忘れ物はないかと机の中に手を忍ばせたところで、おや、とその手を早々に引き戻す。
取り出した手のなかを確認すれば、自分のものではない消しゴムが確認できた。

私の通う学校は全日制と定時制が併設されていて、教室も共同で使用していると聞いたことがある。
これは恐らく、夜間にこの机を使っている定時制の生徒の忘れ物だ。

机の中に置き忘れていた旨をメモ帳に綴り、消しゴムのケースに小さく折り畳んだそれを挟んで、目につきやすいよう机の真ん中に消しゴムを置いて帰宅した。

次の日、机の上から消しゴムは消えていて、その代わりに「悪い、サンキュ」と少し雑な字が躍った紙の切れ端が机の端にセロテープで止められていた。
同じ学校に通っていながら、学校生活で関わることのない名前も顔も知らない人とやり取りをしたという事実がなんとなく楽しくて、その日の放課後も「この机、ちょっとだけガタガタしますよね」と書いたメモ帳を同じ場所に貼ることにした。

単なる出来心だった。
返事をもらえたら面白いなという程度で、なかったらなかったできっと何も思わなかったに違いない。
それでも、返事を期待する私も確かにいた。

だから、「おかげで寝にくい」と書かれた紙を見つけた朝は心がじんわりとあたたかくなった。


「ちゃんと授業は受けてください」
「努力はしてる」
「この席、窓からの隙間風寒くないですか?」
「エアコンの風よりすき間風のほうが勝ってる」


そんなやり取りを続けて、私はその日初めて自席に膝掛を置いて帰ることにした。
昼間よりも気温の下がる夜に窓際は可哀想だ。


「膝かけ使ってください」


そう書き残した膝掛だったけれど、翌朝見れば少しも使われた様子はなく、私が帰った時と変わらない様子で椅子の背もたれにしなだれかかっていた。


「使えるか!でもありがとな」


さすがにキャラクターものはだめだったか、と苦笑して椅子に腰を下ろす。
一晩をこの場所で過ごした膝掛を背もたれから取って広げたところで、かぎ慣れない香りがふわりと広がった。

柑橘系の爽やかな匂いに、鼓動が少しずつ加速する。


「……香水かな」


彼の膝の上で使われることはなかったけれど、しっかりと背もたれにはされていたのかもしれない。
文字の力強さと香りの印象が簡単にイコールで結べたことに小さく笑ってから、どうすれば彼と一緒に寒さ対策ができるだろうと思考を巡らせた。





その日はいまだ名前さえわからない彼に何度も思考を絡められた。
気がつけば彼のことを考えてしまい、自分のなかで彼への興味がどんどん膨れ上がっているのだと嫌でも自覚した。

この時期の日没は早い。
長引いた委員会がようやく終わり、薄暗くなった廊下を同じ委員会の友人と並んで歩く。
いつもはもっと明るい時間帯に帰路についているので、なんだか不思議な感覚だった。

昇降口に差し掛かったところで、制服を着用している私たちとは異なり私服に身を包んだ生徒の数が増え始める。
この時間帯が夜間の人の通学時間にあたることを初めて知った。

クラスごとに下足箱が分けられているので、クラスが違う友人と一旦別れて自分のロッカーから取り出したローファーに履き替えてから、友人を待つために昇降口の入口へと足を踏み出す。
正面からこちらへと向かってくる赤いパーカーの男の子の姿を認めて、私は彼の邪魔にならないように扉からずれた位置で立ち止まった。

ふわふわと揺れるオレンジ色の髪が、やけに目を引く男の子だった。
両耳にはたくさんピアスがついていて、腕にも太いアクセサリーが巻き付いている。
”いかにも悪”という言葉が脳裏を掠めて、私はなんとなく視線を足元に落としてやり過ごすことにした。

男の子が、私の横を通り過ぎる。


「───え?」


その瞬間、また私の鼓動が加速した。
膝掛に移った柑橘系の香りが、鼻腔を擽ったのだ。

意図せず漏れ出た声が聞こえてしまったのか、男の子はこちらを振り返って私の顔をじっと見つめる。

なぜか、その表情が驚いているように見えたのは気のせいだろうか。


「名前お待たせ、帰ろ」
「紗月なにしてんの?置いてくよー」


私たちがハッと我に返ったのは、お互いの友人にそれぞれ声をかけられたタイミングだった。
どうしたの?と言いたげな顔で首を傾げる友人に駆け寄って、なんでもないと取り繕う。
その背後で、「あ、ああ」と相槌を打つ男の声が聞こえた。


「名前を聞いてもいいですか?」


そう書いたメモと、私の名を記名したノートを一冊わざと机のなかに置いてきたことを思い出す。

明日の朝。
もし、今聞いたばかりの名前と同じ名前が見慣れた文字で残されていたら、次は思い切って彼に声をかけてみるのも面白いかもしれない。







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