廊下で女性特有のヒールの音が響いてこちらに近づいてくる。もう隼人のところには行ったみたいだな。まあ俺のところに一番最後に来るように伝えてるから必然的だけどね






だって邪魔されたくないだろ?









ヒールの音が扉越しに止むとコンコンとノックが控えめに響く。

はいと短く返事をすれば 長い髪を一つに束ね黒渕の眼鏡を掛けた彼女が不機嫌そうに顔を覗かせた




「すみません千愛さん、お忙しいのに呼び出してしまって」

「…いえ、獄寺様の眼鏡をお届する予定でしたので」



お気になさらずと微笑む彼女は目が笑っておらず明らかな作り笑いを貼り付けていた




それに習って俺も笑顔で返す



「俺が作った時は持ってきてくれなかったのに隼人の眼鏡は持ってくるなんて妬けますね」



「獄寺様は乱視がお強く特注なので…。だから沢田様は即日でお渡ししたじゃないですか」



皺を寄せてうーん、と頭をかく仕草。これは彼女が困惑したときにやる癖だ





「それよりも先日お作りした眼鏡をもう壊されたと伺いましたが」


「ああ、そうなんだ。壊れたってほど大袈裟じゃないんだけど踏んでしまってね」



全く、眼鏡を踏む人の気が知れませんと溜め息を大きくつき 預けたフレームを頭上でかざしライトの光を通してレンズに傷が入ってないかチェックする


文句を言いながらも工具を使い調整を淡々とこなす仕事振りは若いながらもまさにプロを感じさせた






「‥‥はい、確認しますので一度掛けて頂いてもよろしいですか?」


「ありがとう、千愛さん」





眼鏡を受け取り掛けてみると横幅の緩さや斜めにかかっていたのも綺麗に修正され、何の違和感もない掛け心地だった



そこで伸ばされた手
失礼しますと彼女は俺の髪をかきあげ耳に掛かる部分の曲がり位置を業務的に確認する。だか俺は耳に少し冷たい指先が微かに触れるたびにそこから熱を帯びたのが自分でもわかった





千愛さんが動く度にふわりと香る甘いラズベリーのコロン




女性の、千愛さんの匂いにまた俺は彼女が近くに居ることを意識してしまい目を合わせられない







そんな俺を唯一見ることが出来る彼女からクスリと笑みが漏れた




「沢田様、耳が真っ赤ですよ」


「‥‥耳なんて女性に滅多に触られる場所ではありませんから」


「あら、可愛いですね」

「うるさい」





この人はなんでこんなに余裕があるんだろう。俺が意識してるだけなのか?

ってことは千愛さんは俺のこと意識してないのか




…なんかムカつく







向かい合って掛けたフレームが傾いていないかのチェックをしている彼女に視線を合わせ笑みを贈る


?と首を傾げる彼女の黒渕フレームをすっと外すと彼女の言葉にならない声が漏れた





「なっ、返して下さい!」



右腕で眼鏡を高く上げると俺より背の低い彼女が手を伸ばしても届かない

キッと睨む彼女の視線を受けつつ左腕を彼女の腰に回しそっと引き寄せた



「返しません」

「返しなさい!」


「嫌です」

「このっ…」






千愛さんが




「千愛さんが俺を見てくれるまで」




その狭い視界で俺だけを映してくださいよ?



そう耳元で囁いて千愛さんが見えるであろう距離まで近づいてみせて、笑ってやった













「このガキっ…!」


彼女の逆鱗に触れてしまった俺の足に激痛が走った



「痛っ、ちょっ‥千愛さん!」



ヒールで足を踏まれた衝撃で思わず右腕を下げてしまい一瞬の内に眼鏡を取り返されてしまった


「‥千愛さん酷い」

「うるさい!」






怒鳴り声と共にしーん、と静まり返る空間

せっかくの2人きりの部屋の空気はなんとも重苦しい






「ごめんなさい。やり過ぎた」

「‥‥」


「千愛さん仲直りしよ、ね」

「‥もう知りません」






失敗したと冷や汗を流した俺は彼女をチラリと覗き込んだ







「…! はは、」




(本当に貴女は予想を裏切るのが上手だよ)







「千愛さん、耳が真っ赤」

「…っ、もーしゃべらないで!」





あっち行ってよ、と頭をかく千愛さんが可愛くて
踏まれるの覚悟で後ろから思いきって抱きついた





「千愛さん今俺のこと意識してる?」


ねえ、と笑って言えば満面の笑みで「調子に乗るな」と腕を思いっきりつねられ 不覚にも涙が滲んだ







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