ゾロ | ナノ


ドアを叩きつけたところでゾロの心が晴れることはまずない。おまけに数日前に受けた仕打ちを思い出し、腫れてもいないのに頬が疼いた。

「結局あいつはなんなんだ、いったい。」

甲板の冷たい空気を浴びることで、少しだけ気持ちは落ち着いてくる。それでも、頭を埋め尽くす疑問が消え失せるわけではない。

毎日毎日寝顔を眺めてくるかと思えば、声をかければ慌てて逃げようとする。ドジなのか、アホなのか転びかけたのを助けてやれば、お礼も言わずに平手打ち。

謝罪の一つもないどころか、視線を送ってくるクセに、目を合わすことを拒み、顔を背けるばかり。二人きりになりそうになればしれっと撤退。

その瞬発力と判断力には脱帽ものだが、やられる方は気になって仕方がない。

なにより腹が立つのは─

「ベッタベタしやがって…」

先ほどのイオナの立ち位置。

ビンタの日以降、彼女は”まるでサンジの隣が定一であるかのよう”に、彼の隣に居座るようになった。

それまでは普通に暮らしていたというのに、何故あのタイミングからそうなったのか。あの平手打ちとなにか関係あるのか。

だいたい観察とはなんなのか。

気になって仕方がないことばかりなのに、彼女がサンジのそばにいるせいで訊ねることが出来ない。

まるでサンジは猫よけの水のようだ。

仕方なく、一人でいるところにさりげなく近寄ってみるけれど、察しのいいイオナはその気配に気づくらしく音速で逃げてしまう。

そこでゾロはいつも思うのだ。

一体なんでだ!?と。

セクハラ発言しかしてねぇアイツには無条件で懐いてんのに、なんで俺が叫ばれ、避けられ、逃げられんだ?

ゾロは考える。

一体自分が何をしたというのか。自分の何がいけないのか。

それさえわかれば、少しはこの苛立ちもマシになるだろうと考える。気休めにしかならないかもしれないが、悶々としているよりはいい。

理由によってはさらに苛立つ可能性もあるのだが、そこはあえて考えないようにしていた。

「変なヤツだよな。」

ゾロはポツリとこぼす。

彼とイオナは普段あまり言葉を交わすことがなかった。初対面の挨拶の時に、視線を泳がせる彼女の様子を疑問に思い、ナミに訊ねたところ「アンタが怖い顔してたんでしょ?」と言われたからだ。

普通にしていたはずなのに、何がダメだったのか。

ゾロにはわからなかった。

そこで、引っ込み思案のあがり症なのかもしれないと考え、極端に近づかないようにしていた。

すると、あの視線攻撃が始まり─。

ゾロの身体能力を持ってすれば、素人の平手打ちなど受ける前に相手の手首を掴み組伏せることも出来ただろう。

それでもビンタを受け入てしまったのは、意外性と油断と緊張のせい。

ここでふとゾロの脳裏をよぎったのは、あの感覚。

背後からイオナの身体を支えた時、偶然腕に触れた柔らかい感触。

それはほんの一瞬の出来事であったが、彼の優れた身体能力と直感で何に触れたかはすぐに理解できた。

そして当たり前に身体は反応した。

「欲求不満のガキかよ。俺は…」

その時の感覚を思い出してしまったことを反省し、高速で否定する。

しかしながら、

もし、そのことでイオナが怒っているのなら、謝るべきなのか?

ふとそんな考えが頭を過る。

けれどすぐに考え直した。助け起こした際の接触ごときで、セクハラだと責められるのは心外だと思ったからだ。

第一、「おっぱい触らして〜」だの、「豊満ナイスバディ」だの言って目を輝かしてる奴が許されているのに、不意な接触でいつまでも避けられるなんて理不尽この上ない。

一応反応してしまった部分はあるのだが─

生理現象ぐらい許せよ…。

眉間にガッツリと皺をよせたゾロは、大の字に寝転ったまま満月を見つめている。気分とは反して、妙に明るい月明かりに、深い溜め息が漏れた。

一方その頃。

恋愛感情云々の話については触れないようにしながら、簡単にビンタへの成り行きを説明したイオナは、タバコの煙を吐き出すサンジの横顔を不安げな目で見つめていた。

そんな視線に煽られるように、頬を緩めるサンジは内心「なになに、イオナちゃんのこの熱い視線、すげぇかわいい。」などと不謹慎なことを考えながらも、落ち着いた口調で言葉を吐き出す。

「アイツにビンタなんてやるじゃないか。」

冷やかすように、それでも優しく紡がれた言葉に、イオナは少しだけ安堵する。それは、決してビンタを肯定されたからではなく、好意を悟られてずに済んだから。

「あれは不意打ちだったから…」

目の前にあるセクハラまがいの視線に気がつける余裕はない。ビンタを繰り出した後にゾロの見せた”驚きに満ちた表情”を思い出し、彼女は言葉を濁し俯いてしまう。

これは喧嘩ではない。

一方的に視姦し、暴行を加えた上に、謝罪することなく逃げ回っているだけだ。

ゾロが怒るのは当然。直接文句を言わないのは、最後の優しさなのかもしれない。

情けないやら、恥ずかしいやら、申し訳ないやら。様々な感情が押し寄せる。

「イオナちゃんは悪くないよ。」

しかし、中途半端にしか出来事を説明されていないサンジからしてみれば、ビンタはご褒美だろう?程度の印象しか受けていないようで、口ぶりは軽かった。

「かわいいイオナちゃんからもらったものに、ケチつけるのはどうかしてる。それが例えビンタだとしてもね。」

彼は悪気のなく言ってのける。

その言葉にイオナが腹を立てない訳がなく、テーブルの下で強く握られたその拳の中には、爪の痕がクッキリと残っていた。

◇◆◇◆◇◆◇◆|◆

サンジくんに相談するんじゃなかった。

様々な口説き文句を聞き流した続けたイオナは、やっとのことでその場を抜け出し湯気に覆われた浴室にいた。

本気でないにしろしつこい。その上めんどくさく、対応に困る。

蛇口を捻りながら、さきほどのサンジのはしゃぎっぷりを思い出して小さく溜め息つく。

普段ナミやロビンに頼られることがないため、今しかない!と、はっちゃけたのだろう。

イオナはシャワーから降り注ぐ湯を、肌で弾きながらそう予測する。

きっと二人も隙をついて口説かれるのが嫌で、本心を彼の前で話さないのだろう。とまで考えた。

実際には、ナミもロビンも誰かに悩み相談するような隙を見せる性格ではないからであって、決してサンジが悪い訳ではないのだが─今の彼女にはそこまで考えが至らなかった。

ひたすらごちゃついている脳内を、端の方からせっせっと整理しながらイオナは考える。

「謝罪か、そ知らぬ顔か…。」

状況を好転させるためには、これからどうしたらいいのだろうか、と。

いい加減、ゾロの昼寝している姿を観察したかった。もっと言うのなら、イライラしている姿は見飽きたので、楽しそうに笑っている姿を観察したかった。

そんな状況に相応しくない自己中心的なことも含んで、彼女はただひたすらに思案に耽っていた。


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