ゾロ | ナノ


桃色の贈り物

照りつける太陽から逃れるかのように、イオナはいつまでも女子部屋から出ようとしない。

鏡の前に腰を下ろした彼女は、何度も、何度も、何度も─

あの感覚を思い出すかのように、細く柔らかい指先で自分の唇に触れる。

「あんなに強引なの、初めて…。」

この呟きは何十回漏らしたことか。

しかし、何度言葉にしても胸にときめきが押し寄せ、心が踊るのだから仕方のない。

一度目は確かに事故だった。
でも二度目のあのキスに関しては─

そこまで考えて、鏡に映る自分の顔が真っ赤であることに気がついたイオナはそのままベッドへダイブする。

ギュッと枕を抱き締めたところで、なんの意味もない。けれど気休めくらいにはなるだろう。

ずっと見ていたいくらい好きな人。
大好きで、大好きで、仕方のない人。

どうにかなりそうなほどに大好きな人。

この想いに気づかれてはいけないと、さんざん逃げ回ってきた。

でもあの日、あの瞬間、自分は彼のベッドの上に居て、彼は確かに"強引に口付けてきた"のだ。

まるで求めるかのように。奪うかのように。強引に、野獣のように勇ましく…。

「ゔぅ〜。んあ〜。うぎゃ〜。」

イオナは枕に顔を埋めながら、うめき声を上げ、身悶えを繰り返す。

彼女なりに考えていた。

ゾロは何故、あの時口づけたのか。

どうして自分の唇は塞がれたのか。

どんな気持ちでそうしたのかを。

一番重要であるはずの、あの─ゾロが強引に唇を奪った─瞬間、自分が何をしようとしていたのかというのを思い出すこともなく…

ただ唇の感触だけを信じてイオナは頬を紅潮させていた。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

夕食後

そこで繰り返されるのは日常的なやりとり。

「サンジくん、私が食器洗うよ。」

「ありがとう。イオナちゃん。」

「今日も量すごいな…」

「俺がやろうか?」

「うぅん、大丈夫。」

まるで普通の人みたいに、サンジと親しげに会話するイオナを目の当たりにし、ゾロは苦虫を噛んだ顔をする。

(あぁ、なんでお前はいつも、いつも、いつも、そこにいるんだよ…。)

対面キッチンの向こう側。

こちらに背を向けて立つイオナの横顔をチラチラとうかがいながら、ゾロは胸中でボヤく。

自分とはまともな会話すら成立させられない彼女が、サンジとは普通に会話をしている上に、微笑みかけるような仕草まで見受けられる。

見せつけられているかどうかはわからないが、目の前でやられて腹が立たないわけがなかった。

気になって仕方がない。

イオナに対するゾロの今の気持ちは、まさしくこれだろう。もちろん、恋愛的な意味を含むかどうかは別にして…だ。

突然、夜中に奇襲をかけてきたイオナは、度重なるハプニングの末、なにか言いかけて逃走。その後、二人は一切の接触なしで過ごしている。

確かにあのような状況になってしまった以上、「何故あの場で続きを言わなかった」とまではゾロも言わない。

ただあれから完全に無視は少し酷くないか。とはずっと思っていた。

それにプラスして、"あの夜、号泣することとなった原因であるエロ本"の、真の保持者にして提供主であるサンジといまだ仲良くしている無警戒っぷりにはちょっと心配にすらなる。

あのエロ本についてはサンジの審美眼に叶う最高峰の作品であったらしいが、内容はろくなものではなかった。

木に縛り付けるってなんだよ…
目隠しってあんなの…
公園の蛇口を汚すなよ…

特に記憶に残ったページについて、胸中で突っ込みをいれるゾロ。全ページに目を通していることについて、彼は特に後ろめたさを感じてはいないようだ。

きっと気休めにすらならない内容だったのだろう。

ほんの数秒の間、エロ本へと向いていた意識を、再び眼前の光景に戻す。

肩を並べて食器を洗う二人。
サンジが何やら耳元で囁き、イオナが小さく肩を震わせクスクスと笑う。

あの日あんなに側にいた彼女が、他の男と親しげにしている。

その事実が胸に鋭く突き刺さる。

あの日、温もりを鷲掴んだ自分の掌を眺め、そのままその指で唇に触れてみる。

すごくよかった。

なにがどう。とは説明できないが、彼女に触れたその感触を思い出すと、鼓動が速くなるのだ。

充実感や、満足感、幸福感といった今にも頬の緩んでしまうような想いが沸き上がってくる。

それはいままでにない経験。

だからこそゾロの中に深く印象付けられているのだろう。ここまで彼女に執着してしまうのだろう。

(なんなんだろな、これ…)

沸き上がる感情をそれほどまでに自覚していながら、はっきりとした答えは導き出せていない。

漠然とした高鳴りだけがゾロの胸を鷲掴む。

「イオナちゃん。髪に泡がついてるよ。ほら、ここ。」

「ん?どこどこ?」

「取ってあげるよ。ほら、こっち。」

あまりに親しげな二人のやりとりに、おもわず「いったいどんな罰ゲームだよ。」などと胸中で突っ込んでしまっていたことは秘密だ。

そしてその無意識の中で、胸元にいつも忍ばせている短刀を握りしめ、無意識に標的を定め、無意識に手首にスナップを効かせ、無意識に支配されたままソレを手放していた。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇

サンジの手がイオナの髪に伸びた時。

彼女の耳の真横を掠める銀色の閃光。

避ける隙すらも与えず二人の間を通り抜けたそれは、ザクッと音をたて壁に突き刺さった。

一瞬その場の空気が凍る。

あと数cmズレていれば、自分に刺さっていたことをイオナが理解するのに1、2秒の時間を要し。

「「えっ!?」」

声を出すまでに3秒の間が必要だった。

短刀の刺さった壁から、隣に立つサンジへと視線を流す。彼もまた驚いた様子でこちらをみていた。

敵襲?そんな訳がない。ならば…

まるでタイミングを合わせたかのように、二人は揃って背後へ振り向く。

「えっと、ゾロ…?」

躊躇いがちにイオナは呟く。
それは誰にも聞こえないほどに小さな声。

振り返り、二人が見たもの。

それは、そそくさと部屋から立ち去ろうとするゾロの後ろ姿だった。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




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