彼が語る地元の話は、いつもどこか違う世界の話のように感じていた。

県内でいちばん大きな駅でも、徒歩数分もしないところに大型の駐車場があるだとか。
繁華街から十数分も歩けば途端に人が少なくなるだとか。
電車に乗って数駅も越さない間にホームの規模が小さくなるだとか。

生まれて一度も都内から出たことのない私からすれば、いまいち想像と感覚がイコールで結ばれない。


「まあ、見ればわかるだろ」


そんな彼の口癖も、いつか叶えられたらいいな、ぐらいにしか考えていなかった。

彼とはバイト先で知り合って、同い年ということもあって比較的すぐに打ち解けた。
3年生に上がるタイミングで、実習が増えるからバイトを変えることになったと彼から教えられた。
要約するところのサヨナラ宣言ではあったものの、同年代にしては落ち着き払っている彼のことは気に入っていたので、突然訪れた別れをとても残念なこととして受け止めた。

ところが、彼はそのあとに「だから」と続けて、僅かに視線を下げて最小限の動きでその言葉を紡いだ。


「連絡先教えて」


初めて見る彼のその表情に、さすがの私も勘づいてしまった。
間髪を入れずに頷いた私は、そこで初めて自分自身も彼に気があったことを思い知らされる。

彼は聞き上手な人だったので、違う大学であることをいいことに、シフトがかぶるたびに愚痴や悩みを聞いてもらっていた。
俯瞰的な視点から的確なアドバイスをくれるものなので、その卓越した観点を不思議に思っていたら、彼は中学と高校の部活でセッターをしていたのだと―――セッターの役割も併せて―――教えてくれて妙に納得してしまった。

合コンに誘われたけど乗り気じゃないと相談した時には、その綺麗な顔を歪めて「行かない方がいい」と言ってくれた時は嬉しかった。
今となっては、つまりそれは彼に気があったからなのだ理解する。

彼がバイト先からいなくなってから、何度かプライベートで会うようになり、まるでカウントダウンのように会うたびにお互いの気持ちを水面下で確認し合った。
医学生である彼は実習で忙しくて頻繁に会えていたわけではないけれど、重ねた三回のデートは間違いなく二人にとってそういう時間だったと思う。

クリスマスの夜に会おうと誘われて、私はそこで、彼は私のイエスで確信した。
まさかクリスマスに付き合うことになるなんて、我ながらこんなにもベタなスタートを切るとは思いもよらなかったけれど。

付き合ってからも彼―――賢二郎が忙しいことに変わりはなく、それは私たちの会える頻度にも言えることだった。


「一緒に住めば解決するな」


同棲の話を持ち出したのは、意外にも賢二郎の方からだった。
賢二郎が大学五年生になり、私が大学を卒業する年のことだ。

社会に出るとますます会える時間が変則的になると不安を零したところ、件の言葉をなんでもない声色で告げられて、あれよあれよという間に同じ部屋に住むことが決まった。
デートのような充実した時間ではないけれど、一緒に住んでいるという事実はデート以上の安心感を生んだ。

もちろん、一緒にいる時間が増えたことで、喧嘩の回数も増えた。
このままお別れしてしまうのではないかと思うようなこともあったけれど、お互いがお互いを理解していたことで我慢できることの方が圧倒的に多くて、別れ話もなくここまで来られたのだ。

振り返ると、どれもこれも幸せだと思える同棲生活だった。

新幹線を降りて、知らないホームを進む。
ホーム周囲に広がる光景も、掲示板に見える広告も、どれも馴染みのないものばかりだ。

頭上の案内板通りにスーツケースを転がして、人の賑わう改札を潜り抜ける。
催しの屋台で視界を遮られて少しだけわかりづらかったけれど、賢二郎から聞いていた"違う世界"の一つを正面に捉えた私は、行き交う人の間を縫ってステンドグラスへと近づいた。

賢二郎の言っていた通り、ステンドグラスは本当に待ち合わせスポットとして利用されているようで、多くの人がその傍で人を待っている様子だった。


「名前」


賢二郎を探すためにスマホを取り出すと同時に、人混みのなかから名前を呼ばれる。
私服姿の賢二郎なんてとっくに見慣れているはずなのに、初めて訪れる場所で見る彼の姿はまるで知らない人のようだった。


「迷わなかった?」
「うん、すぐわかった」


スーツケースを奪い取る賢二郎の表情は、どこかいつもと雰囲気が違っていた。
それを見たことで忘れていた緊張を思い出してしまい、私はスーツケースを持っていない方の腕に擦り寄った。


「嫌われないかな」
「早く会わせろってずっと煩かったし、それはない」
「じゃあなんで賢二郎も緊張してるの?」


数分歩いたところで辿り着いた駐車場で、後ろから回り込んだ車のロックを賢二郎が解除する。
本当に駅からすぐのところに駐車場があるんだ、なんて正直それどころではなくて、私は初めて見る宮城ナンバーの白い車をぼんやりと眺めた。

後部座席のドアが閉まって、入れ替わるように賢二郎の手が助手席のドアを開ける。


「名前との結婚がもうすぐだから」


ン、と顎で乗るように促されて、私は無意味にスカートを正して助手席に乗り込んだ。
賢二郎が運転席へと回っている間一人きりになった車内には、薄らと賢二郎のかおりが混ざった知らない匂いに満たされていて、それだけで今が現実なのか夢なのか曖昧になりそうだった。

運転席のドアが開いて、振動と共に賢二郎の体が車内に滑り込む。


「名前」


言葉なく横を向けば、しなやかな指が顎のラインをなぞり、唇を寄せられる。
癖で目を瞑ってしまったけれど、私は慌てて体を起こして賢二郎の口元を凝視した。


「……よかった」


グロスで多少艶やかにはなってしまっていたものの、リップ自体の色移りは見受けられずホッと胸を撫で下ろす。
ご両親に挨拶に行くと言うのに、その息子の唇にあからさまに色づいているのは嫌だ。

色移りしないものをつけてきてよかったと唇を擦り合わせていると、不満そうな賢二郎の眼差しとかち合った。


「理性的なやつ」
「今そうじゃないとマズいでしょ」


エンジンがかかり、ゆっくりと車が発進する。


「賢二郎」


青々とした木々のアーチを見送りながら、大好きな名前を大切に呟く。


「幸せにしてね」


人通りの少なくなった街並みが、後ろへと流れていく。

知らないお店、景色、言葉。
賢二郎の育った街が、少しずつ私のなかへと溶け込んでいく。

違う世界に思えていた場所が、鮮明に瞼の裏へと焼きついた。


「当たり前だろ」


雲ひとつない青空は、まるで私たちの未来のようだと思った。







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