スラムな夜「絶対ぇ許さないからな!」
この台詞は何度目だろうか。
ゾロは1週間前に起こったあの事件以降、極力イオナとは関わらないようにしている。
その姿をみたらすぐさま撤退。
それが彼の行動パターン。
あちらも同じ気持ちなのか、顔を合わせるシチュエーションを徹底的に避けてくれているため、なんとか精神衛生面を良好に保てていると言えよう。
もう相手にするな。意識するな。
わざわざ避けている時点で充分意識をしている訳なのだけど、それにゾロは気がついていない。
ましてや、「許さない。」などと、何度もぼやいている時点で、頭の中は彼女でいっぱいな訳で─。
そこにどのような意思があったとしても、ゾロが彼女に翻弄され続けている現実は否定しようのない事実である。
ちなみにあの事件の後ことを説明すると。
さすがに急所を踏みつけられただけあって、ゾロはすぐに立ち上がることはできず、彼女を追うことも、自身の部屋へと戻ることもできなかった。
それどころか─そのまま展望室で無防備に眠ってしまったからか、ダメージによる後遺症からかはわからないが─それから2日間ものあいだ、彼は高熱にうなされ床に伏すこととなってしまったのだ。
なんとも悲惨な運命である。
そうこうしている間、イオナがどうしていたかはわからない。なにを考えていたのかだって、もちろんわかるはずもない。
療養中だった時は、なんとか捕まえてどういうつもりなのかを問い詰めてやろうかなどと、思案していたのだけど─回復するにしたがってその気持ちは薄れていった。
そう。冷静に考えればわかることなのだ。
追いかければまた繰り返すだけだと。
負の無限ループに陥るくらいなら、例えわだかまりを残したままだとしても我慢する方がマシ。
関わらないに越したことはない。
頭ではそう理解していた。
確かに理解しているのだけれど─
「意味がわかんねぇ。」
気を抜くとすぐに彼女のことを考えてしまっているのだから、大概重症である。と言いたいところだが─
誰が粗チンだ、あのアマ…。
んなこと一度も言われたことねぇよ!
─シンボルを酷評されたとなれば、根に持っても仕方ないのかもしれない。
だいたいアイツは踏みつけたんだろ。
なんだよ。踏みつけたついでに、足の裏でサイズ確認しましたってか?
許さねぇ。絶対ぇに許さねぇ。
ここまで執拗に彼女の言葉を気にするのは、実際に彼自身も多少のコンプレックスを抱いているのではないかと疑いたくもなるのだけれど、真相はさだかではない。
ただゾロはイライラと廊下を突き進みながら、船内を彷徨いていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ゾロは気がついてすらいなかったようだけれど、サニー号は停泊中。
そして、イオナは街へと出ていた。
「ナミってば遅いなあ。」
そして現在─夕方に合流しようとナミと約束をしていたはずなのに─待ち合わせ場所で一人きり。
すでに夕日は沈み、夜の刻へと切り替わっているにもかかわらず、一向に待ち人は現れない。
「なにかあったのかな…。」
彼女は目を細めて辺りを見渡しながら、小首を傾げ─周囲の雰囲気に負かされシュンとする。
別に闇夜が怖い、といった感情はない。むしろ、夜の雰囲気は好きな方だ。夜風の冷たさも、独特な街の賑わいも、夜鳥の鳴き声も…。どれも嫌いではない。
そう、問題はそこではなかった。
小さくため息を付き、顔を正面へと向けたイオナの前に、突然、顔面に古傷だらけの男が現れる。
「ヒャッ!」
「フヘヘヘヘ…」
あまりの距離の近さに驚き、彼女は小さく悲鳴をあげる。が、男は特になにかするわけでもなく、不気味な笑い声をあげてフラフラとおぼつかない足取りで遠ざかっていく。
どうなってんの、この街…
そう。彼女が不信感を抱いているのは、夜そのものではなく、この街の夜の顔。
昼間の活気溢れる印象はすでに崩れ落ち、今では浮浪者(アルコール依存者や薬物中毒者にもみえる)の蠢く枯れ果てた街と化していた。
ほとんどが単体で彷徨いており、時には狂気的な雄叫びをあげながら、ときには号泣し体液を撒き散らしながら─。
それはスラム以下。
まるでゾンビタウンだ。
当然のことながら、昼間、街を喧騒と活気に導いていた人たちは、ひとっ子一人見当たらない。
そんな殺伐とした空間の中でも、イオナはどこか緊張感なく間抜けたことを考える。
「ナミ、まだかなあ…。」
どうせナミのことだ。今日だって、サンジを従えているに決まってる。彼が居れば、"襲われることはあっても殺されることはない"だろうし、とっとと合流したいなあ。
それは、完璧なる他力本願。
自分でどうにかする意思は皆無。
彼女自身、自分がなにかに突出しているとは考えてもいないし、出来ることといえば逃走のみであると理解している。
本来ならば─イオナは仮にも女の子なのだから─殺される以上の屈辱と恐怖を味わうことになる可能性についても考えたほうがいい。
緊迫感に肝を冷やせとまでは言わないが、せめて警戒心を強めるべきなのだ。
それなのに、何故だか彼女は緊張感を覚えようともしていない。
まるで最初からその感情を持ち合わせていないかのように、気の抜けた表情のまま「ふへぇー」などと声を漏らし宙を仰いだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
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