ここ最近、熊徹のバイト業が多忙を極めている。
熊徹と名前の二人分だった生活費が、先日から三人分に増えたことが原因なのは言うまでもない。

2、3日家を空けると言って熊徹が出て行ったのは、昨日の修行初日の後すぐだった。


「名前、今日の買い物は?」
「今日は1週間に一度の大掃除だから、お買い物は午後から行くよ」
「それ、おれが行く。あと、その1週間の掃除っていうのも教えて」


ニワトリ小屋の掃除を終えた名前が戻ってくるや否や、九太は名前に詰め寄り家事の教えを請うた。
九太のやる気に満ちた眼差しに、何があったのかと戸惑った名前は百秋坊を見やる。
恐らく、動機付けは百秋坊だろう。

起き抜け一番に、九太は百秋坊に弟子のいろはを訊ねたらしい。
それに対して百秋坊が説いたことと言えば、掃除、洗濯、炊事―――家事全般だった。

なるほど、と名前は頷いた。

何にせよ、九太が弟子としての意識を強く持ってくれたことは嬉しい以外のなにものでもない。
名前は満面の笑みを浮かべて、物置区画に置いてあった籠を手に取って息巻いた。

洗濯板を使った服の洗い方。
服の干し方。
水を使った室内の掃除のしかた。

水作業を行う際は、できる限り午前中に行った方がいい。
ニワトリ小屋も、今日のように定期的に掃除をして清潔を保つこと。

そうして、名前は事細かに九太に物事を教えた。
今まで家事はすべて名前が行っていたので、この家の家事に関しては名前が誰よりも極めている。

九太は、自分の手によって部屋が綺麗になっていくにつれ、心の内が清々しくなるのを感じた。
それと同時に、こんな重労働を今まで名前一人で行っていたのかと思うと、何だか頭が上がらないような気がした。

なんとか午前中の間に水作業を終えた九太は、名前から必要なものが書かれた紙と財布を受け取り、背中に籠を背負わせてもらった。
いつもは名前の背中にある背負い籠だ。

階段を降りて市場に向かう九太を見送った名前と百秋坊は、庭先で一服していた。


「名前、昨日の修行の後、何か九太を焚き付けたか?」


ニワトリの頬を指で掻きながら冷茶を啜る名前に、ふと百秋坊が問いかける。
名前はその丸い目を持ち上げ、昨日のことを思い出すように彷徨わせた。


「アドバイスはした…かなあ?それ以外はなにもない、かも?」
「やけに疑問系だな」
「だって、九太のやる気は絶対にわたしが何かしたからじゃないもん」
「なるほど」


傍観をしていると、どうやら名前と九太は百秋坊たちが思っている以上に親密な仲のようだった。
とは言っても、大人三人と比べると、の話だが。
同い年で、更にはこのバケモノが溢れる世界で見た目も同じとくれば親近感も沸くだろう、無理もない。

二人の足元を、夏のぬるい風が吹き抜けていく。


「わしにも一杯くれんか」
「宗師様」
「あーよいよい、座ったままで」


突如現れた宗師にお辞儀をしようとすれば、ホホホと朗らかに笑いながら手で制される。
百秋坊は新しい湯飲みに冷茶を注ぎ、名前の隣に腰掛けた宗師に手渡した。


「相変わらず、ここからの眺めは最高じゃな」
「わたしと九太のお気に入りの場所です」
「ほう、名前は随分とあの人の子と仲が良いな」
「だいじな友達です」


宗師と話すときの名前は、喋り方がなんともぎこちなくなるので聞いていて愛くるしい。
同年代の子に比べると少し幼い口調の子が、精一杯の敬語を使っているのだ。
それでもすんなりと聞き取れるのは、その言葉を紡ぐ声が様々な色を乗せるからだろう。

宗師は茶を一口啜り、友は大切にすることじゃ、と優しく諭旨した。


「―――ところで名前、お主、自分の種を知りたくはないか?」
「え…?」


種。
それは、澁天街に住む者を振り分けている種類のこと。

種類と言っても差別的な意味は一切なく、例えば熊徹ならば熊、百秋坊なら豚、と言った大まかな括りのことである。

熊徹に拾われてから約6年が過ぎたが、毎日顔を合わせる三人ですら、名前の種を知らなかった。
何故なら、名前が一度も種の外的特徴を見せたことがないからだ。

身体的特徴と言えば、足の速さ、嗅覚の鋭さくらいだろうか。
しかし様々な動物的能力を携えたバケモノが住むこの澁天街において、それらはあまり大した足掛かりにはならない。


「宗師、まさか何かご存知で…」
「知り合いにな、一人心当たりがあってのう」


6年間、謎に包まれていた名前の種がわかる手掛かりが見え始めた。

少なからず、百秋坊は名前の種について少しは調べ回った身だ。
熊徹や多々良はあまり興味を持っていなかったが、百秋坊だけは違った。

名前は、確かにバケモノである。
にも関わらず少女は人間と何ら変わらぬ見た目を成し、バケモノのなかに紛れ込んでしまう。
百秋坊にとって、名前は不思議な生き物だったのだ。

今では名前自身とふれ合うことにより、名前が何の種であっても―――例え、それが人間であっても、だ―――問題ない。

それが、今になって現れるとは。

名前も自身の種が知りたいのか、唇を噛み締めて宗師に詰め寄った。


「知りたい!…です!」
「これ、名前」
「よいよい。探究心は時として思わぬ武器を得、また己を知ることにより得られるものもある」


無礼な態度を窘めた百秋坊に、宗師は穏やかに首を振る。
子供の遠慮のない好奇心は見ていて気持ちが良い。

茶を飲み干した宗師は、懐から一封の封書を取り出して名前の手に握らせた。


「とある賢者の紹介状じゃ。
 今宵、熊徹にも同じものを寄越すつもりじゃが、熊徹に渡すものは九太のためのもの。
 しかし名前、これはお主のためのものじゃ。その時が来たら使うといいぞ」


名前の小さな両手が、封書をしっかりと握り締める。

宗師の最後の言葉は百秋坊にも向けられていて、百秋坊は僅かに頷いた。
その時が来たら、名前を手助けしてやってほしい、という意だ。

宗師は身軽なそれで長椅子から飛び降りて、ヒラヒラと手を振った。


「それじゃあわしは一旦帰るとしようかの」
「宗師さま、ありがとうございます!」
「頑張るんじゃぞ」


立ち去る後ろ姿にお辞儀をした名前に、茶目っ気たっぷりな声色が返ってきた。
名前が上体を起こす頃には宗師の姿はそこにはなく、蝉の鳴き声だけが抜けるように響いていた。

椅子に座り直した名前は、手の中の封書をじっと見つめる。
封書に落とされた眼差しと言えば、嬉しそうな、不思議そうな、なんとも説明のつけづらいそれだった。


「良かったな、名前」
「うん…」
「念のため、熊徹には"その時"が来るまで黙っておこうか」
「うん…」


見事なまでの生返事に、百秋坊は思わず苦笑した。
かく言う百秋坊も、一時期とは言え知りたがっていた情報が得られる可能性に、人知れず心が躍っていた。

最後の茶を啜ったところで、市場から帰ってきた九太が姿を見せたものなので、百秋坊は湯飲みと急須を片付けた。







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