「おい、入るぞ。」
ゾロの声だ!
そう気がついた時には、なぜか反射的に布団の中へと潜り込んでいた。
ピッタリとベッドに体の側面を張り付け、頭まで被った掛け布団を握りしめる。
謝る予定だったはずなのに。
お礼を告げるはずだったのに。
自分のとった行動の矛盾を噛み締めていると、ドアノブの回転する音が聞こえ、足音とカタカタと陶器のぶつかる音が続いた。
何事かと思い耳をそばだてると、キギィと床と木材の擦れる音がした。どうやらゾロが椅子に腰かけたらしい。
「飯。昨日の晩から食ってないんだろ。一緒に食おうぜ。」
「─…!?」
声にならない声をあげ、イオナは手で口元を覆う。こんなタイミングで誘われるだなんて、どんな風の吹き回しなのだろう。
喜んでいいのか悪いのか判断しかね、彼女は身を固くしたまま動かない。
しかし、それはゾロにとっても予想の範囲内のことであった。ここで負けるものかと、胸中で自分に渇を入れ木製のスプーンを手に取った。
「お前、グラタン好きだったろ?だから、グラタンを頼んだんだけどよ─」
なんで大好物を知ってるの?なんでなんで。しかも頼んでくれたの?優しい。優しすぎる…。
イオナは聴覚に全神経を集中させながら、胸をときめかせる。
ゾロはそれを知ってか知らずか。
照れくさそな口調で言葉を続ける。
「─クソコックの野郎。グラタンはホワイトなんちゃらで、バターがどうこうだから病み上がりにはよくねぇとか抜かしやがって。今日のところは白がゆで我慢しろだと。だからよ、─」
グラタンなんていいよ!
そう言って飛び出したい気持ちを押し殺し、イオナはプルプルと身を震わす。もちろんそれは嬉しさが込み上げてきてるから。
実際のところ、ゾロは彼女がグラタン好きであることなど知らなかった。
サンジに夕食を作ってもらうことになったとき、たまたまそこに居合わせたロビンに訊ねただけなのだ。
しかし、そこをあえて説明する必要などなく、彼女が妄想の展開をしやすいようにゾロは言葉を紡ぎ続ける。
「─今度、めちゃくちゃうめぇグラタン食いに行こうぜ。」
そ、そ、そ、それって、ま、まさかデートの誘い!?
予想外の展開に、イオナは布団の中で跳ね上がってしまいそうなほど驚いていた。
もうすでにフラれたことなど、どっこのどこにも存在していないかのように、気持ちが舞い上がっていく。
先程の反省もすでにどこ吹く風。
ゾロがわざわざ夕飯を運んでくれて、その上でデートにまで誘ってくれた。
振り切れんばかりの期待ボルテージ。
すっかり反応することも、返事することも忘れて布団の中でカタカタと震える。
その震えはもちろんゾロの目から見てもはっきりとわかるもので。
よし、かかったな。
まるで罠でも張り巡らせた悪人のようなことを、心中で呟きながらゾロは木製のスプーンでそっとかゆを掬いあげた。
大袈裟に音をたて、フーフーとスプーンの先、湯気のあがるとろけた米粒に息を吹きかける。
「ほら、出てきて食えよ。早く食わねぇと落っこちるぞ。」
ゾロの声に、やはりその塊はピクリと反応をみせた。しめた、などという恋愛の駆け引きにしては質の悪い単語を胸中で呟き追い討ちをかける。
「イオナ、食えって。ほら、その、俺が…アーンてしてやるから。」
言ってみてわかった。『アーン』という単語は想像以上に言いにくく、そして恥ずかしい言葉であると。
それでも今はゾロにとって、やらなければならない時なのだ。
3秒の間。小刻みに震える塊。沈黙の中に、シーンという音を聞いた。そして、妙にその時間を長く感じた。
手こずるのは承知。
多少の恥は覚悟のうち。
今はイオナとの関係を良好なものにするために、ゾロは踏ん張る。
普通に考えれば、布団に潜っていようが相手が起きているなら一言「好きだ」と言ってしまえばいいものを。
面と向かって伝えなくてはという妙な男気から、あえて苦戦を受け入れた。
そして今、やっとイオナが顔を覗かせた。
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