ゾロ | ナノ


灼熱追いかけっこ

夕暮れに染まる地平線。
穏やかな波としょっぱい潮風と…

「ヒャーッ、こないでぇ!」

「いいから待ちやがれっ、イオナ。」

辺りに響き渡る喧騒。

一方はひたすら逃げ、一方はひたすら追いかけているだけのその光景はまさにおいかけっこ。

しかし、そんな楽しげな呼び名の雰囲気とは噛み合わないのは、二人の形相だった。

「お願い!こないでっ!」

「いいから止まれ。話はそれからだ。」

今にも泣き出しそうな弱々しい表情で芝生の上をかけ回るイオナを、一瞬も隙を見せぬ高圧的な態度で追いかけるゾロ。

この状況をみてわかる通り、二人の距離は1ヶ月前に起こった深夜のビンタ事件から、いっこうに縮まっていない。

彼女からすれば、観察対象だった意中の男に不本意ながらも追いかけ回されている状況。

ただこの本気モードの逃走劇を『ラブラブ両想い』『愛の追いかけっこ』なんて妄想に陥れるほど、逃げ惑う最中の彼女はフェミニストではなかった。

「説明するまでは許さねぇ…」

「いいから!もう!許さなくていいから!」

たいした運動能力を持ち合わせていないはずのイオナが、ゾロと対等に渡り合えるハズ
などないのだけど。

無意識に発揮する火事場の馬鹿力に合わせて、身体に触れないように捕まえようとするゾロの気遣いによりなんとかギリギリの距離を保っている状況である。

なんでこうも毎日…、飽きないの?

走り過ぎて肺が、お腹が、足が痛い。
額の汗を脱ぐって、浅い呼吸のまま歯をくいしばって走り抜ける。

たった5分程度の疾走。

それでもイオナの体力的には限界であり、身体中の筋肉が悲鳴を上げ始める。

いい加減にしてよっ。馬鹿ゾロ!

この状況作り出しているのは確かに彼ではあるけれど、原因を作ったのは自分だというのに…

心の中で悪態をつきながら走っていた彼女の鼓膜に届く、慌てた声。

「おい!イオナ、前見て走れっ」

脚を前後に動かすのに、腕を大きく振るのに、背後からくる鬼の形相に回り込まれないことを意識するのに必死になりすぎていたらしい。

ゾロの声で慌てて正面に向き直った彼女の視界に広がったのは…柱。

刹那、すさまじい振動と痛みが額から鼻にかけて襲いかかる。その後、一瞬身体が浮いたような感覚がして、今度は後頭部に強い衝撃を受けた。

鼻先のツンとした痛みを意識する余裕もないくらい、ズンッと沈むような頭部の痛み。

吐き気すら感じる。

ゆっくり瞼を持ち上げると、オレンジの空に迎えられた。

どうやら正面からマストに激突した後、その反動で仰向けに倒れてしまったらしい。

うまく頭が回らないのは、意識が朦朧としているのは、視界が霞んで見えるのは、頭を強く打ったせいだということくらいは理解できた。

「おい…、大丈夫か?」

「ヒィッ」

突如、眉間に深くシワを刻んだ追跡者に顔を覗き込まれ、慌てて上半身を持ち上げた。

「頭打ってんだろ?じっとしとけよ。」

鼓膜から溶け込んでくる言葉。

全身が熱い。

顔が赤くなる前に逃げないと…

すでに頬に熱が差しているけれど、まだ間に合うかもしれない。イオナは表情を見られないよう顔を伏せたまま立ち上がる。

「おい、イオナ…」

心なしか心配げに聞こえる声。

嬉しい、嬉しい、嬉しい…

沸点に到着してしまいそうな感情を制御すべく、下唇を強く噛み背を向ける。

恥ずかしい、どうしよう、緊張してる…

堅く瞼を閉ざしたまま足を踏み出して

「おい、そっち…」

ゾロの声に被さったのは、ガンッという鈍い音。

「ゔぅ。」

しゃがみ込んでるヒマはないのに、二度目の激突のダメージは大きく目頭までもが熱くなってきて蹲ってしまった。

「なにやってんだよ…、お前。」

耳元で声が聞こえるのは、隣でしゃがみこんでいるからだろう。

そばにいるだけで鼓動が速まる。
血管のすべてがリズムを刻むほど、血流が勢いを増しているのがわかる。

このまま顔を上げたら、ゆでダコみたいに真っ赤になった顔をみられてしまう。

うぅ、好意に気づかれてしまう…。

この状況で真っ赤な顔をみられたところで、「夕日のせいだ」とか、「ドジ過ぎた自分が恥ずかしかった」とか理由はいくらでもあるというのに、そんな事もわからないくらい混乱している。

どうしよう、助けて…。

「おい、イオナ…」

優しい声がして、手が肩に触れそうな気配を感じた時、「心臓が爆発するっ。」と思った時。

「てめぇ、イオナちゃんに一体何してやがるっ!」

まるでヒーローのような台詞が、二人のいる場所へ向けて大声で放たれた。

舌打ちの音が隣から聞こえ、カチャリと刀の鞘がぶつかり合う音が続く。ゾロが立ち上がったらしい。

そして、勢いよく近寄ってくる足音。

彼女がゆっくり立ち上がったタイミングで、ゾロは口を開く。

「お前には関係ぇねぇだろ。」

それは先程まで自分に向けられていた声とは異なる冷たい声色だった。

あの優しい声色が自分のために放たれたなんて考えただけで、悶え死にそうなほど嬉しくなってしまうじゃないか。

感情の昂りは収まらず、嬉しさなのか恥ずかしさなのか照れなのか…

よくわからない質の涙が目尻からこぼれる。

すでに痛みはどこか遠くに放り出されてしまったようだ。

そんなことを考えている間に、ヒーローばりの登場を見せたサンジは、胸に手をあて、演説するかのように「いや、関係ある!」と断言。

そして続ける。

「俺が風呂やトイレ、食材庫に入る度に追いかけっこなんてしやがって。うやらやましいじゃねぇか、この野郎!」

「なに訳わかんねぇことを…。」

「黙れ!だいたい、ナミさんやロビンちゃんもこの船には乗ってるってのに、なんでお前はイオナちゃんばかり…」

言い合っている二人の、いや、正確には呆れ返った声で興奮するサンジをあしらっているゾロの隙をついて逃げ出した。

恥ずかしい、照れ臭い。
心配されて、ちょっとだけ嬉しい。

そんなことを考えながら。


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