名前の頭の中には今、昨晩見た本日の星座占いの内容が一文字ずつ浮かび上がっていた。


思わぬ出会いが、思わぬ方向に発展するかも。


はじめは「なんだそれ」と意味のわからないものとして記憶から早々に排除してしまったのだが、目の前の人物を見た途端、占いの内容を思い出すよりも先に心臓が期待するように高鳴ったのはしかたのないことだった。


「ユリエちゃん…!」
「まあまあ名前ちゃん、女の子がそんなに大きな声をあげるものじゃないわ」
「───…な、なんで…佐和がいるの…?それに、ミーちゃんとハルくんもいる…!」


自室で身だしなみを整えた名前を共有スペースで待ち受けていたのは、見慣れない制服に身を包んだ見明佐和の姿だった。

動揺しながらも咄嗟に園長のユリエを捕まえた名前は、飛び込んだ死角で先ほどから頻りに「なんで」を繰り返しながら質問の雨を降らせる。
ユリエいわく、今日だけに限らず時々顔を見せに来ているらしいが、今日も偶然そんな日だったのかと悠長に構えることはできなかった。

佐和がここ"たからもの園"を去ったあの日から、今まで一度も彼の姿を見た日はなかったのだ。
それこそ、ユリエの言う顔を見せに来ている日でさえ、気配さえ残さずに訪れては帰って行く。
だから今日までそんな事実も知らなかったので、名前からしてみれば"突然"現れた佐和に動揺が隠せないのだ。

最後に見た姿よりも更に背が伸び、体つきもがっしりとしていた。
一瞬視界に入れただけにも関わらず、ここまで観察できた自分が嫌いになりそうだ。

佐和がたからもの園にいた頃から、名前は佐和のことが好きだった。
それはたからもの園の家族みんなに言えることなのだが、名前の好きは列記とした恋慕のそれだ。
それがいつから始まったのかはもう覚えてはいないが、少なくともこの片思い歴は自覚する前も含めれば短いものではない。

好きだった存在がたからもの園から離れていったことが受け入れられず、それから暫くの名前は傷心に打ちのめされていたというのに。
こうも簡単に、あの男は再び現れたのだ。


「名前ちゃん、佐和くんこと大好きだったものね。
 挨拶でもしてきたら?」
「………やだ。
 バイト、行ってきます」


そう?と少し寂しそうなユリエの声に背を向けながら、名前は裏口を使ってたからもの園を飛び出した。

会いたかったのは事実だ。
佐和が出て行ってから、彼のことを考えなかった日はない。
風邪をひいた日には額に触れる手を思い出し、クリスマスパーティーの日には折り紙で作ったプレゼントを交換し合ったことを思い出す。

365日24時間一緒に生活をしてきたのだ。
名前の"日常"には、いつも佐和がいることが当たり前だった。

高校にあがると同時にアルバイトを始め、稼いだお金で携帯を契約した。
今のご時世、携帯を持っていない高校生は案外と浮くもので、学校の友人と馴染むための努力を重ねているのだ。
施設にWi-Fiは飛んでいないので、毎日使用量と睨めっこをしながら、限られたなかでネットの世界を存分に楽しむ。
友達との連絡だったり、SNSだったり。

そんな情報の海のなかで、佐和の姿を見つけた。
当然、彼のファンだと言う存在も然り。

声優として少しずつ活動の域を広げている佐和の姿を見て、途端に今までどう彼と接していたのかがわからなくなり、上手く話せる自信を失ってしまった。
声優のたまごである見明佐和と、ただの一般人の名字名前。
名前を並べるだけで近寄りがたくなる。

だから、逃げるようにたからもの園を飛び出してきてしまったのだ。

今日のバイトは夜までのシフトだ。
名前が帰る頃には佐和たちも帰っているだろう。
巴や陽人とは話したかったが、佐和が隣にいる以上致し方ない。

残念な気持ちと、安堵した気持ちにジレンマを感じながら、名前はバイト先へと足を向けた。





名前の頭の中には再度、昨晩見た本日の星座占いの内容が一文字ずつ浮かび上がっていた。
今度ははっきりと、一字一句。


「ユリエちゃんから聞いてた時間よりも、ずいぶんと遅いみたいだけど?」
「あ…バ、バイト先の人と…話してて…」


絞り出すように告げれば、その男はふうん、と鼻を鳴らした。

なぜ、彼がここにいるのだろうか。

嘘は述べていない。
バイト自体はシフト通りに上がったのだが、更衣室で一緒になった同い年のバイト仲間に話しかけられ、そのまま従業員専用の休憩室で話し込んでしまった。

まさかこうして、バイト先の前で佐和が待っていたとも露知らず。

迎えに来て欲しいと頼んだ側でもなければ、頼んだ記憶もない。
だと言うのに、こうも罪悪感が沸き上がるのは、それはきっと相手が佐和だからだろう。

首の後ろが削られるような感覚と、突然やって来た"話せる機会"に顔を上げられないでいれば、そんな名前の緊張感に構うこともせずに左手をしっかりと握り込まれた。


「ほら、帰ろ」
「う、うん…おに───」


慌てて口を噤む。
不自然に言葉を切った名前に対して、佐和が言及してくることはなかった。

名前が佐和のことを"お兄ちゃん"ではなく"佐和"と呼ぶようになったのは、恐らくその燻った恋心を認識した頃くらいだ。
今思えば精一杯のアプローチか何かのつもりで名前呼びに切り替えたのだが、初めて「佐和」と呼んだ時でも、彼は眉一つ動かさずに「なに?」といつもと変わらない笑みを浮かべたことを今でもよく覚えている。
それと同時に、この人が振り向いてくれることはないんだと、心のどこかで悟ったことも。

最後に手を繋いだ時よりも更に大きくなった佐和の手は、外の気温ですっかり冷え切ってしまっていた。
その冷たさにますます申し訳なさが沸き上がる。


「俺がいてビックリしたでしょ」
「う、うん…ひさしぶり、だね」


"ひさしぶり"と口では言っているが、一方的とは言え朝に一度姿を見かけたので、自分で発したその言葉は違和感しかない。
それでも、思わず声が震えてしまうほどに、佐和と言葉を交わすのは本当に久し振りだった。

ふと、並ぶ足先へと目線を落とせば、夜道だというのにも関わらず2人の影がくっきりと路面に浮かび上がっていた。
それにつられるように少し後ろの空へと首を持ち上げると、濃紺の空にぼんやりと浮かぶ月が見える。
まるで綿菓子が絡み始めた割り箸のように、甘い黄色い光を放ちながら緩く雲を纏っていた。

暫く黙って月を眺めていた名前が、僅かに目を見開く。

あの日、たからもの園でお月見をした日だ。
特筆すべききっかけあるわけではないが、園のみんなで月を見て、美味しいねと笑いながら月見団子を食べたあの日。
名前が佐和を"お兄ちゃん"と呼ばなくなった。

あの日も、今晩のように月が綺麗だった。

月明かりに照らされた佐和があまりにも綺麗で、思わず触れてしまった青色の髪の質感が指先に蘇る。
髪を弄ぶ名前の手を捕まえた佐和が、今度はその指先を弄びながら微笑むワンシーンが、早送りをした映像のように頭の中を駆け巡る。

絡められた手が、ゆっくりと離れていった。

記憶の映像だというのに、思わず佐和の右手を強く引いてしまったことにハッとする。


「ん?どうした?」
「……なんでもないよ」


行動の意味を打ち消すよりも早く佐和に拾われてしまい、苦し紛れのような否定しかできなかった。

昔なら、会話が途切れるということを知らなかったのに、いつからこんなにも話せなくなってしまったのだろうか。

佐和がたからもの園を出て行ったのは、お月見をした翌年のことだった。
全寮制の宝石が丘学園への進学が決まり、彼はたからもの園を出て行った。

佐和の門出とも呼べるその日、名前は佐和を見送らなかった。
喧嘩をしたわけでもなければ、彼の夢を応援していなかったわけでもない。
いつも一緒にいた佐和がいなくなる事実が、ただただ受け入れられなかったのだ。

そんな妙な別れ方をしてしまったせいで───もちろん気付いてしまった恋心のせいもあるのだが───、今更何を話せばいいのかがわからない。
当時は一度たりとも気まずいと感じたことのない沈黙でさえ、今の名前が持てる余裕を簡単に押し潰してしまう。

たからもの園に帰ってくる時、どうしてそのことを教えてくれなかったのか。

沈黙が続けば続くほど、そんな子ども染みた駄々にも似た感情が名前のなかに巣くっておさまらない。

たからもの園の園長であるユリエの性格を考えると、佐和が帰ってくることを名前に黙っているとは思えない。
つまり、佐和がユリエに口止めをしたということだ。
佐和と同時に、親同然のユリエとも長い付き合いなのだ、馬鹿にしないでほしい。


「名前、もしかして拗ねてる?」
「………拗ねてない」
「そっか。
 じゃあ───怒ってる、とか?」
「………」


そうだね、と言えたらどれほど楽だったか。

佐和にどう接していいのかわからないもどかしさと、稀にあったらしい帰省を秘密にされていたことへの怒りが混ざり合い、名前本人も頭の整理が追いついていなかった。
とにかく、感情に一番訴えかけてくる"怒り"を今の状況として最も適切だと捉え、佐和からの問いかけにハイともイイエとも言わずに沈黙を守る。

ユリエだけでなく、佐和とも長い付き合いだと言うのに。


「そっかー、名前は怒ってるのか。
 まあ、理由はなんとなく───と言うか、これしかないだろうな」
「…怒ってない」
「俺が名前に黙って帰省してたこと、だろ」
「………」


名前が怒っていることを知っている上で、敢えて怒っているのかというところから訊ねてくる辺り、相変わらず食えない男だと眉を顰めた。

繋いでいた手を強く引かれ、道端で名前の体と佐和の体が向かい合う。
すっかり高くなった目線を必死に追えば、滅多に見せない彼の真剣な表情が名前の眼差しを迎えた。

佐和の肩越しに、月明かりが降り注いでくる。


「実は気付いてたんだ。名前が俺のことを好きだって」
「えっ───」
「で、俺も好きなんだ。
 名前のこと」


衝撃以外のなにものでもない言葉が立て続けに紡がれ、名前の体がふらりと傾く。
佐和が支えてくれたおかげでたたらを踏む程度に留まったが、頭のなかは激しく稼働したままだ。

腰に回る両腕に手を置きながら、佐和の言葉を何度も反芻させる。
何度繰り返したところでその言葉の意味が変わるわけでもなく、名前は混乱を極めていた。


「エメ☆カレって知ってる?
 今、俺はやっと大きな一歩を踏み出したところなんだ」


淡々と、それでいて喜びを滲ませた声色が名前の旋毛を撫でる。
佐和の腕の中にいながら、2人の距離は拳3つ分ほど。


「宝石が丘にいる間、俺はずっと名前のことを考えてた。…会いたいなあって。
 けど、いざ名前の顔を見たら絶対に離してやれなくなる気がしてさ。
 だから、ユリエちゃんに名前がたからもの園にいない時間とか聞いて、その間に顔出したりしてたんだよ」


でも、結局離してやれなくなる───限界だ。


力強く腰を引かれたかと思えば、肩口に佐和の額が押しつけられた。
ずっと同じシャンプーを使っているのか、名前の好きだった香りが頬を擽る。
拳3つ分の距離が、気付いた頃にはぴったりと密着していた。

名前は行き場に困っていた手をそっと持ち上げ、柔らかな光を受けた青い髪に指を優しく差し込んだ。
相変わらず滑らかな感触は健在で、僅かに感嘆の吐息が漏れる。


「───ずるいよ、佐和…」
「…うん、ずるくてゴメン」


今まで思い悩んでいた時間は、一体何だったのだろうか。

そんなことさえどうでもよくなる程、佐和の腕のぬくもりに酔いしれる。

佐和のいなかった間と、こうして佐和に触れている今。
どちらの方が色付いた世界に見えるかだなんてことは、一目瞭然だ。

佐和の髪に触れていた手をそのまま背中へとおろし、空白だった時間を埋めるようにその香りを胸いっぱいに閉じ込める。

背中に回した左手のぬくもりは、当分消えそうにない。







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