侵略的な恋の攻防戦昨日も宴だったのに、今日も宴だ。
酒の飲めないイオナは絡み酒に巻き込まれぬよう、甲板を片付けながら料理を運んだり、酒を運んだり。
いつもはナミやロビンを気遣うためにシラフのサンジですら、ワインを煽りながら料理を作っている辺り、よほどここのところの航海が刺激に欠けていると感じているのだろう。
「イオナちゃんも楽しんどいでよ。」
そう言いながらほろ酔いのコックにグラスを差し出されたイオナは、手元にあったミカンジュースの瓶を手に取った。
「私はジュースでいい。」
素っ気なく答え、サンジの持つワイングラスに瓶の縁を優しくぶつける。
「それじゃ、乾杯。」
滑らかな曲線を描く薄いガラスの中で揺れる葡萄酒。
環境に変化を受けやすいワインの管理は、海賊船の中では難しい。それゆえにこの船には早飲みタイプしかないのだと、以前ナミがぼやいていたのをふと思い出した。
サンジの唇にグラスが触れたのを確認し、イオナも瓶に口をつける。
早飲みタイプは長期管理に向いていない分、寝かせる必要がない。どうせすぐに飲んでしまうのだから、船の上でらこの手のワインの方がいいだろう。
逆に長熟タイプのものは振動や温度変化に左右されるため、航海しながらの管理は非常に難しい。どうもナミが好きらしいそれは、角取れていて舌辺りが優しく風味も味もいいのだとか。
そんな豆知識を持っていたところで、自分が酒を飲めるようになる訳でもない。
イオナはアルコールに弱い体質であることを皮肉に思う気持ちを押し殺し、静かに蓋をする。そうでもしないとこの船の上では疎外感を覚えて仕方ないからだ。
舌に触れ、喉に流れ込んだミカンジュースはやけに酸味が強かった。
呑んでいるうちに身体がアルコールに馴れる体質の人も多いらしいが、イオナは特別弱かった。
どうにもアルコールを分解する酵素が体内に少ないらしく、すぐにフラッシング反応が出てしまう。ほんのちょっとの飲酒でも翌日にまで響くし、飲酒直後に身体に違和感を覚えるほど。
それゆえに一切飲まないようにしていたのだが、そうすると宴の席では暇をもて余してしまうことが多々あった。
根っから明るいタイプのルフィやチョッパーは"飲んでいるのが例え牛乳だったとしても"、酔っ払いたちに混ざればそのノリに酔うこともできるのだけど──もちろん、イオナはそんなタイプではない。
結局はその場の雰囲気を落とすのが嫌で、ついつい輪から離れ、転がっている瓶を拾ったり汚れた皿を下げたりをしてしまう。
そして今日も同様に過ごしていのだが。
「おい、イオナ。」
甲板の隅の方で一人酒を煽っていたゾロに呼び止められてしまった。
彼の周囲には、空の酒瓶がいくらか転がっている。
その状況をみて、追加の酒を持ってこいと言われることを予想しながらも、イオナは「なに?」と素っ気なく返事した。
「なに?じゃねぇよ。こっちこい。」
「え?」
「一杯くらい付き合えよ。」
「……。」
必要項目以外の会話をするような仲でもないのに、わざわざ呼び止めてまで誘う必要があるのだろうか。
それとも「酌をしろ」とか言い出すのだろうか。
彼女の表情は無意識のうちに怪訝なものへと変化する。
それをみたゾロはちょっとつまらなさそうに頭を掻いた後、イオナの腕を掴み隣に座らせた。
「ちょっと…、ゾロ。」
「一杯だけ飲んでいけよ。」
「えっ…?」
戸惑う彼女の反応など気止めることもなく、手にしていたおちょこにほんの少しだけ酒を注ぐゾロ。
その行為の意図が読めず、イオナは促されるままにそれを受け取ってしまう。
この場におちょこは1つしか無かったため、瓶のまま酒を構えることになっている目付きの悪い剣士に促されるままに、コツリとおちょこをぶつける。どちらかともなく「乾杯」と呟き、それを口元へと運んだ。
鼻先から流れ込むアルコールの香り。 抜けるようなその感じで、これがどれだけ強い酒かはわかった。
それでも、ほんの少し、底にわずかに注がれただけの酒を拒む訳にもいかず、─なにより、拒むことをゾロの放つオーラが許さなかったのだが─イオナは口内へと一気に流し込んだ。
思わず顔をしかめてしまうほどの辛口の酒。舌に触れた瞬間にフラッシング反応があるわけではないので、この時覚えた目眩は錯覚なのだろうが、それでもイオナには充分キツかった。
おちょこから唇を離し、溢れ出した唾液と混ざった酒を、無理矢理喉の奥へと流し込もうとする。
刹那、唇に熱いものが触れた。
「んっ。」
おもわずこもった声が漏れる。
唇に触れたものが、なんなのか。それを理解するのには、一秒もかからなかった。
反射的に腕を突っ張り押し剥がそうとする。けれど、いつの間にやら首の後ろに回された腕にガッチリとホールドされていて離れてはくれない。
酒臭さにふらつきながらも、堅く唇を閉ざし抵抗を試みる。驚いた拍子に酒を飲み込んでしまっていたためか、胃の辺りが異常に熱かった。
首をホールドしていない方のゾロの手に、後頭部を押さえられる。強引に顔の角度を変えられ、その拍子に彼の舌が口内へと差し込まれた。
鼻先がぶつかるのもおかまいなしに続けられる口づけ。熱く力強い舌に、口内を犯される。
獣のよう強引さに息苦しさを覚え、解放されるまでの数秒の間で、すでに息切れしていた。
「なんで、こんな、ことっ…」
わずかに含んだアルコールのせいか。
はたまた混乱のせいか。
すぐに立ち去るという選択肢をイオナは忘れていた。
その場にへたりこんだまま、苛立ちと嫌悪を含んだ視線をゾロへと向け訊ねる。
すると彼は悪びれる様子もなく、白い歯を見せながら「ごちそーさん」と呟き、また酒を煽った。
「質問に答えなさいよ。」
「んあ?なんだよ。」
「だから、なんでっ、こんな…」
そこまで口にしたところで顔が火照る。
自分からゾロの匂いがする。彼に触れられた部分のすべてがジンジンとした熱を持ち、遅れてやってきた羞恥心をさらに昂らせ言葉がでない。
言葉を詰まらせ、唇を噛み俯いたイオナを見て、ゾロは口元を緩めた。
それはもう嬉しそうに、たのしそうに。
その表情に目を向けることもなく、ただイオナは考える。
(なに?ゾロってこんなキャラだったっけ?)
トクントクンと胸が鳴る。
同じ甲板にいるはずのクルーたちの笑い声が、やけに遠くに感じる。
まるで切り離された空間にいるかのように、喋ってもいないゾロの息遣いや、彼の纏う空気を強く感じる。
そんなイオナの意識を引き付けたのは─
「そりゃ、イオナのことが好きだからに決まってんだろ。」
─ほんの数秒の、それでいてとてつも長く感じる間を置いて放たれたゾロからの返事。
唐突のすぎて口は開くが声がでない。
驚いた表情のまま空腹の金魚のように口をぱくぱくするイオナの顎へと触れた彼は、挑発的な笑みを浮かべ、
「逆に聞くが──」
目を伏せた彼女の顔をソッと持ちあげ、その視線をとらえるかのようにいじらしく目配せする。
先程触れていたはずのその唇から放たれるその低く掠れた声は、直接心臓を撫でているかのように身体の中で響く。
それでも、イオナはドキドキしていることを認めたくはなかった。
だからこそ、また反抗的な目をゾロへと向けたのだが。
「──イオナは好きでもねぇ男に突然キスすんのかよ。」
身体の芯は火傷しそうなどに熱く火照らされてしまう。
「好きだからこそ欲しくなるもんだろ?」
これは雰囲気のせいだ。
ムードに飲まれるな。
私は、私の気持ちは…
「そ、それでも。私の気持ちは──」
気を取り直して言葉を発したというよりは、反射的に飛び出したようなものだった。
けれどやっとこのことで絞り出した台詞は、ゾロの手によって物理的に遮られた。
大きな手のひらで押さえられた口から、「んっ、んーっ。」と情けのない声が漏れる。
なんとか主張しないと。そうは思うのだが、再び顔を寄せられれば押し黙るしかない。それどころか、先程の荒々しいキスのことを思い出して頬を火照らせてしまう始末だ。
イオナは赤面しながらも、抗議的な目だけは揺るがせない。眉を寄せて不満を訴える。
どこまでも反抗的でありながら、どこか扇情的な表情の彼女を見つめるゾロの目は、爛々と輝いているクセに遠くを見ていて─
「待て、返事はまだいい。」
イオナの向こうにある何かを見ていて、
「今なら確実に俺のこと振るだろ。」
惹き込まれそうになる。
「だから、俺に惚れてから返事を聞かせてくれよ。」
小さな間を挟みながら、放たれたゾロの台詞。酔っぱらっているからこんなことを言うのか。それとも…
相変わらず口を塞がれたままのイオナは、視線で「そんなこと一生あるか!」と訴えた。それが伝わったのか、いないのか。
「安心しろ。今に俺に惚れるぜ。」
なにを安心すればいいんだ。
そう言いたいのに口にすることはできない。ただ肉食獣に捕らえられた小動物のように、じっとしていることしかイオナにはできなかった。
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