プロローグ学生時代は慌ただしい毎日を恨めしく思ったこともあった。もっと寝させろ、ずっと夏休みだったらいいのに、と。
けれど、実際のところ、毎日が休日となった今は退屈で退屈で仕方ない。親の言う通り、就職か進学はした方がよかったのかもしれない。
そんな考えが頭を過ったが、それすらもめんどくさい。
ニート生活開始一ヶ月目から、すでに雲行きは怪しかった。その時点でアルバイトでも始めていればまた違った時間の使い方を見つけられていたかもしれない。
引きこもり歴2年。
アプリゲームで好成績を修めたところで、自慢する友人はいない。過去の友人たちはみなコンパだ宴会だとリアルを充実させている。
なにより、すでにLINEのグループのどれからも外されてしまっていた。
「死にてぇ…」
母親の用意してくれた500ミリリットルのいろはすと、スルメイカ中心の生活。パーティを組むタイプのオンラインゲームでも出来れば、家にいながら交遊関係を広げることも可能なのだろうが。
生憎、イオナはそんな腕を持ち合わせてはいなかった。
今日もひたすらにアプリゲーム。
登場キャラたちの屈託のない笑顔ですら、引きこもりの自分を嘲笑っているように思えてくる。そんな被害妄想をすることでしか、自分の存在を認められない。
両親はすでにイオナをいないものとして扱っているし、なにより、弟からは「あれ、まだ生きてたんだ」と言われる始末。
それでも生きているのは、単に死ぬのがめんどくさいからであり、死の世界にすら期待を抱けないから。
あちらの世界でも自分は自分のままであり、進歩はありえない。もちろんこれ以上にないほどに堕落しているのだから、退行もないのだろう。
イオナは人生に希望を見い出せないでいた。
これといった酷いいじめを受けたわけでもない。なにもしなくても勉強はできた方で、友達も多かった。何度か告白をされたこともある。
それでも自分の人生に価値を見いだせなかったのは、きっと惚れた相手が雲の上の人過ぎたから。
イオナはふと、高校時代に好きだった隣の高校の男子生徒を思い出す。
みてくれもよく、頭もいい。運動神経抜群で、実家は金持ち。若干周囲を見下したような目付きをしており、その振る舞いもそれに漏れず。
IQが高すぎてどこかの国から招集がかかったという噂まであった。
非の打ち所のない(実際はいろいろと問題を抱えていた)その人に恋をしたせいで、自分が底辺であることを思い知った。世間的には平均点を叩き出していたとしても、彼にしてみれば自分の存在はハエ以下の存在であると。
どれだけ努力しようとも、高みを目指そうとも追い付かない存在。愛してもらうことは愚か、お尻を蹴ってもらうことも、ビンタしてもらうことも叶わない孤高の人。
それを思い知った時の絶望は、父親の不倫相手がニューハーフだったこと知ったときよりも酷かった。
結局、イオナは努力ひとつすることなく、自らの選択で人生を放棄することにした。
そうたったひとつの例外を除いては──
イオナはふとスマホへと視線を向ける。学生時代は凝ったデコレーションを施していたが、今では100円shopで購入できるケースで事足りていた。
そんな見栄えのしないスマホでも、イオナにとっては宝物だったりする。
「今日こそは電話…」
イオナはその『孤高の人』とメールアドレス及び、電話番号を交換していた。
人生を諦めたと言いながら、彼に執拗なまでに執着してしまっているという矛盾。
そこからうまい具合に目を反らし、力尽きそうになりながらもニートを続けていたイオナだったが。
──プルルルル、プルルルルル
黒電話の音。それがスマホのから聞こえてくる音だと気がつくのに時間がかかった。電話着信など何ヵ月ぶりの出来事だろうか。
イオナはその画面に表示された文字列を前にフリーズする。
『トラファルガー様(鬼畜のプリンス)』
イオナはアドレス帳への登録名が、メールの送受信で相手に知れることをしらなかった。そのため、孤高の人である彼の登録名はありえないほどに常識外れだ。
「は、はい!?」
「─ッ。」
上ずった声で電話を取る。
久しぶりに誰かにむけて放った声は、想像以上に大きくなってしまった。相手が電話口で息を呑んだのが伝わってきた。
「わ、わたしくめはっ、その…っ!!!」
「イオナか?」
「は、はい!そうであります。」
めちゃくちゃが過ぎるイオナの返事に、相手はフッと笑いを漏らした。それが電話口であったために、鼓膜にダイレクトに呼吸音が伝わる。
爆発しそうなほどに鼓動を早める心臓。卒倒しそうになる意識をギリギリで保ちながら、イオナはスマホを耳に押し当てる。
「あれから変わりはないか?」
「はい!」
「そうか。ならよかった。」
あれからが一体いつを指すのかはわからない。
ただ、高校卒業以降のイオナは、完全に社会から隔離された身。ある種の冬眠状態だったと言え、良くも悪くも根本的な部分に一切の変化はなかった。
「はい。ありがとうございます!」
「何にお礼を言われたのかわからないんだが。」
「お気に、なさらないで、くださいっ!」
それでなくても深みある声が、電波を通すことで更に奥行きを増す。鼓膜どころか脳髄までも揺らす響きにイオナの鼻息も荒くなる。
「ところで、あの、あなた様は現在…」
「俺か?俺は今のところ…、いや、俺の話しは今はいいだろう。それより、遊びに付き合ってくれないか?」
「遊び…ですか?」
これ以上にない興奮状態の最中の依頼。通常の人間ならば、その勢いで引き受けてしまいそうなものだが、イオナは人間社会からの隔離期間が長かったせいか、すぐに冷静さを取り戻す。
突然の連絡。
現状報告の拒否。
「遊び」という抽象的な単語。
もしかするとこれは詐欺かもしれない。 それでもお近づきになるのなら、カモられるくらい─
与えられた情報だけで相手を値踏みしようとするイオナ。そんな彼女を急かすように、ローは意味深に呟く。
「あぁ、ちょっとした遊びだ。」と。
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