「千愛」



呼ばれた声に振り返る。
今日はよく呼ばれるなと考えながら獄寺君と向き合った



「‥‥なんかあったら」







風に乗せて届いた彼の言葉は、家に帰り着いた後も耳の奥でずっとずっと疼いて離れない



案外悲しみなんて早く癒えるのかもしれない。










冷たい空気を駆け抜け夜の道を歩く。

勢いに任せて彼の部屋を飛び出したあたしは鞄もお気に入りのジャケットも忘れ薄着のままで寒い。昼間はあんなに暖かくなったのに、どうして夜はまだなんだろう



バカ、バカ、バカ!




気になっていた一つ先輩のバスケ部の彼から告白されてちょうど半年。いつも一緒に帰ったり今日だって遊んで、慣れないながらも頑張って作ったご飯もおいしいって言ってくれて
それだけで胸がいっぱいになったのに、


大好きな想いや言葉は伝わることなく弾けて



区切りが良いからってそんな日に別れ話をしなくてもいいじゃないかー!




大好きだった彼に文句を言っても言葉は私の口を飛び出してはすぐに破裂して空気に溶けた



こんなことしても新しく好きな人が出来た彼の心は戻ってはこない



2人の好きな気持ちは知らない間にバランスを崩して一方通行になっていたようだ



彼の顔を思い出しただけで視界が滲む。泣くもんかと唇に噛み付いても言うことを聞いてくれずぽろぽろと悔しさを溶かした






唯一あの場から持ってきた携帯電話。

話を聞いてもらおうと花ちゃんや京子ちゃん、元気が出ればと山本君にも電話を掛けても繋がることはなかった。


落ち込んだ時はいつもそう、繋がることが滅多にない




はあと肩を落とし溜め息をつく。よく辺りを見渡せば考えなしに歩いてたからか住宅街の知らない道に出ていた




(うわ‥どうしよう)


こんな時は人に訊くのが一番いいがこんな時間帯に人など通っているはずもなく もうなんだかまた視界が滲んできてしまった‥





(来た道、戻るかな)


振り返った先にも人影はなくまた溜め息をこぼせばタバコの匂いと共に「千愛か?」と呼ばれた私の名前




急に現れた人の声にドキッとしながら振り返っても相変わらず人影はない。思わず血の気が引いた



「バーカ、こっちだ」




視線を少し上向きに上げればマンションのベランダからこちらを見つめる人影


闇に紛れることない銀髪の髪が月明かりに照らされ そよ風になびいて宝石みたいに輝いていた



「‥獄寺君」


「こんな時間になにやってんだ」

「迷子なのー」


「んなっ、バカ!そこにいろ!」



いきなり罵声を飛ばしたかと思えば血相をかえて走って来て掴んでいたカーディガンを私にほらよと投げた。
髪を少し濡らし首にタオルを掛けた獄寺君は 送って行く、と短く声を掛けて隣を歩いてくれた





「‥ありがとうね」

「1人で居られる方が迷惑だろ」


「あはは、獄寺君が居てくれて助かったよ」

「‥‥そうかよ」


ホントだよと笑えば目が合った。獄寺君は少し目を見開いて「泣いてんのか?」と呟いたけど、


私はなにも答えない





「‥‥そうか」



獄寺君は溜め息を付いてタバコを火を灯す

ゆっくりした動作で唇にくわえ白い煙を吐いたその表現は 額に皺を寄せてなんだか切ない

なんで獄寺君がそんな悲しい顔をするんだろう。






「お前行く宛あんのかよ」




「‥‥」


「なあ」


「…きょ、京子ちゃんのとこ!」


あっ、声が震えた。嘘がヘタな私、勘が鋭い獄寺君に気づかれなければいいけど




「ふーん」



相槌にも似た言葉をこぼした後は何も聞いてはこなかった。黙ったまま静かに歩くのはを少し気がひけたけど獄寺君の優しさなんだろうな








「獄寺君あのね‥」

「ほら着いたぞ」



気がつけばもう見慣れた道に出ていて数メートル先には私の家が見えていた。どうやら京子ちゃんの家に行くと言う嘘は実行されることなく何処かへいってしまったみたいだ




「送ってくれてありがとう」

「‥‥おう」

「また明日ね」

「ああ」




歩き出した私は、もうフラれた彼氏のことを考えないように決めた。


彼とは縁がなかったんだ、ただそれだけ。頭で考えてても気持ちはまだついてこないけどそんなの時間が解決してくれるはず







「千愛」



なんかあったら、





「次は俺んとこ、来いよ」





吹いた風がタバコの匂いをのせて 彼を私に届けた








涙も悔しさも愛しさも胸につかえていた言葉も全部、ぜんぶ



彼のたった一言で空中爆発して、私の見ていた滲んだ景色は鮮明に色を変えて目の前に広がった


良かったのか悪かったのか

今はどっちでもいいか








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[mokuji]