「ボスの字って綺麗ですよね」




沈黙を破った声にピタリと動くペンが止まる。





横に座っている千愛に目を向ければにっこりと微笑んでいて思わず目を反らしてしまった




「あー!反らしたら傷つくじゃないですか」


「幻聴かと思って」

「褒め言葉を幻にしないでください」




そっぽを向いて拗ねてしまって、ごめんごめんと謝れば笑って許してくれた






こんな砕けた関係だけど俺と千愛は上司と部下



秘書である千愛と大半の時間を共にしているが

…この2人でいる空間が心臓に悪くなりだしたのはいつ頃だったろうか







「‥ありがとう。でも走り書きだし上手いとは言えないよ」


気を使ってはいるが目を通す書類がありすぎて 1つ1つ丁寧に書いてると日が暮れてしまう




「上手い下手じゃないんですよ。ボスが書く字はボスの人柄が出ててすごく綺麗な字です」



「人柄ってどんなの」

「んー動物に例えると小型犬ですね」

「その例え話もう人でもなんでもないよね」


「ふふっバレちゃいました?」

(こいつ…)



くだらない話でも千愛が笑うと密かに嬉しい

反面 胸が締め付けられた





千愛がどんなに笑ってもこの笑顔は「秘書」として「ボス」に向ける表情であって決して『沢田綱吉』に向けられているものではないというのは初めからわかっていた




上司と部下である前に


男と女なのに



学生時代から根本は変わっていない弱い俺はこの脆い線引きを越えていくことに躊躇してしまっている



今の俺が出来ることは決まった時間を過ぎると ムリを言って気分転換という言葉を並べ愛用の席から外れてソファーの、千愛の隣に座って仕事をするぐらいだ



隣に座っていても、心は望んでいる距離ではないのを毎日実感する羽目になるのだが






「‥千愛も綺麗だよ」


「ふふ、ありがとうございます」




実は秘書になったときに皆さんのお名前を練習したんですよ、と紙の隅に「獄寺隼人」「山本武」…と守護者の名前を書いていく



「俺も練習したよ。やっぱり皆の名前は綺麗に書きたいからね」


意外に山本の「本」の字がバランス良く書けないんだと言うと千愛はそうなんです!と笑って何度も頷いた





「でも私の一番はやはりボスの沢田綱吉さんです」



「えっ‥」








一瞬、名前を呼ばれたかと思った






「…綱吉って書きづらいよ」

「でも上手く書けたら達成感があります!」





「…そう?」

「はい!!」



そう言いながら最後に書かれた自分の名前が 妙に目が離せなくなって愛しく感じながら ちょっと嫉妬した





「ボスっていつも気づかれないように努力されますよね」


「‥だって恥ずかしいじゃん」




(下手な字で知らない間に千愛に幻滅でもされたら嫌だからね)





「でも私、綱吉さんのそんなとこ好きです。」



「は‥‥」








千愛が不意に呼んだ名前に

好きという言葉に


大きく心臓が跳ねた






「…いま、綱吉って」


「あっ!も ‥申し訳ありません!」




努力されてるのは「ボスとして」ではないように感じたのでつい…


涙を滲ませながらひたすらに謝り続ける千愛が堪らなく可愛くて







もうほんと



(心臓に、悪い)






「そっか」




「俺のこと、好きなんだ」








ボンゴレという名を背負いながらも



この女性から沢田綱吉に向けられる笑顔が欲しいと思うのは ワガママだろうか







「ははっ」


「ボス?」



急に吹き出すように笑った俺に大きく目を開いて首を傾げる千愛。
もう俺の負けだと内心呟いて千愛の頬を優しく包んだ






「ダメだよ千愛、‥それ反則だから」



唇の形を指先でなぞりその柔らかい感触が熱を持ってゾクリと理性を刺激する






「え?ちょっ‥ボス」




慌て出す千愛に人差し指を当てて しーっ、と子供がするような真似事をすると部屋に静寂が訪れた








「いい子だから」



(大人しくしてて?)







壊してしまわぬようにそっと唇を優しく重ね そして甘く噛み付いた






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