真夜中の襲来者悲劇から、数時間。
すっかり日も沈んだ頃。
「おい、ウソップ!もっかいだ。」「しつけぇよ、ルフィ…。」「いや、俺も再戦を希望するゾ!」「はぁ、チョッパーもかよ。」「うだうだ言ってねぇでとっととトランプ配れよ、ウソップ。」「なんで勝った俺が…」
昼間の熱さとはまた違う熱気が二段ベッドの脇で沸き上がる。かれこれ1時間以上盛り上がっているにもかかわらず、彼らに疲れた様子は全くない。
狭い男部屋で大騒ぎする三人のクルーを尻目に、どこか疲れた様子のゾロは額に腕の背を乗せて天井を見つめている。
しかし、彼の細めた目、その瞳に映っていているのは無機質な天井などではない。
そう、昼間の一件。
あの瞬間のイオナのあの表情だった。
─さすがにアレはマズかった…。
わざとではないとはいえ、怪我をしないように手を差し伸べたとはいえ。
年頃の女を組み敷いてしまった。
それをクルーに、よりにもよって、ナミとサンジに目撃されてしまった。
もし、イオナと自分の関係が普通のものであれば、または相手が普通の女の子であれば、助けたことへのお礼を言われたり、「これは違うの。」などとその場で目撃者たちに挽回してくれただろう。
ただ生憎、自分達の関係も良好とは言えず、彼女個人もそういう常識的な人格ではない。
それ以前に、自分が追いかけたことにより、イオナが全力で逃走を図り転倒しそうになったのだ。
悪いのはすべて自分なのではないかという負い目も、ゾロは若干ではあるが感じていた。
─どうすりゃいいんだ?
接触を試みる度に、追走劇を繰り広げる度に、ビンタされる度に…。
幾度となく繰り返す自問自答。
深く刻まれた眉間のシワも、無意識に浮き上がる青筋も、悩みの内容に反して威圧感がありすぎる。
それほどまでに思い詰めている事実も、思い詰めてしまう理由もわからず。
彼はただ一人
"何故こうなってしまうのか"
"彼女にどう思われているのだろうか"
という、憶測や推測ではどうすることもできない悩みに押し潰されて…。
「辛気クセぇな、おい。」
突然の声に現実に引き戻される。
再び頭に流れ込むようになったルフィたちのはしゃぐ声と、肺を重たくする煙の匂い。
なにより、こちらを覗き込んでいる男の存在にすら気がつけていなかったことに、ゾロ自身が驚いた。
クソコック…。
胸のうちで小さくその人物の愛称を口走り、その存在を鬱陶しく感じながらも─失態を目撃された背徳感から無視する訳にもいかず─ゆっくりと身体を起こす。
「なんの用だ?」
「まぁ、なんだ。うちの戦闘員がいつまでもメソメソされてちゃ困るからな。これでも読んで元気だせよ。」
てっきりからかわれるものと思っていた相手からホイッと投げて寄越されたのは、雑誌が1冊入る程度の紙袋。
「……?」
「俺の審美眼には一寸の狂いもねぇ。それは、俺からの景気付けってヤツだ。遠慮なく受け取ってくれ。」
意味がわからないと言いたげなゾロの訝しむ表情を読み取ったのか、サンジは長たらしく『彼なりの励ましの粗品』の説明を行う。
それでも意味がわからず、すでにこしらえていた眉間のシワを一層深くした彼を尻目に、「んじゃ、そういうこった。」と軽い調子で口にして、サンジはとっとと部屋を後にした。
閉ざされたばかりの扉に一度目を向けた後、再び紙袋へと視線を落とし、しばらく見つめていたゾロは「意味のわからねぇヤツだな…」とぼやく。
審美眼うんぬんを聞いてしまったせいか、まるで紙袋の中身には興味が湧かず、紙袋を枕元に放り出す。
そして、彼は再びベッドに横たわった。
もちろん考えるのはイオナのこと。
そして当然のことながら答えなどみつからない。
長く長く思考を凝らせば凝らすほど、悪い答えしか導けないのがお決まりのパターンである。
─あぁ、もうダメだな、こりゃ。
その言葉をもって、強制的にその悩みごとについて考えるのを打ち切った。
例え昨日までは嫌われていなかったとしても、今日のあの一件で充分に嫌われてしまっただろう。
そして、もともと嫌われていたんだったら、もう取り返しがつかないほどに嫌われてしまっただろう。
つまり、どちらにしろ嫌われまくってしまっているに決まっている。
だからもう考える必要なんてないのだ。
そうやってゾロは勝手に結論づけた。
そうすることで、圧倒的に気が楽になるはずで、もうこの邪魔にしかならない悩み事から解放されるのだから。
しかし、ゾロの中にはもうひとつ考えなくてはならないことが生まれていた。
どうして自分は、突然ビンタしてくるような奇妙な相手にここまで固執してしまうのだろうか。
イメージは最悪だったことを思い出す。
寝てれば感じる不気味な視線。
それを指摘すれば観察だのなんだのと言い出して、突然に逃走を計り、どんだけアホなんだと突っ込みたくなるような勢いでズッ転けて…
手を差し伸べてやったにも関わらず、泣きそうな顔でビンタを決めてきた。
それが始まり。
そんなヤツのなにに興味を持って、自分は追いかけ回していたのか。
イオナのイメージを最悪だと思っていたのはいつまでだろうか。いつから彼女を…
いつの間に彼女のイメージが、自分の中で塗り替えられてしまったんだろうか。
その新しいイメージは、印象は、価値はどのようなものなんだろうか。
今自分の頭の中には、思考回路を滞らせる鉛のようなものがある。彼はそう感じていた。
それがなにであるかはまだわからない。
ただ、嫌われてしまっただろうという予測に対して、"落胆"していた自分を思い出し、ゾロは自嘲の笑みを浮かべ瞼を閉じた。
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