大きな音を立てぬようにリビングへと舞い戻ったゾロは、電灯ではなく蝋燭の火をつける。
イオナの眠るソファの前に膝を付くと、右肩へと灯火をかざし──小さく息を飲む。
結構、ザックリいってんじゃねぇか…。
その傷跡は今だ赤くじゅくじゅくとしており、見た目だけだとずいぶんと酷いもののようにも取れる。
この怪我でよく寝れたな。
不覚にもそんな突っ込みが頭を過り、苦笑を浮かべてしまうも、すぐさま気を取り直し他に怪我はないかと確認していく。
暗闇の中だったとはいえ、これだけの傷を負っていることに気がついてやれなかった自分に腹が立つ。
実際には、鎌の刃で引き千切るようにして傷跡を残されたがために見た目がグロテスクになり、深刻な傷に見えてしまっているだけなのだけど─医療知識のない彼にそれが理解できるはずもない。
あぁ、消毒してやんねぇと。
チョッパーはまだ眠っている。ならば、応急処置くらいはしておかないと。そんな咄嗟の判断。
けれど、まともな応急処置などやったことはない。故に、自分が処置してもらっている時のことを思いだしてみる。
まずは消毒だ。
消毒液…、そういや、チョッパーはエタノールつってたよな。エタノールつったら、アルコール…、あ、酒な!
閃いたら吉日。すぐさま行動を開始する。
消毒液のアルコール度数は90度。ゾロが普段口にしている酒の度数は35〜40度。
度数としては低すぎる気もするが、そんな細かいことに彼が気がつくはずもない。もちろん脱脂綿に染み込ませてどうこうなんて、そんな機転が効くはずもない。
イオナの右肩。傷口に向けてゾロは酒ビンを傾ける。透明の蒸留酒が閉め忘れた蛇口のごとく、ちょろちょろと傷口へと滴り落ちた。
傷口の表面の血液を道連れに、ソファへと流れてゆく酒。どうやら後々の掃除のことなど考えてはいないらしい。
消毒はこれでいいだろ。次は、薬か。
いやでも、薬はわかんねぇから…
「止血な。」
びしょ濡れの肩も傷口もそのままに、包帯の代わりとなるものを思い浮かべ─一瞬でその存在を思い出し、いつも自身の腕に巻いている黒い手ぬぐいを手にとった。
それは大切なもの。
でも今はそれどころではない。
イオナを起こさないよう、慎重に傷口へとそれを巻き付ける。蝋燭の灯りだけでは頼りなく、どうしても顔を近づけなくては結び目が見えない。
ゾロはグッと顔を寄せた。
刹那─。
「え?」
ポツリとイオナの声が聞こえた。
ゾロは傷口に向けていた視線を、恐る恐る彼女の顔の方へと動かして─ガッチリと目を合わせてしまう。
一瞬の間のフリーズ。
二人が起動したのは同時だった。
「うわっ!」「ヒャアッ!」
視線を噛み合わせたまま、同時に声をあげる。ゾロはサッと身を引いたし、イオナは這い上がるようにして上半身を起こした。
二人を包み込む静寂。
蝋燭の温かな灯りが揺れる。
「あ、あの…」
先に口を開いたのはイオナだった。自身の胸を隠すかのようなポーズで、照れ臭そうに言葉を紡ごうとするが、それを慌ててゾロは遮る。
「いや、違うんだ。イオナ!」
「な、なに?」
「怪我、応急処置、しただけだ!」
あまりに動揺しすぎて、片言になってしまっているが、なんとか彼女には伝わったようだ。
イオナは自身の右肩へと視線を落とし、黒い手ぬぐいが巻かれていることに気がつき─ブホッと顔を赤くする。
そして、心中はまた賑やかな興奮気味の言葉で埋め尽くされ始め…。
こ、こ、これって、ぞ、ぞ、ゾロのいつも使ってる手ぬぐい!?いいのかな、これ、いいのかな?
私なんかのために使っちゃっていいのかな。うれしい、うれしすぎる。
冷静さを失う結果となる。
が、それは外目にはわからない。まじまじと処置した部分を眺める彼女を見て、ゾロは"落ち着いている"と勘違いしホッとしていた。
「あとでチョッパーに見てもらえよ。」
穏やかな口調で投げ掛けられた言葉。
イオナはおもわず顔をあげ、「はいっ」と返事しそうになり、グッとこらえる。
チョッパーに診てもらう…。
ゾロに手当てしてもらったのに?
嫌だ、そんなの嫌だ!
どうして一度こうして喜ばせておいて、そんな酷いこと言うの!?
それは衝動的だった。
ゾロは彼女の表情の変化にいち早く気がつく。それはもう慣れとでも言った方がいいのかもしれない。
「なんでそうなる!?」
きっと彼は避けられるのだ。なのに、驚いた声をあげるだけで逃げようともしない。その表情は狼狽しきったものから、諦めのものへと変化し─
「ぞ、ゾロのバカッ!」
悲鳴にもとれるイオナの声と、ペチンと頬を打つ音が重なった。
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