「おい、イオナ!?」
たじろぐゾロを前に、蛇口を捻ったみたいに溢れ出す涙は止められない。
泣いているうちに嗚咽まで漏れてきた。
「そんな痛かったか?」
ゾロの問いかけに首を大きく左右に振って否定する。
じゃあ、どうしたんだよ。と彼は心配そうにイオナの顔を覗き込むけれど、泣いている彼女はそれにすら気がつかない。
「ごめんなさい…」
「ん?」
「私、なんにも…、用意でぎなぐで…」
途中から何を言っているのかも、伝わっているのかも怪しかった。視界もぐぢゃくぢゃでゾロがどんな顔をしているのかもわからない。
それでも必死で訴える。
なにも出来なくてごめんなさいと。
悔しくて、情けなくて、どうしていいかわからないことだらけで。
泣いているうちに、ピアスの痛みは失せていた。それ以上に胸が痛い。
ゾロのことが好きだから涙が溢れる。
大切だから胸が苦しくなる。
不甲斐ない自分が許せない。
きっともっと上手く気持ちを伝える方法があるはずなのに、それを選択することはおろか、見つけ出すことすらできない。
涙を堪えようとすると嗚咽が漏れる。嗚咽が漏れると涙が溢れる。
ただその繰り返し。
「んなことで泣くなよ。別に俺は─」
なんとか言葉でなだめすかそうとしていたゾロも、いい加減それが無理だと気づいたようだ。
小さく溜め息をついた後、イオナを抱き寄せる。まるで子供をあやすみたいに、繰り返し頭を撫でた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
しばらくしてなんとか涙を堪えられる状態になったイオナを芝生に座らせる。
ゾロ自身もそのとなりに腰を下ろし、真っ赤な目をした恋人に、呆れたように笑いかけた。
「なにが欲しいかなんて、んなの聞けばいいだろ。なんでそんな悩むんだよ。」
「だって…」と口を尖らせた彼女は罰が悪そうに視線を伏せる。それをみたゾロは更に苦笑した。
「ガキみたいだな。」
「ほっといてよ…。」
「 なんだよ。泣いてるときは潮らしくて可愛かったってのに。」
冷やかし交じりの言葉に赤面したイオナが言い返そうとしたところで、頬を摘ままれ、顔を持ち上げられる。
目があった途端、言葉の通りブチュッと唇を重ねられた。
まるで子供みたいな口づけ。
あぁ、からかわれてるんだと理解するけれど、わざわざ抵抗したりはしない。抵抗したら逆に喜ばれるからだ。
案の定、唇が離れるとゾロは笑っていた。
「なに…」
「俺のこと好きか?」
「だったら…、なんなの。」
すでに調子は取り戻しているけれど、やっぱりまだ照れ臭い。目を合わせるのに勇気がいるくらいだ。
本心としては一度撤退したいくらいで、ここにいるだけでもずいぶん精神力を消耗している。
対するゾロは目を伏せたまま放たれた素っ気ない返事を、相変わらずの余裕で受け入れた。
「ったく…。ちっとは、かわいい返事の仕方を覚えろよ。」
「やだ。」
「即答かよ。」
「うるさい。」
イオナはその態度が駄々ッ子みたいだと自覚していた。それなのに、やめられないのは照れている姿を露見したくないから。
頬から手が離されるとすぐに元居たように、膝を抱えてそっぽを向いた。
ゾロがこれらが照れ隠しであると理解してくれているからといって、こんな風におごっていてはいけないとわかっている。
それでも今は泣いてしまったことへの後ろめたさもあって、余計に素直になりにくかった。
ふてくされているつもりはないが、きっと今の自分はそんな顔をしていふのだろうとイオナは考える。
それでも─
「別にプレゼントとか、お返しとか、んなこと、考えなくていいからな。」
ゾロの声が聞こえる度にうれしくなる気持ちは抑えきれなかった。ついつい緩む口元を、膝の上で組んだ腕で隠しす。
そんな反応のないように見えるイオナの態度を彼はどうとらえているのか、しばらくの間を置いてから続ける。
「イオナが俺に惚れててくれるなら、それで充分なんだよ。」と。
この人はどこまで私を甘やかすんだろう。
うれしくて仕方ないのに、素直にありがとうを言えない。嬉しいと伝えられない。
「かっこつけ。」
「うるせぇよ。」
イオナが緩む口元を隠して言葉を返すと、ゾロは照れ臭そうに言い返す。
何気ないやりとりをしているうちに、あんなに感じていたはずの劣等感がスゥーっと抜け落ち、この代わりに心が安堵感に満たされていた。
そこでイオナは思う。
恥ずかしいけれど、照れ臭いけれど、せめて自分の本心を伝えようと。
大好きだと伝えようと。
それなのに─
「んじゃ、今晩は展望室な。」
唐突に切り出され、「へ?」と間抜けな声を漏らしてしまう。
ポカンとしたイオナを尻目に、ひとり満足げな表現を浮かべ、ゾロは立ち上がった。
「泣き顔見せといて欲情すんなとか言うなよ。夜まで待ってやるだけ、ありがたいと思え。」
彼はなんの躊躇もなくそう言い切り、船室のドアへと向かって歩き出す。
せっかく気持ちを伝えようとしたのに…。
さっきまでの純粋に緊張していた自分がバカらしいやら、照れ臭いやらで、ムッとした。
─また、必死なのは私だけじゃない!
遠退いて行く、自信満々の大きな背中に向けてイオナは叫ぶ。
「絶対にやらないから!」と。
「言ってろ」と明るく言い返してきた彼は、きっと憎たらしい笑みを浮かべているんだろう。そう思うとなんだが悔しい。
ムッとしながらゾロがつけてくれたピアスを指先で弄ぶと、傷口が少しだけ痛んだ。その現実的な痛みが、嬉しく思えて仕方なかった。
『今晩は展望室な。』
夜に展望室だなんてあり得ない。
あの一面をグルリと覆うガラスに、自分のどんな恥ずかしい姿が映し出されるのかと考えると羞恥心で死ねそうだ。
それでも…
ちゃんとしたキスくらいなら。
そんな甘いことを考えながら、イオナはその時が来るのを心待ちにした。
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