やはり、荒木の演技はいつ見てもすごい。

その一言に尽きる実力をまざまざと見せつけられた数分後。
当てられたのか飲まれたのか、いまだに体中の血液が沸騰しているような気すら覚える。
けれど率直な感想を伝えるのが妙にむず痒く思え、こちらのテーブルへと近付いてくる荒木の姿を捉えたと同時に慌ててノンアルコールのシャンパンと一緒に彼への賞賛を飲み下した。


「よっ、サボって観るインプロはどうだったよ、名字先生」
「…インプロに参加するっていう約束をしたのは荒木先生じゃないですか」


私はそんな約束してないので。


そう言って荒木の方へと真新しいグラスを押しやりながら、名前は自身のグラスの中身を呷る。
何という言葉を紡げばいいのか解らなかったからだ。

生徒たちの成長には目覚ましいものがあった。
ついこの間まで、愚図ついたり脈略のない台詞を紡いだりと初心者にありがちなインプロを披露していたと言うのに、気付けば参加者全員が著しい成長を遂げていた。
若さ故の吸収力もあるだろうが、一番の要因は彼らの努力の賜以外の何物でもない。

そんな彼らを育てている環境の一部に、荒木や名前がいる。
自分の教えが少しでも活きてきているのなら、これほど嬉しいことはない。

喉を潤すようにシャンパンに口を付けているこの男もまた、生徒たちと同じように進化し続けていること知っている。
それもそうだ。
日々目紛るしいスピードで育っていく生徒を指導し、その傍らで本業である声優活動をしているのだから。

もちろん、それは名前も同じだった。

それでも素質というものは実際に存在するもので、どうしてもその点で追いつけないと感じることが時折あるのだ。

子供染みた嫉妬心は消滅することなく燻り続け、大人になった今でもこうして立派に健在している。
我ながら嫌になる。

身勝手な溜息が、一つ。


「このインプロで優勝したやつは特待生と踊れる、っていう特典が勝手に出来上がってたらしいわ」
「へえ、特待生ちゃんもいろいろ大変。荒木先生、踊らないんですか?」
「だから、勝手に出来上がった特典だっつってんだろーが」
「冗談ですよ、冗談」


ギロりと動いた荒木の眼差しを受け流しながら、名前は目の前のカプレーゼに手を伸ばした。
フルーツのように甘いトマトを味わっていると、鋭かったその目許がふと柔らかくなり、少し手前にグラスが差し出される。
自然とつられるように指をかけていたグラスを持ち上げれば、軽い音を鳴らしながらグラスの縁同士が触れ合った。


「あ〜!先生たちめっちゃムーディー!かっこい〜!セクシ〜!」
「こないだ読んだ少女漫画のワンシーンかと思ったぜ。ホテルのレストランでプロポーズするやつ!」
「これが大人の雰囲気と言うものか。絵になっておるぞ、荒木先生に名字先生」


インプロバトルも無事閉会し、再び歓談タイムへと突入した会場において、大人二人の存在は存外目立つらしい。
いつの間にか橘や愛澤、小野屋が野次馬の如く名前たちを取り囲んでおり、その些細なやり取りにご丁寧にコメントを残していく。
その他にも、離れた場所からちらほらと囁きが聞こえてくる。

いくら生徒の冷やかしとは言え、彼らはそれを"冷やかし"と思っていないので余計に質が悪い。

何口か味わったシャンパンにアルコールは入っていないと言うのに、まるでアルコールを摂取した時のように顔が熱くなっているのがわかる。
それでも名前は冷静を装いながら、未だ囃し立てる生徒たちを追い払うために教師の顔を貼り付けた。

刹那。


「───『なあ、あんなこと言われてるぞ』」
「え……」
「『こんなに顔赤くして…生徒たちにバレちまっただろうが。
  学校で俺を誘うなんて、悪いセンセーだな───名前は』」


耳の形をなぞるように動いた指先が、そのまま顔のラインに沿って動き出す。
言葉とは違い、花びらに触れるような優しさで顎を持ち上げられれば、熱を浮かべたような荒木の双眸とぶつかった。

反射的に理解はできたが、その瞳に身動きが一切取れない。
縛り付けられたようにただ見つめ合い、唯一動いたと言えば、台詞を紡ぐ口くらいだ。


「『…ごめんなさい、冴が隣にいるだけで嬉しくて、つい』」
「『可愛いこと言うねぇ。
  でも、さすがに今はお預けだ。続きはまた後で───…な?』」


交わる視線に堪えきれず、演技として視線を伏せたと同時にその耳に荒木の唇が押しつけられ、鼓膜に直接話しかけるように音が響いた。
思わず跳ねた肩は、どうにか演技として受け取ってもらえているとありがたい。


「……見ちゃいけねーもん見た気分」
「じゃましちゃったみたいだね〜…」
「おー。あんまり大人をからかうもんじゃないぞ、ガキんちょ共」


失礼しましたー。


そう最後に言い残して、これが本物の大人の恋愛かー!と興奮した愛澤を引き摺りながら、台風のような生徒たちは蜘蛛の子を散らしたように去って行った。


「………」
「………」


なぜこんなにも気まずい思いをしなければならないのか。

いくらインプロとは言え、あれほどの熱演を───少なくとも、近年行ったインプロの中ではナンバーワンと言える───、更には生徒の前で繰り広げたのだ。
再び荒木の芝居に飲まれた挙げ句、羞恥心まで感じてしまった自分が情けないやら恥ずかしいやら。

一方、荒木は先ほどの一連の出来事を何とも思っていないのか、再び何事もなかったかのようにシャンパンに口をつけている。
この差ですら、名前にとって悔しさの一つとして募るばかりだ。

正直なところ、今日はもう帰りたい気分だ。
だが監督としてクリスマスパーティーに立ち会っている以上は、その業務を放棄するわけにもいかない。
あと30分もすれば閉会の時間を迎えるので、割り切ってそれまで我慢するしか選択の余地はなかった。


「───俺はしてもいいぞ、続き」


不意に響いたその声の出所は、間違えるはずもない、すぐ隣からのものだった。


「……はい?」
「いや、これじゃあ言い方が悪いわ。
 ───俺はしたい、さっきの続き」


もう見れないと思っていたというのに、驚きの余り名前は荒木の方へと振り返った。
ぶつかった視線は、名前の様子を伺うかのように僅かばかりに上目遣いだ。


「もちろん場所は変えるし、別に今日じゃなくてもいいけど」
「いや…場所とか、そういうのじゃなくって……なん、で───」
「ハ?お前、もしかして俺の言ってる意味がわからんとか言う気か?」


彼の言っている意味が、とかではない。
もう、すべてにおいて何が何だか解らない───それが正解だ。

混乱のあまり熱くなりだした目頭に眉を潜めていると、少しばかり焦ったように荒木がポケットからハンカチを取り出して名前へと押しつけた。


「あーあーお前はそうだった、超がつくくらい鈍感女だったよ、思い出しました」
「っ…鈍感じゃない、です…」
「ちょ、悪かったって、だから泣くな」


泣いてません、と涙腺を落ち着かせながら荒木へとハンカチを突き返せば、ならいいけど、と溜息を吐かれた。


「だからあれだ、そのー───…俺の彼女になってください」


イベントの佳境を伝えるかのような盛大なクリスマスミュージック。
生徒たちの談笑。
食器の触れあう音。
ダンスをする賑やかな振動。

そんな音色がいくつも混ざり合っていると言うのに、荒木の紡いだ言葉はとても小さい音だった。
生徒には決して届くことのない、名前だけに届ける音。

さすがに、今度は妙な相槌は打てなかった。

名前が荒木に対して抱いていた劣等感は、彼の実力に対する嫉妬のせいだけではない。
荒木とは1つしか離れていないにも関わらず、5年も10年も彼の方が多く学んできたのではないかと思える程の実力差があり、そんな荒木に名前は自分自身を"荒木の隣に並ぶべきではない存在"だと感じていた。

荒木が名前に対してよくしてくれるのは、学生時代からの縁だけが理由なのだと。

だと言うのに、荒木はそんな名前を好きだと打ち明けた。
同情からくるものではない、たった一人の存在だけに向けられる恋慕の情。

その事実は名前の想像との乖離も大きく、なかなか上手く馴染んではくれなかった。


「なーんか腑に落ちねぇ顔だな?なんなら俺のお前への片思い遍歴教えてやろうか?」
「……ぜひお願いします」
「…そこは容赦ねぇのな。
 ───最初は、お前の才能に惹かれた。妙に心地良いその声と、類い希なる感性にな。
 んで、それがお前自身に向くようになって、今に至ったってとこだな」


まさか。
そんな。

名前の頭のなかで、その二言がグルグルと回る。
長年思い悩んでいたことが、こんなにも簡単に消え去るだなんて。

やはり、荒木はすごい男だ。


「…私、冴先輩の隣に立てる女ですか?」
「当たり前だろ。むしろ勿体ないくらいだね」


うっかり飛び出してしまったプライベートでの呼び方ですら、今の名前に気にしている余裕はない。

クリスマスパーティーの閉会を告げる見明の声が、会場中に散らばっていた音を一つに集めれば、自主性に富んだ優秀な生徒たちがパーティーの余韻に浸りながらも片付けに取りかかる。
名前たちが使っていたテーブルにも、もうすぐ生徒がやって来るだろう。

片付けに参加しようと立ち上がった荒木の手を、テーブルの下に引っ張ったのは名前の小さな手だった。


「……よろしく、お願いします」


一度だけ指先をぎゅっと握りしめて、解放した。


「───最高のクリスマスプレゼントだわ」


すでに教師の顔を貼り付けた名前の横顔に、荒木は静かに独り言ちる。
当然、名前の耳にもその言葉は届いていた。







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