少し不器用な人───それが、紗月に対する凡その心象だった。

曲がったことが嫌いで、何においても、相手が誰だとしてもきちんと筋を通したがる。
何十年も前に絶滅した任侠みたいだと何度思ったことか。

それほど真っ直ぐな性格をしているのに、恐らく伊藤紗月という人間を象る血肉に染みついた彼の癖が、そういった"いい人"たらしめる部分を隠してしまっているのではないだろうかと、勝手に勿体なさのようなものを感じている。
少しでも己の信念に反することがあれば、相手を選ばない物言いと手が出るスピードが特別速くなることで、マイナスな印象ばかりを与えてしまっているのではないか、と。


「ッ、うぇ……ふ、ぅ…ウッ……」


バックヤードの隅に座り込んで、止まらない嘔吐感に抗い続ける。
どっちが左右なのか、前後なのか、床はきちんと平行なのか何もわからない。
視界を通り超えて、頭のなかから世界が回っているような感覚にますます気持ちが悪くなる。

涙と鼻水、唾液で顔を濡らして泣き続けていると、安定しない目の前に紗月が跪いた。
彼の手にはまだ蓋の開いていないペットボトルと、うさぎのイラストが描かれた分包紙が握られている。
先輩キャストがよく飲んでいる薬を、まさかこんなにも早く服用することになるとは思ってもみなかった。


「うぅっ……ヒ、ッ…きもち、わるいぃ……!」
「わかったから一回黙って上向け。…そう、口空けろ」


カリッという音と共に蓋の開いたペットボトルが押し付けられて、同時に上を向かされる。
言葉に従って震える口をなんとか開けば、分包紙の中身が流れ込んできた。
飲みやすいのか、不味いのか、そんなことさえも判別できないくらいに思考が混雑している。
水を飲んで流し込もうにも、体が痙攣して言うことを聞いてくれない。

顆粒を含んだまま何度かしゃくりあげていると、ペットボトルを握る手に大きな手が添えられて、水が飲めるように誘導してくれる。
冷えた水を一度嚥下したことで落ち着きを取り戻せたのか、二口目以降は自らの力だけで呷ることができた。

そうしてペットボトルの中身が半分まできたところで、顔にティッシュが優しく押し付けられた。


「何カッコ悪ィことしてんだよ」
「……ごめんなさい」
「次こんな飲み方したらマジで許さねェからな」
「……はい、ごめんなさい」


濡れていくティッシュの隙間から見えた紗月の顔が、険しいものから呆れたものに変移する。
彼の言うことは尤もで、厳しい言葉も当然のことだ。

法律的に飲酒が許されて半月。
たった半月ではお酒の正しい飲み方なんて身についている筈もなく、その結果、悪酔いして紗月に迷惑をかけてしまったのだ。
───否、紗月だけではない。
今回は最後の卓で潰れたからまだよかったものの、これが序盤ならお店全体に迷惑がかかるところだった。

頭が冷静になればなるほど、自分の至らなさと情けない思いが濁流のように思考を埋め尽くしていく。
今度は違う意味で零れた涙が両頬を濡らした。


「もう泣くなよ」
「だ、だってぇ…!」


幾分か落ち着きはしたものの、アルコールが抜けたわけではない。
脳への指令伝達は相変わらず混雑していて、泣きたくなくても涙が溢れた。
そんな私に付き添って涙を拭ってくれる紗月の眼差しが、酔い潰れた惨めなキャストを柔らかく包み込む。

私を含む女の子には決して手を上げないけれど、彼が力で物を言う場面をこれまでに何度か見たことがあった。
CANDYの客層に相応しくないお客さんだったり、同僚の黒服だったり。
そのたびにお店の用心棒の善さんが間に入って彼を嗜めてはいたものの、いつも紗月が拳を握るに至る根底的な部分は理に適っていた。
キャストやお店を守るため、同僚の黒服を成長させるため、間違いを間違いだと教えるため。
ただのその伝え方が些か乱暴なせいで、見る人が変わればあまりいい印象を与えないだけだ。

本当に、紗月は出会った時からずっと不器用で優しい人だ。


「いつもなら慎重が取り柄の名前だろ。なんで今日は暴走しちまったんだ?」


もう何枚目かもわからないティッシュが、ポンポンと目の周りで踊る。
もうすっかりメイクは落ちてしまっているに違いない。

ティッシュが顔から取り除かれた時、なんとなくメイクが殆ど剥がれた顔を見せるのが恥ずかしくて、私は手で顔の半分を覆いながら鼻を啜った。


「明日、というか、もう今日だけど……」
「おう」
「……紗月、誕生日でしょ?」


頑張りたかった。
紗月が担当しているキャストは、こんなにも売上を出せるんだということを見せつけたかった。


「けど、逆に紗月に恥ずかしい思いさせちゃったなって……今更だけど、気づいた」


話せば話すほど自らの愚行に恥ずかしさを覚え、心臓が嫌な重さを纏ったままドクドクと脈打つ。

目の前で跪いたままの紗月から、ハァと含みのある溜息が零れた。


「名前の言う通り、そんな祝われ方はちっとも嬉しくねェな」
「……ごめんなさい」
「恥ずかしいとかはねェけどよ、お前が俺のために無理すんのはなんか…こう…逆っつーか……」


ヒリヒリする瞼を持ち上げて目の前の黒服を見つめれば、綺麗な眉間に皺を寄せて手の平で項を覆っていた。


「キャストを無理させないための黒服だしな」


彼の耳たぶで、大振りのピアスが揺れている。
泣き腫らしたせいか、私の目にはその周りに光の環が見えた気がした。

持ちつ持たれつなのに、最後には結局私を庇うようなことを面と向かって言ってくれるのだから、やっぱり紗月はいい人だ。

最後にもう一度だけ鼻を啜って、黒いベストの裾を軽く引っ張る。


「誕生日おめでとう、紗月。いつもありがとう」


自分のロッカーにはプレゼントも用意している。
気に入ってくれるかどうかはわからないけれど、その時は売り払ってもらえるようなものにしたし、何の役にも立たないものにはならないはずだ。
私のとっ散らかった感謝の気持ちをくまなく汲んでくれた紗月は、僅かにハッとしたように目を見張り、それからすぐに歯を見せて笑った。


「サンキュ。こっちこそありがとな」


床に散らばったティッシュをかき集めて、けどまじで今後は悪酔い禁止な、ともう一度だけ怖い顔で釘を刺す彼の優しさは、面白いくらいに真っ直ぐ私のなかに潜り込んできた。







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