その曲を聴いた途端、一瞬にして頭の中を違和感が占拠した。
女の勘、とでも言うのだろうか。
私は子供の頃から音楽が好きだ。
鑑賞はもちろんのこと、歌うことも。
音楽が趣味と言っても過言ではないので、そうなると好きなアーティストはたくさんいて、その中でも特にお気に入りの人や曲もいくつかある。
更に細かく分ければ、そのお気に入りの人や曲も季節や時期によって様変わりをする。
最近では、好きなアーティストのなかでも1番最近出会ったバンドの曲をよく聴いている。
まあ、聴き始めなんて大体そんなもので、新曲や初めて聴く音楽は結構長い間繰り返し聴いていられる。
そんな私を魅了して離さないバンドについて、驚くべき事実が一つだけあった。
事務所には所属しているものの、まだメジャーではないバンドFairy April───通称フェアエプが私の最近のお気に入りなのだけれど、メンバーの顔を初めて見た時は心臓から声が飛び出るような思いだった。
七瀬一真。
私が高2の頃から片思いを続けている人。
そんな彼が、Fairy Aprilのギターであり、あの曲を作り上げていたなんて誰が想像できただろう。
クラスが違うので元よりそんなに話す間柄でもなかったけれど、少なくとも私にとって彼は特別だった。
高2の春、満員電車で痴漢に遭っていたところを助けてくれたのが七瀬くんだった。
そのまるで少女漫画みたいな展開に、同じく少女漫画脳の私がいとも簡単に恋に落ちたのは説明するまでもない。
それ以来、見かければ軽く会話をする程度の関係にはなれたものの、まさかここまで彼のことを知らなかったとは。
1年も片思いをこじらせておいて、その関係の進展のなさに自分でも情けなくなる。
そんな時に発表されたフェアエプの新曲は、奥手な私に容赦なく追い打ちをかけるものだった。
妙に説得力のある歌詞が印象的なその曲は、所謂ラブソング。
今までのフェアエプと言えば、どちらかと言えば自分たちを表すような曲だったり、応援ソングのような曲を歌っていた印象が強い。
だからこそ、突如現れたその妙に生々しい恋愛を綴った曲に、不意にネガティブな感情が渦巻く。
当然のことながら、作詞作曲の横には七瀬一真の四文字。
経験がなければわからないこの歌詞は、七瀬くんの経験に基づいて書き上げられたという事実を表していた。
新曲を聴けて嬉しいという感情の側面で、"嫌だな"と思うそれと唐突に生まれた違和感が顔を覗かせている。
今までは自分たちや聴く側を鼓舞するような元気な曲ばかりだったのに、少しずつ恋愛要素を混ぜ込んでいくわけでもなく、急に、こんな。
女の勘は正直あまり信じていないけれど、こういう時にだけ妙に冴え渡った頭が嫌になる。
「…好きな子が、いるのかな」
声に出した途端、七瀬くんには好きな子がいる、という思い込みがより一層強くなった気がした。
口に出せば少し楽になると思った自分がバカだった。
そんな新曲との出会いから数週間経った今でも、私はあの時の負の感情を引き摺ったままで、なんとなく色の薄くなった毎日を過ごしている。
あんなにも鮮やかだった景色が、今ではくすんだように見えた。
「名前、元気ないね」
「…そうだね」
よっぽど外面も落ち込んでいるのか、ついに友達からの指摘が入る。
「なにがあったのかわかんないけどさ、名前の元気、取り戻してあげよっか」
この子ならできそう。
そう思った数秒前の私をなかったことにしたい。
自動販売機から目当ての飲み物を取り出して、教室に向かう私の目の前に突き出された1枚のチケット。
細長い紙面には、今の私が最も敏感になっている固有名詞が書かれていた。
「今度ライブがあるんだって!」
知ってる。
フォローしている公式のTwitterが毎日のようにその情報を流しているから、通知欄は彼らのライブのお知らせでいっぱいだ。
知らないはずがない。
チケットを見た途端に顔を歪めてしまったのだろう。
持ってきた本人が「えっ」と驚きの声を上げた。
「どうしちゃったの?フェアエプだよ?名前の好きなフェアエプだよ?」
「フェアエプは好きだけど好きじゃない」
「意味わかんない」
そこまで言って、察しの良い友達は私がこうなっている原因はフェアエプにあるのか、と一人で頷いた。
「名前さ、七瀬くんのこと好きじゃん」
「…うん、好き」
「じゃあこのライブは行ったほうがいいよ」
私が七瀬くんを好きなことと、フェアエプのライブに行くことに何の関係があるのだろうか。
私の言わんとしてることまで読み取った友達は、私の腕を引いて廊下の隅に寄ると、口の横に手を添えて声を潜める合図を送ってきた。
「名前に渡してくれって言われたの、七瀬くんに」
「……え?待って、何を?誰が誰に?」
「チケットを!七瀬くんが、あんたにっ」
後半だけ声を潜めた友達の言葉を、頭の中で反芻させる。
七瀬くんが?私に?チケットを?
自分がフェアエプのメンバーであることさえ告げていなかった七瀬くんが、なぜ今更になって、それも、こんな遠回りな方法なのだろう。
「これは私が言うことじゃないわ」
とにかく行きなさい、と言いながらチケットを手に詰め寄ってきた友達に、思わず足が二歩、三歩と後ずさった。
「あっごめんなさ───」
「おう」
後ずさった先で人とぶつかり、謝りながら振り返ったところでピシリと時が止まる。
つい最近までは会うといちいち胸が躍っていたのに、今となっては最も会いたくない人がそこに立っていた。
一瞬でも七瀬くんの胸に後頭部を預けるような形になってしまい、蹈鞴を踏むように慌てて身を離す。
「お前、そのライブ来いよ」
「……なんで?」
七瀬くんは私がフェアエプが好きなことを知っているのに、きっと私のほうからそのことに触れるまで自分からは言わないつもりなんだ。
だから、少しだけ意地悪な質問をしてしまう。
「そのライブの後、名字に言いたいことがある」
後ろから、友達の「うわっ…!」という絞り出すような声が聞こえた。
それでも、私は七瀬くんから目が離せない。
その赤くなった頬につられて、私も自分の顔が熱くなるのを感じた。