腕と、耳元で囁かれるその言葉に、名前は白旗を揚げる他ない。


「………ううん、翼くんと一緒にいると、ずっとドキドキする」


ずるい人だな、と、名前は笑みを隠しきれなかった。

その秀麗な容姿と文武両道な生徒として学校では女の子から持て囃され、かと思えば、ステージでベースの弦を爪弾くその様は情熱すら感じる。
正直なところ、色々な表情を見せる彼を追いかけることで精一杯だ。
新しい一面を見た日には、呼吸すらままならない程に胸が高鳴った。

こちらが一枚上手に立ったように見えても、実はその主導権はずっと翼が握っている。
彼の思うように転がされるのだ。

どうか心臓が保ってくれることを願いながら、名前は翼の胸元に熱くなった顔を押し付けて悔しさの声を漏らした。







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