「煮付け、美味しかったよ」
「ありがとう」


その日の夜、食卓には九太の作った煮物が並んだ。
副菜は名前が作ったものだが、主菜の煮物は九太が初めて作ったものだ。

食事の最中にも美味しい美味しいと引っ切りなしに口にしていた名前だが、食事が終わった今でもこうして感想を伝えてくれる。
名前の素直な優しさに慣れない九太は、再び顔を紅潮させ俯いた。


「はい、お顔見せて」


俯いたところで指先が顎に添えられ、ついっと上を向かされる。
想像していた以上に近いところに名前の青い瞳があったもので、びくりと九太の肩が跳ねた。

市場から戻った九太は、その顔に細かい傷を作って帰ってきた。
驚いたのは百秋坊も同じだったが、怪我の理由を聞いて怒りを露わにしたのはやはり名前だった。


「二郎丸ひどいよ!」


今にも猪王山の家に向かって走り出しそうな名前を押さえ込み、九太の口から"大丈夫"を聞くまでそれは苦労したものだ。

九太が作った傷は夕方に帰宅した熊徹の目にも触れ、反撃の一つや二つもできなかった弟子を呆れ顔で嘆いた。
そのことで九太にも火がついたのか、猪王山と熊徹を比較して述べられる愚痴―――猪王山がいかに偉大で、熊徹がいかにだめな男であるかということがありありと分かる内容だった―――に熊徹の怒りが爆発しないわけがない。
そんな熊徹は今、多々良につれられて外で頭を冷やしている頃だろう。

そして、食事の後片付けを終えた九太は、名前に怪我を診てもらっていた。


「チコはどこもケガしてない?」
「こいつは大丈夫だよ」


熊徹もなかなか傷の絶えない男だったので、名前の手際はとても良かった。

いつもなら絶対に体験しない距離にある名前の顔を、ここぞとばかりにまじまじと観察する。
青いばかりと思っていた瞳は、よく見ると薄っらと緑がかっていた。
青と緑が混ざったような色だったので、だから光の加減によって印象が変わったのかと納得する。
髪の毛の色は、やはり金色一色。
フライパンに落としたバターのようなそれは、いつもふんわりとした花のような香りを漂わせている。
睫毛の色も、髪の毛と同じ。

改めて見ても、何度見ても、思うことは同じだった。


かわいい。


そう思った途端、いつもと同じように首筋がカッと熱くなる感覚が走り、九太は慌てて視線を他の場所へとやった。
その視界に、家へと戻ってきた熊徹と多々良の姿が映り込む。


「明日の早朝。荷物纏めておけ」


ちょうど絆創膏を貼り終えた九太に向かって、熊徹がそう簡潔に告げた。
その手にした封筒の束を見て、百秋坊は昼間の宗師の言葉を思い出す。

"その時"
恐らく、宗師の言っていた"その時"とは、この時のことだろう。

熊徹に告げられた宗師の言葉は、九太を連れて諸国を巡る旅に出ろ、とのことだった。

かくして五人は、各地の宗師に強さを問う旅に出ることとなった。

奇妙な旅の幕開けである。





夜明けと共に出発した熊徹一行は、西遊記よろしく各地を巡り巡った。

その道中でも熊徹は九太に弟子としてのあり方を求め、猿のように木の上を移動したり、とてつもない速さで石段を駆け上り、まさしく熊のように川魚を素手で捕らえていた。
当然人間である九太がそんな試練にすぐさま適応できるわけもなく、木にしがみつくのに必死で、息を荒げながらなんとか石段を登り、熊徹の投げ飛ばした川魚に顔面をぶつけていた。

一方名前はと言えば、熊徹ほどは速くはないが、木の枝を飛び移ったり足だけで石段を素早く駆け上っていた。
そんな様を見せられてしまえば、名前もバケモノなんだと思わざるを得ない。
ただ、川魚だけはその辺で擦れ違った釣り人から借りた釣り道具で捕らえていたが。

そんな珍道中が繰り広げられながら、見事賢者との邂逅を果たした。


一人目の賢者は言う。
腕っ節は強くはないが、幻を作り出すことができる。
幻は時として真実よりも真なり。
これ即ち―――強さなり。

二人目の賢者は言う。
強さを求めて何になる。
念動力を嗜んだところで、いくら強さを誇っても勝てぬものがある。
それ即ち―――腰痛には念動力は効かぬ故、腰を擦ってほしい。

三人目の賢者は言う。
強さを私に問うのは筋違い。
時を忘れ世を忘れ自分自身をも忘れ現実を超越するために、雨の日も風の日も石のようにここに座っているだけ。
即ち―――そうして、賢者は石になってしまった。

四人目の賢者は言う。
特訓などしない。
誰よりも速く獲物を釣り上げ、世のあらゆるものを味わった者勝ちだ。
隙あらばむしゃぶりつけば良い。
これ即ち―――賢者の釣り糸に引っ張り上げられた多々良の服が、賢者の大きな口に捕らえられた。





「強いって色んな意味があるんだな。どの賢者の話も面白かった!」
「じゃあ机にちょこんと座ってお勉強でもしてな」


燃えるような夕日を背に、九太は興奮した声を弾ませていた。

海驢の賢者にあわや食われかけた多々良は先ほどから不機嫌そのもので、目を輝かせる九太の言葉にでさえいつも以上に突っかかる。
そしてその言葉を皮切りに、九太と熊徹の言い争いが始まった。

いつもなら真っ先に止めに入る百秋坊も、さすがに疲労が出ているのか弱々しい声で呆れるだけだった。


「ねえ、お父さん」
「アァ?何だ」


熊徹の履き物をちょいちょいと引っ張った名前の声は、ぎこちない空気を幾分か和らげた。


「わたし、この人に会いたいの」


名前は斜めに提げた鞄の中から手繰り寄せたものを熊徹の手に握らせる。
握らされたものが手紙だと気付いた熊徹は、一旦立ち止まりその封書を広げた。
文字を追うように、赤い瞳が上下に忙しなく動いている。


「…なんでお前ェがこんなモン持ってんだ」
「お前が宗師様より紹介状を授かった日に、名前のところにも宗師様がいらしてその紹介状を下さったんだ」


助け船を出したのは、あの時現場にいた百秋坊だ。
最後尾を着いて歩いていた百秋坊だったが、多々良や九太を追い抜いて名前の隣に肩を並べる。

熊徹は不信感を露わにしたそれで封書を一瞥し、百秋坊と名前を交互に見やった。


「なんで名前に」
「名前の種が分かるかもしれない」
「はあ!?マジでか!」


百秋坊の言葉に、誰よりも驚いていたのは多々良だった。







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