ゾロ | ナノ


サニー号船内。

たまたまダイニングへと顔を出したゾロの耳に流れ込むのは、今の彼にとっては聞き流すべき会話だった。

「ねぇ、サンジくん。イオナみなかった?」

「見てないよ。どうかした?」

「まだ帰ってきてないみたいなの。」

「こんな遅くまで…?心配だね。」

それでも"まるでタイミングを図ったかのように切り出された会話"に、ゾロの意識は奪われる。

全くもって興味のないふりを決め込んだ彼だが─窓に映る片眉を潜めたその表情は、どうみたって聞き耳を立てているとしか言いようがない。

ナミはニヤリと意地の悪い笑みを浮かべる。

実際に彼女はタイミングを図っていたし、もともとイオナを置き去りにしてきたのも彼女。

治安の良い街であることを日中に自分の目で確認した上で、「待ち合わせ」などと声をかけ放っておいたのだ。

ナミの読み通り、どれだけ時間が経とうとも、イオナが勝手に戻ってくることはなかった。

きっと今も、心細く思いながらも一人で待っているのだろう。

そこをゾロに迎えに行かせればいい。
そうすればさすがの二人でも、うまくくっつくはず。

それがナミの考え。

事情こそ知らないが、ゾロとひと悶着あったらしく落ち込みっぱなしのイオナを励まそうと、彼女なりに思案したことだった。

それがこの街の夜の顔『スラム以下の治安』を知らないで、危機管理能力の乏しい彼女を置き去りにしてしまった理由。

参謀であるナミも、協力者であるサンジも当然ながらあの街が現在『無秩序の街』と化しているだなんて考えもせず、楽観的な調子で言葉を紡ぐ。

「街の男にちょっかい出されてなければいいけど。」

「イオナちゃんはかわいいからね。それにあんな性格だから。」

「ほいほいついてってたりして。」

軽快過ぎるテンポで紡がれる二人の会話に、ゾロは違和感を覚える余裕はなかった。

なにしてやがんだよ、アイツは…

頭では理解していた。この会話に乗せられて、感情任せに彼女を探しに行ってはいけないと。行けば同じことを繰り返すだけなのだと。

そこまで理解した上で、"胸を騒がしている何か"に警戒心を強めていた。

「ボロ宿に連れ込まれてたりして。」

「ナミさん、その手の想像は品がないよ。」

ナミの挑発的で質の悪い冗談に、あくまで落ち着いた様子でサンジが答える。

その声はもちろんゾロにも届いていた。

が、彼の意思は別にある。

それは、虫の知らせとでも言うのだろうか。

はたまた彼女を迎えに行きたいという気持ちが募るが故に、第六感が誤差動を起こしているのだろうか。

この大袈裟すぎる胸騒ぎの理由がゾロにはわからない。

ナミとサンジの会話、とくにサンジの台詞の"不自然さ"に気がついていれば、彼は彼女を迎えには行かなかっただろう。

その胸騒ぎのおかげで、幸か不幸か違和感に気がつかなった。

反射的に動き始めた身体を、わざわざ止める理由がゾロにはない。だからこそ、意識的に目的地を目指すことにする。

ただ思ったのだ。
後悔は後からすればいい、と。

衝動に背中を押され、勢いよく部屋を後にする。

後ろ手に閉めたドアがバタンと音を立て、残された二人が─今現在イオナがどのような目にあっているかなんて、知るはずもなく─顔を見合わせて噴き出した。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

その頃。

夜道でふらつく浮浪者に衝突しないよう注意しながら、イオナはその街を駆け抜けていた。

まるで"いつか"を思い出させるような走りっぷりではあるが─追走してくる者が"いつか"の時とは異なり、ずっと不気味でずっとおぞましい存在だ。

「ひぃーッ、なんで追ってくるのお!」

足を踏み出しながら、彼女は恐る恐る後方へと顔を向ける。

そこには、稲を刈る際に使用する鎌を無造作に振り上げる男の姿。頬は痩け、口は半開き、眼の焦点はあっておらず見たことにないほどに血走っている。彼は歪な動きでありながら、それなりの速度(イオナが恐怖を感じる程度の速度)で走り続けている。

「ゾンビ!?これゾンビじゃん!?」

彼女は小さく身震いすると、すぐに前方へと視線を戻す。それと同時に、全く持って危機感の感じられない言葉を絶叫し─もっと早くと足を踏み出した。

きっかけはほんの数分前。

待ち合わせ場所にしゃがみこみ、不気味な街をぼんやりと眺めていたイオナ。

ナミってば忘れちゃったのかな…。

状況的にしゃがみこんでいる場合ではないのは一目瞭然であるというのに、彼女は全く持ってマイペース。

船の中でゾロを避けることに神経をすり減らしているだけあって、開放的な気分を味わいたかったのかもしれない。

そんな彼女の前に突然現れた浮浪者。
その男は何故か鎌を持っていた。

ポツポツと歩みよってくる鎌男。
イオナは首を傾げる。

男は眼が合った(ような気がした)途端、ねっとりと口角を持ち上げ──なんの躊躇いもなく、鎌を振り下ろした。

グシャリ

その刃はイオナが背中を預けていた木材で作られた塀へと突き刺さる。

「ヒィッ!」

わずかに身をそらしたことで刃の直撃は免れた。けれど、錆びた刃先は顔のすぐ隣で停止しており、鉄臭さが鼻孔を刺激する。

まさか、殺される!?

命の危険を感じるのがほんの少し早ければ、彼女は悲鳴をあげていただろう。

イオナが叫びを上げようと大きく息を吸い込んだタイミングで、男は─まるで何者かに操られているかのような、不自然な動きで─再び鎌を振り上げた。

あわわわわわわわわ。

叫んでいる暇はない。吸い込んだ息を呑み込み、彼女は這うようにしてその場を離れる。

グジャリ。

背後から聞こえる不気味な音。メシメシと鈍い音を立っている様子からして、塀の素材にヒビが入ったようだ。

家主に謝りなさいよ!?

昼に見かけたこの店の店主の顔を思いだしながら、イオナは走り出す。

ゾロとの追走劇により、わずかながら身のこなしは慣れている。唯一出来ることである"激走"を駆使して、彼女は今、危険から逃げ切ろうとしていた。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

船が停泊していたことにすら気がついていなかったゾロは、この時初めてこの土地に足をつけた。

道もわからない上、土地勘も全くないが、それはいつものこと。

とくに気にすることもなく、ただそれらしい大きな道を駆け抜け─それでもずいぶんと遠回りしていたが─街へとたどり着いた。

そして、なんとも言えない気味の悪さにぽつりと呟きを漏らす。

「なんだこの街…」

そこにはよたりよたりと歩く街人。

中には雄叫びをあげている者や、泣き叫びながらうなだれる者。はたまた、お経のような独り言を続けている者もいる。

彼らの動きはすべてが不自然であり、それ以上に異常である。

その様子に、ゾロはひとつの答えを導きだした。

薬物中毒か?

実際に携わったことはないものの、知識としては知っていたし、そういう人間を何度か見たことがあった。

そう悟った途端─彼の表情は一変する。

アイツ、やべぇんじゃねぇのか。

ゾロから見て、根本的に価値観のズレまくっているイオナのことである。おかしなことに巻き込まれているに決まっている。

彼女だってゾロと関わっている時以外は"わりと普通の生活を送っているのだけど"それを彼が知って居なくても仕方がない。

嫌な予感をヒシヒシと肌で感じながら、ゾロは聴覚と第六感を研ぎ澄まし夜の街を駆け巡った。


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