一瞬の振動と共に、アイコンに重なった赤丸の数字が増える。
アプリを開いて通知元を確認すれば、メルマガや未読のままにしたグループの遙か上にピン留めされた相手からの連絡だったので、その指のまますぐにトーク画面を表示させた。


"会おうぜ"


小さな吹き出しのなかに記された簡素なモーションに、少しの思索を介することなく名前は返事を打ち込んで送信する。

付き合って2年ともなれば、相手の生活リズムもそれなりにわかるようにわかる。
大まかなスケジュールも共有しているので、急な呼び出しであってもそれは相手の空き時間を把握した上でのことだ。
故に先の連絡自体は特に気にもかけないものだったが、その後の内容はさすがに違和感を覚えるものだった。

ものの数秒で付与された既読のステータスの後に送られてきた集合場所に、今度は脳が働いて指が止まる。

提示された集合場所と言えば、恋人の友人───数日前から大学にすら姿を現さなくなった───が間借りしている家だ。
その男はかねてより家業を理由に姿を見せないことはあったが、今回の留守に関しては名前も根拠のない憂いを覚えるほどだった。
長すぎる不在期間、延いては昨日の教員採用試験にも姿を現さなかった事実は、事件性にも似た深刻さを助長している。
これが二度目三度目のことであればまだ受け止め方も違ったのだろうが、4年間の大学生活を棒に振る出来事と言っても過言ではないので、いくらなんでも、という気持ちの方が遙かに勝っていた。

兎に角名前は止めてしまっていた指と思考を動かし、承知の旨を送りながら踵を返した。


「悪ィな、急に呼び出して」


待ち合わせに指定された場所へと赴けば、おおよそ教員採用試験を受けたばかりとは思えない身なりの恋人が目に飛び込んできた。
彼のトレードマークでもある赤いスポーツカーは別の場所に置いてきているのか、身一つでアパートの塀にもたれかかる姿はさながら借金取りのようで、よくぞ通報されなかったと変に安堵してしまう。


「どうせサークル覗こうかなって思ってたぐらいだし」
「それだけ?」
「まあ……朋也にも会いたかったし?」
「俺も会いたかった」


男───朋也は名前の髪へと指を通し、柔らかい手つきで何度か頭皮の上にそれを滑らせた。

整った容姿を過剰に装飾するピアスやドッグタグ、厳ついリング等が朋也への不明朗な印象を与えるが、彼もまた、教員採用試験を受けばかりの人間だ。
教職を目指す朋也は見た目とは掛け離れた大学生活を送り、その努力を実らせるためにここ暫くは試験に向けての対策で多忙を極めていた。
当然、恋人として・・・・・会う回数も意図的に減らしていたし、名前自身も彼の夢のためだとそこは深く理解していた。

こうして会うのは、実にいつ振りだろうか。

付き合ってからはここまで二人が会わなかった日はなかったので、名前はどことなく自身の言動に初々しさを垣間見ていた。
「どこ行くの?」「とりあえず名前ン家」というやり取りにも、ぎこちなさがこびりついているように思える。
煙草のにおいがする服にすら懐かしさを覚えながら、繋がった手の平の温もりに隙間なく寄り添った。

すると朋也は意外にも質素な声で、ぽつりと言葉を零してみせた。


「アイツの部屋に知らねェ女の子がいたんだけど」
「え」
「家主不在だしまじで何してんだろうな」


行方を暗ませている朋也の友人───草太の家に乗り込んだところ、草太本人の口からも聞いたことのない自称いとこの少女が一人、狭い部屋のなかにいたらしい。
その少女は突然血相を変えてその場から立ち去り、姿を消してしまったとのことだ。

その時の状況を淡々と話す朋也に対して、名前がかけられる言葉は精々知れている。


「……試験疲れかなにか?」
「俺もそうであってほしいわ」


久方ぶりの恋人らしい時間に浮かれているのが自分だけと知った名前の気持ちが、しゅんと下を向く。
こうして何事もなく現れる恋人よりも、何日も姿を見せない友人の方が余程気がかりなのは理解できる。
名前が朋也の立場であれば、同じ反応だったであろうことも予想できるのだから。

見た目こそ不真面目な印象を与える朋也であるが、懐の広さや友人への思いは人一倍持ち合わせている誠実な人間と言っても過言ではない。
実際、名前も彼のそういう面に惹かれた。否定はしない。むしろそこが好きだ。

だからこそ、友人の草太と彼女の自分を前にした朋也を見た際に、時折こうして卑しい気持ちが顔を覗かせる自分が嫌だった。
少しくらい、ほんの少しくらい、久し振りに会えたことに喜びを見せてくれてもいいのではないだろうか。


「今日は電車?」
「草太ン家の周り、屋内駐車場ないしな」
「まだ直ってないんだ……」
「忙しかったしなぁ」


とは言え、一向に帰ってこない草太のことは名前も懸念していた。
知り合った順番で言えば朋也よりも草太の方が先だったので、朋也が彼を友人と呼ぶように、名前にとっても草太は友人の一人だった。

友人にすら詳細を言えない家業とは、一体どんな仕事なのだろうか。
一般的な想像力では反社会的なものを連想したくなるが、あの草太に限ってそれはないだろう───と、思いたい───。
いとこが口にしなかったということは、死んでいる可能性は低いだろう。
自分自身を安心させるため、名前は漁船に乗って遠洋漁業に向かう草太の姿を想像しておいた。


「ん?いま揺れたか?」
「え?」


繋いでいた手が後ろに引かれ、足が止まる。
これっぽっちも揺れを感知しなかった名前は、地面に神経を這わせながら名前を手繰り寄せた朋也の胸のなかに飛び込むほかなかった。


「とか言って、ぎゅってする口実───」


朋也の胸板に手を添えたと同時に、二つの携帯から明らかに異常を伝える警報音が鳴り響いた。


「きゃっ!」


名前の体が縦に跳ね上がり、もつれた足のまま地面に崩れる直前で朋也がそれを危なげなく受け止める。
逞しい腕が名前の頭に絡みつき、そのまま道路の真ん中へと導いていく。
住宅街だったことが幸いし、通り抜ける車もバイクもない。
どこからともなく、瓦やブロックが落ちる音が聞こえてくる。


「おさまった……?」


強い揺れはものの数秒で落ち着きを取り戻したが、身の危険を感じる程の地震は初めてのことだったので、名前はいまだ暴れる胸元を強く押さえつけた。


「名前、無事か?」
「う、うん、守ってくれてありがとう。朋也も平気?」
「ああ、試験に出たとこ一瞬でフラッシュバックしたわ」


乾いた笑いと共に吐き出されたそれは、名前を安心させようとする思惑が存分に透けて見えていた。
朋也の気遣いに甘えるように小さく笑い、ややあって徐に花柄の服に額を押しつける。
名前の素直な行動を取っかかりとして、朋也の両腕が華奢な体にまわった。

恋人の代わりは探せるが、友人の代わりは探せない。
言葉こそ悪いが、名前の基本的な考えはこうだ。
恐らく朋也もその考えは同じだろう。

その反面、恋人でなくては満たせないことがあることも事実だった。

尾を引く恐怖心で強張った心を溶かし、温かな抱擁で落ち着きを与えられるのは、どう考えても朋也にしかできないことなのだ。


「……会いたかった」


髪から覗く小さな耳元に触れたままの唇が、真剣さを帯びた声色をダイレクトに伝えた。


「それさっきも聞いたよ」
「ムード」


ふざける名前に向けられる声は、なんでもない些細な戯れに付き合う。

名前は再び朋也の手に触れ、平常を取り戻した住宅街を歩き出す。
暫くすれば合わせていただけの手の平がスライドし、どちらからともなく互いの指が絡み合った。


「俺、明日草太のこと探しに行くつもりなんだけど、名前も来いよ」
「心当たりあるの?」
「ねェけど、いとこカッコ仮がいれば草太も見つかりそうな気がするんだよな」
「その見た目で未成年連れ回すのはやばいしね。私も行こうかな」
「理由それかよ。つか自分の彼氏の見た目ディスんなよな」


教職を目指している者として、メラビアンの法則を知らないとは言わせない。
そんな気持ちを込めて朋也をじとっと見上げれば、なんだよ、とでも言いたげな眼差しが丸いレンズの下から寄越された。


「私の彼氏はこんなにもかっこいいんだけどなぁ」
「……今それ言うかよ」
「いつも言ってるでしょ」
「いや、まあ……そうだけど」


近寄りがたい見た目をした朋也の両頬が、僅かに赤く染まる。

名前から見た芹澤朋也という男は、とにかく内面が賞賛に値する男であった───もちろん容姿も美男子だとは思うが、服装や装飾品のせいで手放しにそうだとは言いがたい───。
友人から万単位の金を借りっぱなしではあるが、そこは朋也と草太の信頼関係に免じてご愛嬌だとカテゴライズしてしまう。

どこにいるのかもわからない友人のためなら、行き着く先があの世だとしても赤いスポーツカーを走らせるに違いない。この男は。

そんな人を彼氏に選んだのだから、彼女に選ばれたのだから、名前に残された選択肢はどこまでもついて行くということだけだ。


「明日のプレイリストに入れてほしい曲ある?」
「うーん、Sweet Loveかな。大橋純子の。ちゃんと懐メロだよ」
「へえ、初めて聞くわ。なんで?」
「ヒミツ」


夕焼けに染まる空の下で肩を並べて歩く二人の姿にこの曲が重なったことは、きっと言わずとも明日にはバレてしまうのだろう。

こちらを見てニヤッと笑う男の顔は想像に容易く、名前は嫌みのない溜息を吐いてから先走る照れ隠しで二の腕に側頭部を押し付けた。







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