初恋の人に瓜二つのバージルは名無しにとって畏怖の対象だった。ダンテと違い気難しくて寡黙なバージルは、名無しが話しかけても反応薄く時折竦み上がるほど鋭い目で睨んでくるからだ。
睨まれる度に恐ろしくて名無しは瞳どころか顔まで反らした。反らした先には、ニコニコ笑っているダンテの表情が見えて名無しは泣きたくなった。
人違いをした自分が悪いのだ。そして今の今まで間違いで告白したとバージルに伝える事が出来ない自分が。
そう思えば思う程情けなくて、こんな自分にままごとのような恋人ごっこを付き合ってくれるバージルに申し訳なくなる。
申し訳なさと罪悪感で名無しはバージルお顔を見ることもなくなった。
バージルと会話をするわけでもないのでデビルメイクライでは必然とぼんやりする時間が増えた。正面に座るバージルから視線をずらして横を向けば、デスクにだらしなく腰掛けるダンテが映る。
いかがわしい雑誌を読むダンテは名無しの視線など気にしていないようだった。ダンテの目が文字を追うために左右に動く。ダンテが大きな動作でページを捲った。ペラリと大きな音が静かな空間に響く。
バージルだったらもっと静かにページを捲る。それこそ耳を澄ませて意識しないと聞き逃してしまうほど静かに。ダンテは手のひら全体を使うがバージルは指先で。
本を読むことに慣れているのか目は左右には動かない。いわゆる縦読みでダンテの何倍も速く本を読むのだ。
文字を追う瞳はもっと理知的で、ダンテよりももっと……。
そこまで考えて名無しはハッとした。ダンテの姿を見てバージルと重ねてしまっている。バージルではなくダンテが好きなはずなのに。バージルだったらこうするとか、バージルだったらもっと、と。
自分の思考に驚いた名無しは慌ててバージルに視線を戻す。
名無しの横顔を見ていたのかこちらを見ていたバージルと目が合う。じっと食い入るような視線だった。ぐずぐずと何かの感情を溶かし、固めて何かを名無しに伝えたがっているように見える。ダンテよりもいささか堅い印象を持たせるアイスブルーがチリチリと焦がれるように、熱に浮かされるように見えた。
な、なに。
初めて見るようなバージルの瞳に名無しは狼狽した。体の芯まで熱くなるような視線に名無しは気づかない振りをして逸らした。
どくどくと早鐘を打つ鼓動はあの時と同じだった。名無しがダンテに恋をしたときと同じ。まさかと名無しは目を閉じ考える。
そんな馬鹿な。毎日のように睨まれてこんな関係でなければ傍にも寄ろうと思わないだろう。そんな私がバージルに恋をするなんて、と。有り得ないのだと浮かびあがった気持ちを打ち消して名無しはある事に気が付いた。
ではバージルはどうなのだろうか。名無しが告白しなければ初対面で接点などなかった。バージルの性格を考えると好きでもない女と付き合うなど考えられない。ではどうして私たちは恋人という枠にはまっているのだろうか。
そこで名無しは先ほどのバージルの眼差しを思い出した。熱をはらみ今にも溶けてしまいそうだった。眉間に寄せられている皺も、いつも目にしているような不機嫌そうなものではなく苦しげで。
まるで今の名無しと同じ気持ちのようだった。
すとんと今度は簡単に自分の心に埋め込まれる。あぁ、私はバージルの事が好きなんだ。
自分と同じ気持ちだったのならとまるで世界が花開いたように明るくなるが、今度は疑問が浮かび上がる。今の私たちの関係は本当にままごとのようだ。必要以上に触れ合ったりしないし、言葉を交わすのだってほとんどない。
本当にバージルも同じ気持ちでいてくれてるのだろうか。心配になってくるが、またもやそんな思考を吹き飛ばし、今度は名無しが告白した時を思い出した。
あの時は告白という事もあり緊張していて、なかなかバージルの表情を窺えなかった。ようやく顔を覗いた時には、バージルは困惑していた。そうだ、困惑していたのだ。何に。一体なににだろうか。名無しが告白した事に対してだろうか。いやバージルの性格なら女に告白されたからという理由では驚かないだろう。
それにデビルメイクライでダンテと再会し唖然としていた時も、バージルは名無しの様子を窺っていた。わざわざデビルメイクライに連れてきて、名無しの様子を窺っていたのだ。
何かがカチリと噛みあった。そうだ。それなら全部に納得が付く。
バージルは名無しが人違いで告白していた事に気が付いていたのだ。
名無しは真っ青になりながら、目を開けバージルを視界に写す。
もはや、バージルは名無しを見ていなかった。いつものように本を読んでいた。空気の移り変わりに敏感なはずのバージルが名無しに目もくれなかった。
それがまるで拒絶されているようで名無しは切なくなった。
その日の帰りに名無しは久しぶりにバージルに声を掛けた。
短い返事が返ってくる。名無しはその返事にも、言葉を付け足し会話を続けた。相変わらず反応は薄かったし、返事は短かったが怖くなかった。
「明日も待ってます」
家の前で微笑みながら精一杯の想いを伝えればバージルが驚いたように目を見開かせた。やはり短い返事が返ってきた。
次の日も、今日はいい天気だとか、どんな本を読んでいるかとか取りとめもない会話をした。その次の日も、またその次の日も。
いつの間にか敬語も使わなくなり、バージルと呼ぶようになった。どきどきしながらバージルの手を繋ごうと自ら伸ばした事もある。何かバージルに言われたら、私たちは恋人でしょと言ってやろうと。どうせなら、目一杯恋人という関係を楽しもうと。女は強かでなくては駄目なのだから。
だからもうダンテに対して特別な想いは抱いていないのだ。
今はバージルが大好きなのだ。と、続けたかったがすべてが遅かった。
ぐちゃぐちゃに破壊されたデビルメイクライの内装に、血みどろになりながら倒れているダンテ。そう、あの後ダンテの予想通りにバージルがダンテに切りかかり、2人は死闘を繰り広げた。
名無しだって止めたかったのだが、2人の戦いがあまりにも凄くて呆気にとられていただけだった。さすがに首を刎ねなかったので、バージルの優しさを感じた。
どか、と鈍い音と共にバージルがダンテの腹を蹴り上げる。もはや呻き声も出せない程ダンテは消耗しているようだった。
ゆらりとバージルが名無しに体を向ける。ギラリと何の感情も写していないような視線が名無しを射抜いた。今まで俺をおちょくっていたのかとか、とんだ茶番だなとか罵倒されると思い名無しは竦み上がった。それでも、今はバージルだけだと伝えようとぐっと名無しはバージルから視線を逸らさなかった。
「今でもこいつがいいのか?」
「え?」
予想と違う言葉を投げられて名無しは目を瞬かせた。
「まだダンテが好きなのか?」
そう言うバージルは切なそうにアイスブルーを揺らめかせた。
「……バージルがいい」
一歩踏み出し名無しは呟く。
「こいつのようには笑えない」
一体どこから聞いていたのだろうと、聞き耳を立てるバージルを想像して名無しは肩の力を抜いた。そしてもう一歩踏み出す。
「それでもいいよ。睨まれても、難しい表情しかできなくてもいいの」
また一歩。
「バージルがいいの」
とん、と足を進めていれば終わりが来てバージルの胸板に名無しが手をつく。
「あなたがすきなの」
すり、と名無しがバージルの胸にすり寄る。ピクリとバージルの体が動くが、名無しは気にせずに頬を寄せ力を抜いた。
「バージルが大好き」
その瞬間、頬を寄せた胸からドクドクと速く心臓が脈打つ音が聞こえて、名無しは瞳を閉じた。
ぎゅっとバージルに抱きしめられ名無しは微笑みを浮かべた。
fin
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