反りが合わないと思われていた熊徹と九太は、互いに足りないものを教え合い師弟関係を築いていくことでおさまったらしい。

九太には剣と武術を。
熊徹には相手の動きを見切る洞察力を。

一人で強くなり一人で生きてきた熊徹が誰かにものを教わるなど、最初はあり得ない話かと思われていたが、それは存外そうでもなかったらしい。
二人の相性は良かったのだ。

こうして九太はめきめきと力をつけていき、以前、九太をいじめていた二郎丸やその仲間たちをも倒してしまい、おかげで強いやつが好きだと常日頃豪語する二郎丸に認められ、無事二人の間にも友情が生まれた。
その話を聞いた時の名前と言えば、九太と二郎丸が仲良くなったことに対して歓喜の声を上げ、今度みんなで遊ぼうねと張り切っていたのは言うまでもない。

修行の数だけ力は備わり、以前は凹ませるので精一杯だったスイカにも、ようやく拳で亀裂を入れられるまでになった。
どちらが早くに食べ終えるかで勝負をし、負けた方が洗い物をするという新たなルールも生まれた。

季節が巡り何度目かの春が来た頃には、九太の背はすっかり多々良の背を追い越し、百秋坊を抜く日もそう遠くはないほどに急激な成長を見せた。


一方、名前はと言えば、心強い稽古の相手が出来たことを喜んでおり、九太の手隙の際には共に稽古をつけることが多くなった。
昔は名前が一方的に攻撃を繰り出して、九太はそれを躱すので精一杯だったと言うのに、今の二人は立派な打ち合いを交わせるようになった。

九太が二郎丸に認められたと話した際、名前はちょうど受けていた一郎彦の誘いに乗じて猪王山の家へ九太も連れて行き、それ以来一郎彦や二郎丸と一緒に四人で談笑する光景も珍しくはなくなった。

相変わらず名前が狼になれることはなかったが、それでも名前は気ままにその時を待った。

しかし中には待つことを許さない変化もあり、次第に名前の背は九太に抜かれるようになり、胸や腰回りも徐々に丸みを帯び始める。
初潮が来た際には死んじゃう!と泣き喚き、とりあえず泣き付いた博識の百秋坊に連れてこられた猪王山の家で、一郎彦たちの母親に月経のことを教えてもらった。

それからだろうか。
熊徹庵の裏庭に、小さな小屋が建ったのは。

今までは九太の隣を寝床としていた名前だったが、急にそれが恥ずかしくなり、百秋坊の口添えもあって名前専用の小屋が建てられたのだった。
決して広い小屋というわけではないが、就寝や着替えをするには申し分のない小屋だ。

それでも基本的な生活基盤は今まで通りであり、熊徹との関係も何ら変わりはない。

ただ一つ変わったことと言えば、九太と名前の態度が妙に落ち着きがなくなったことだろうか。

目が合えば慌てて逸らす割に、互いを見つめる回数は減るどころか増すばかり。
特に顕著なのは九太の方で、一郎彦と名前が楽しげに話す様子に対して怒りをこれでもかと顔に現すのだ。

熊徹はそんな二人を呆れていたが、多々良と百秋坊―――主に多々良が「青いねェ」とニヤついていた。





周囲の大人に見守られながら、名前を好きだと自覚した九太と、男らしくなった九太に戸惑う名前は、今年で17歳を迎えた。





客を呼び込む声。
屋台の上に並ぶ、たっぷりと身をつけた新鮮な野菜や果物。
少しずつ高くなる太陽の日差しを受けて、織物の繊維が艶やかに輝いている。

先ほど果物屋の店主から手渡された桃―――それもご丁寧に産毛を取り除いてくれている―――に齧り付きながら、馴染みの喧騒を堪能する。


「名前」


目当ての大根を物色していると、背後から聞き慣れた声に名を呼ばれた。
屋台に落としていた視線を上げて振り返れば、一郎彦と二郎丸がこちらに向かって手を振っていた。

最近、一郎彦があまり元気ではないと囁かれているらしい。
けれど名前が一郎彦と会う時にはそんな様子など微塵も見受けられないので、本当に噂なのかもしれないと肩を竦める。


「よーっす、朝から買い物ご苦労さん」
「そう言う二人は見廻りだよね。お疲れ様」
「ああ、ありがとう。―――また大根と豆腐か、名前も好きだな」
「朝のお味噌汁に豆腐が入っていないと嫌なの。
 それに九太の作る大根の煮付け、本当に美味しいんだよ!今度二人にもお裾分けするね」
「マジか!やったなァ兄ちゃん!」
「……ああ」


一郎彦に元気がないと思うことはないが、機嫌が悪くなる回数は明らかに増えたと思う。
特に九太の名前を出した時にそれは目立ち、なんとも形容しがたい目付きになるのだ。

名前はそれを単なる九太へのライバル心から来るものだと思っており、先ほどのその表情もいつものように流す。

何故なら、次の瞬間にはいつもの一郎彦に戻っているのだからだ。

案の定、頭巾の下で柔やかに微笑んだ一郎彦は名前の足元の籠を拾い上げた。


「ちょうど熊徹庵の方に用があるんだ。送っていこう」


今し方大根を受け取った名前の手からそのままそれを受け取り、自身の手に収まる籠の中に入れる。
ざっと市場を確認してさっさと歩き出した一郎彦と二郎丸の後を慌てて追いかけた名前は、やっとの思いで二人の隣に肩を並べた。


「ごめんね、見廻りの途中なのに」
「熊徹庵の方に用事があると言っただろう。名前は気にしなくていい」


名前が隣に並べば、二人の歩みは少しばかり遅くなる。


「ところで名前、お前もう剣は握らねェのか?」
「剣?うーん、そうだなあ…予定はないかな」
「お前、ここ最近ずっと九太と兄ちゃんに連敗してるもんな!」
「最後に勝ったのだってずっと昔だよ。剣の代わりに武術でもやっておけばよかったかも」


漸く食べ終えた桃の風味に、名前は満足げな息を漏らす。

名前を取り巻く桃の甘い香りが、まるで名前そのもののようだと一郎彦は目を細めた。
唇についた果汁が気になるのか、二郎丸との会話の合間に覗いた赤い舌に目を奪われる。
寒気や嫌悪とは違う、ぞくりとしたものが一郎丸の腹に巣くった。

あまりにも熱心に見つめていたらしい。
不意に名前と視線が絡み合い、無邪気な笑顔が一郎彦の眼差しを受け止めた。
僅かに目を見開いた一郎彦だったが、咄嗟にいつもより遙かに薄い笑みを取り繕い名前から視線を外した。

一郎彦のなかに芽生えた劣等感とは違うそれは、一体いつから名前に向けられているのだろう。

名前の成長はあまりにも目紛るしかった。

元より名前は、一郎彦にとって誰よりも親しみのある容姿をしている少女ではあったが、それはいつしか時の流れと共に麗しくもあるものへと変化していき、こうして時折一郎彦の心を徒に掻き乱していく。

名前にだけだ。
名前にだけ、無性に愛しさが募る。

それを恋慕の類だと自覚したのは、名前が九太に微笑みを見せた時だった。
何でもない、ごく普通の日常の一部だった。

九太の隣にいる名前がほしい。

そう思い始めたのは、ここ最近の話ではない。

ずっと前からそうだったのだ。

それでも九太と名前を見ていると、名前には九太しかいないのでは、と思えてならなかった。
人間という異質な存在であるにも関わらず、九太はこの世界で受け入れられ、そこらのバケモノよりも強くなった。

それに引き替え、一郎彦はなんだ。
青年になったというのに、偉大なる父、猪王山のような鼻や牙はどこにある。

―――何もない、半端者だと思った。

こんな半端者など、誰が愛してくれよう。

バケモノではないただの人間である九太は、その存在を確立させていると言うのに。

そんなどす黒い思いが、思春期を迎えた頃から長く一郎彦を苦しめていた。

人間の九太を素直に受け入れた名前なら、半端者でも受け入れてくれるに違いない。
一郎彦の抱く恋情の傍らには、そんな願いが存在していた。

桃の蜜のように濃厚な願望は、一郎彦の顔に影を落とした。







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