名無しが店に入ると人影も人の気配もなかった。ゆっくりとソファまで歩けば、ギシリと床が軋む。
それなりに大きな音が立ったが名無しは気にせずにソファに座った。そしてぼんやりと視線を宙に漂わせ、今は仕事に向かっているだろう店主の事を考える。
出会った頃のダンテは年齢に見合わず、よく笑って小さな事にでもはしゃいでいた。そんなダンテの様子にまるで子供の様だと、驚きが半分と意外な一面を見た事へのくすぐったい気持ちがもう半分。
そんなダンテも年を重ねる毎に落ち着いた雰囲気を醸し出すようになり同じ人物だとは思えないほどだ。
今ではその頃の彼が遠い昔に感じるほど長い付き合いなのかと名無しはぼんやり考えていた。
そしてあの頃の私は……、
ちょうどその時に店の扉が動いて名無しは思考を止める。どうやら店主が帰ってきたようだ。
「おかえり」
「あぁ」
視線をダンテに向け挨拶をすれば短い返事が返ってくる。名無しの来訪に驚いた様子だったがそれもほんの一瞬でダンテは口元に笑みを浮かべた。
反応の薄いダンテの表情に一見、あまり笑っていないと勘違いしそうになるが名無しには喜んでいるのが分かった。
昔とは違って感情を表に出さなくなったダンテは名無しから見ると本当に別人の様だった。
黙り込む名無しを気にした風でもないダンテは背中に背負っていたリベリオンを壁に掛け、エボニーとアイボリーを机の上に置く。そして口を開いた。
「なにか用か?」
「一緒に呑もうと思って。久しぶりでしょ」
しばらく経ち時計を見ると深夜3時を指していて、ようやく長い時間2人で飲んでいた事に気づいた。遠慮がちに名無しがダンテに視線を送るが当の本人は気にしていない様子なので、名無しは気を取り直して少しだけ中身の残っていたグラスを傾ける。
チラリとダンテを見ると顔色が変えずにたんたんと飲み続ける。中身は昔とは考えられないほど変わったのに相変わらずダンテは強かった。
その辺りは昔と変わらないな……。名無しはぼんやりとした意識の中で呟く。
「名無しは変わったな」
まるで心の中を読まれたようなタイミングに名無しは目を見張った。何が?と尋ねてみるとダンテは、
「あん時は酒なんて飲めなかっただろ」
薄く笑いながら答えた。柔らかな笑みだ。「あの時」を懐かしんでいるのか常に無表情だったダンテに笑みが戻る。それと同時に名無しを見つめる瞳に熱が籠もる。
「まだ子供だったから」
ダンテの瞳の示す意味に気付かぬ振りをして名無しは笑った。酒が回っているのか無邪気に微笑んでみせる。
「今は、違うだろ」
「うーん」
何が違うというのだろう。
私は確かに成長したしお酒を口に含んだだけで咽せたりはしない。
今では大人になった体は「あの時」には出来なかった事を……、「あの時」に欲しかった物を簡単に与えてくれた。
それでも……、
「名無し、俺は……」
ダンテの熱が籠もる瞳が指す意味には気付いている。ダンテが何を望んでいるのかも、それが本当に愛情だという事にも。
「まだ子供だよ」
ダンテの台詞を遮る。
私はまだ子供だったから、私が求める関係にはなれなかった。そうダンテも言っていた。
「私ね、ダンテが好きなの」
「あー、ありがとな」
「本当に大好きなの」
名無しが思い出すのはあの時だった。あの時はダンテが好きで好きで大好きで、いつもダンテの後を付いて歩いていた。 名無しが自分の中に秘めていた想いをダンテに伝えた時に初めて恋の切なさを知った。
「でもなぁ、俺は名無しの事をそういう風には見れねぇんだ」
だからこそ今まで押し込めてダンテに接していたのだ。告白した前と変わらないような会話をした。ダンテ自身が引きずるような男では無かった事が幸をなし、しばらくは何も変わらない日常を送った。
その関係が崩れてきたのはダンテが名無しを見る目が変わってきたからだ。
時おりダンテの瞳が熱に浮かされたように揺らぐ。名無しは気づかない振りをしながら、距離を置いていく。毎日足を運んだデビルメイクライには2日に一回。3日に一回。一週間に一回と。
「今日も来ないのか?」
「最近遊びに来ないな?」
「今何してる?」
「名無しに会いたい」
甘やかな言葉をはねのけ、今まで生活していたのだ。
「私はまだ子供だよ」
もう一度繰り返して、名無しは笑った。まだまだ子供。今も、そしてこれからも。 切なく揺らいだダンテの瞳を見つめながら、名無しはこれからの未来を思い描いた。何一つ変わらない私とダンテの関係がいつまでも続いていく。だってあの時に言ったじゃない。
「そういう風には見れない」って……。
振ったくせに。ダンテが私を振ったんだから。
あの時に私の恋は終わったんだ。
それに、
私はもうアナタに恋していない
fin
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