気が乗らない日、とは誰にでもあるものだろう。
起き抜けから体中を取り巻いた倦怠感は、時間が経てども消えることはない。
そんなものをズルズルと引きずりながら登校し、心ここにあらずの状態で授業を受けた仁王雅治は、ようやく3時間目を終えたところだった。

終業のチャイムが鳴るや否や教室から姿を消した仁王の足は、教師の姿が少ない道を選びながらふらりふらりと校舎から離れていく。
このまま昼休みまでサボタージュだ。
一度心に決めてしまえばその意思が覆ることもなく、罪悪感もない。
むしろ3時間目まで出席したことを褒めてほしいくらいだ。

次の授業は移動教室のため、教室から出て行くこと自体になんら不自然さはない。
現に、同じクラスの生徒たちが次の教室がある校舎へと吸い込まれていく姿がここからでも見受けられた。

そんな集団とは違う方向へと向かいながら、仁王は寝心地の良さそうな場所を探し続ける。
夏までまだ2ヶ月ばかり猶予があると言うのに、ここ最近の気温は滅法高く、暑さを苦手とする彼は正直辟易していた。
今の仁王にとって大事なことは、真面目に授業を受けることよりも、暑さをしのげる場所を見つけることだった。

先日見つけた校舎裏にでも行ってみようか。
中等部時代には知り得なかった高等部の校舎。
進学早々、姿を眩ませられる場所はないかと探索していた際に、偶然見つけた場所だ。

そうと決まれば、上履きのままの足は一直線にそこを目指す。


「───お」


ふと、沿道の茂みから1匹の猫が姿を現した。
見かけない野良猫だった。
学校ここにあるべきものではない存在は、一際その光景から浮いていて、仁王の目を惹きつける。
猫の方はと言えば、仁王と目が合ってもさして気にした様子はなく、我が物顔で踊るように右向け右をして歩き出す。
その行き先が自分と同じだったこともあり、仁王自身も無理に構おうとはせず、猫の尻を追いかけるように再び歩みを進めた。

猫の方が数メートル先にいたので、校舎の陰に隠れて姿が見えなくなるまでに時差があった。
再び猫が右に曲がったことにより、眺めていた尻尾のない光景に物足りなさを覚える。
急いて後を追うように校舎を曲がったところで、思わず歩みを止めてしまった。

優雅に歩いていた猫の足が速まり、辿り着いた先にいた人物の足下にまとわりつくように擦り寄ってから、猫本来の俊敏さをもってその体をよじ登っていく。


「ミャーコ、元気?」
「みゃあ」


初めてお目にかかった野良猫には、既に懐いている相手がいたらしい。
野良猫を"ミャーコ"と呼んだ女子生徒の顎の下に額や鼻先を押しつけ、撫でろ、構え、とみゃあみゃあ鳴く。
だからミャーコなのかと納得したところで、相手の双眸がこちらの姿を認識した。


「あれ、仁王くん?」


そう名前を紡がれてしまえば、海馬を働かせざるを得ない。
家族や部員以外の存在には割と淡泊な仁王だったが、目の前の女子生徒のことは比較的すんなりと思い出せた。
なぜなら、自身の親友の旧友だったからだ。


「よう───名字さんもサボりか」


感嘆詞の間になんとか思い出せた名前を紡ぎ、意外やのう、と言葉を付け加える。

意外、は本心から出たものだった。
あの真面目を絵に描いたような柳生の旧友ともあれば、同じく真面目を絵に描いたような人間なのだとばかり思っていたからだ。

しかし、僅かに角度の上がった眉尻を見て、しまった、と思う。


「"も"ってことは仁王くんはサボりなのね?授業はちゃんと受けないと、だよ」
「───柳生バージョン女、じゃ」


やはり、彼女は仁王と同族ではなかったらしい。
柳生の旧友という情報に踊らされてしまった。
否、今のは完全に自身の失態なのだが。

こわ、と口にしながら、視線を腕の中の猫に向ける。
仁王の眼差しに気付いた名字は、ミャーコの顔が見えるように少しばかり体の向きを変えた。


「この子、野良なんだけど、勝手にミャーコって呼んでるの」
「ミャーコ」
「あ、ううん、ミャーコじゃなくて"ミアコ"。どうしてもミャーコに聞こえちゃうから、ミャーコでもいいんだけどね」
「適当やのう」


再び、意外じゃ、という言葉が尻についた。


「だって、その名前を呼ぶのは私しかいないもん。きっと他の人は違う名前で呼んでるだろうし、この子にとったら"ご飯の合図"が色々あるだけだしね」
「エサ、あげとるんか?」
「ううん、あげてないよ。あげてないのに、なぜか懐かれちゃった」


野良猫にエサをやるのは無責任ですよ、と、以前柳生に言われた言葉を思い出す。
今は、彼女の声でその言葉が再生された。
今日は猫にあげられるようなものを持っていなくて良かった、となぜか安堵のため息が漏れた。


「それより仁王くん、次の授業は?」
「ああ、わかったわかった。出るから、あんま柳生みたいに詰めんでくれんか」


同年代に窘められるのは癪だ。
もちろん、相手が正論を述べていることはわかる。
それでも、同い年に注意されると居たたまれなくなるのだ。

少しばかり苛立ちが燻り、ふいと視線を逸らす。


「え?出たくないなら無理に出なくていいんじゃない?」
「───は…?」


半ば逆ギレのように突っぱねたところで、予想もしなかった言葉が返ってきた。
それに返事ができたのは、間抜けな自身の感嘆符だけ。

逸らした視線を再び名字へと向ければ、ミアコにねー?と首を傾げながら同意を求めているところだった。


「3年生になった時のことを考えたら出た方がいいんだろうけど、その人にはその人なりの理由があるわけだし、それは私が強制することじゃないでしょ?」


私も内申のために出てるだけで、サボりたい日なんていっぱいあるよ。
あ、これ、柳生には言わないでね?


名字の最後の一言を、きちんと聞き届けられたかは定かではない。
たった数分の間に"意外"という言葉を何度用いただろう。


「柳生はみんなの将来ためを思って口煩く言ってるけど、結局大事なのは"今"なんじゃないかなって私は思うんだ。
 "今"無理をして将来いい思いをするのか、どうなるかもわからない将来のために"今"を無理するのか…もちろん、柳生のことを非難してるわけじゃないよ?自分のことじゃない、他人のためを思って嫌われ役になれるのってすごいことだし、それが柳生のいいところだから」
「俺もそれはよう思う」
「うん、仁王くんがそう思ってくれてるのが1番嬉しい。親友なんだもんね、ありがとう」


そう言って名字はミアコを地面に下ろし、仁王に向かって手を振った。


「じゃあ、もう次の授業始まるから」
「…おう」


小走りに校舎へと向かった後ろ姿を見送った後、毛繕いをするミアコに手を伸ばしてみる。
今日は生憎エサを持ってはないなが、エサを与えていない名字にあそこまで懐いていたのだ。
人懐っこい猫なのかもしれない。

伸びてきた手に、考えるように動きを止めたミアコは、冷酷にも目も合わせぬまま再び毛繕いを始めた。
今まで野良猫に懐かれなかったことがない仁王は、面食らったように目を丸くした。


「───お前さん、あいつに似とるの」


恐らくこの猫は、誰にでも懐くわけではないらしい。
仁王がエサを持っていたとしても、きっと懐くことはないだろう。

まずは、この猫のことをよく知るべきだ。


「またの、ミアコ」


そう言ってポケットに手を入れて立ち上がった仁王は、従来の目的であった場所とは正反対の校舎へと入っていった。







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