ゾロ | ナノ


展望室、冷たい床の上。

「あ゙ぁ〜。どうすんだよ、俺。」

ゾロはゴロリ、ゴロリと身を転がす。その姿はまるで大剣豪とはほど遠い、残念な有り様である。

が、本人は特に気にする様子もなく、繰り返し、繰り返し、ゴロン、ゴロリと身を転がして、ゴロリ、ゴロリンとその床の温度を感じ続ける。

ひんやり。冷たい。鉄の感触。

投げた短刀が、イオナに刺さらなくて、イオナの頬をかすめなくてよかった。

ゴロリ、ゴロリン、とすん。

壁にぶつかり、また反対方向へと転がり始める。

ゴロリ、ゴロリ、ゴロン、ゴロン…

いや、そんなことはあり得ない。

自分は"無意識であったとしても"彼女を傷つけることはないだろう。その証拠に、ここ最近なんていろいろなものを犠牲になることもいとまず、無意識に守っていたのだから。

しかし、それは外傷的なことだけ。

それを理解しているからこそゾロは考える。

じゃあ、精神的な部分については?

ゴロン、ゴロリン、ゴロン、ゴロリ…

ここで彼は静止した。

すでにドア付近で感じる気配。

いつもならすぐにでも気がつくような警戒心のない足音にすら、気がつけていなかったらしい。

やべぇ、見られた…。

こめかみに、背筋に冷たい汗が伝う。

しかし、先ほどとは違い、逃げ出せるような状況でもなく─。

恥ずかしい独り言を口走っていなかっただけマシだと自分に言い聞かせ、ゆっくりとその身を起こした。

まだ入り口には背を向けたまま。

しかし、その気配は勝手に話始めた。

「あんたさぁ。短刀はないわ。さすがにない。残念ながらイオナもドン引きよ。」

ド、ドン引き!?

その単語は鋭く胸に突き刺さる。

抉られるような衝撃で、ゾロの身体はビクリと反応しかけたが─頭の片隅に存在する冷静な彼自身がそれを制御する。

そして、─すでに全てを見透かされていることも知らないで─動揺を見抜かれぬようにと、落ち着いた身のこなしで訪問者であるナミの方へ身体ごと向き直った。

先ほど女子部屋でイオナをからかい、気持ちも高揚、お腹一杯なナミからすれば、ゾロいじりはデザートとでも表現しようか。

彼女の表情には余裕しかない。
その輝きは挑発と自信をこねくりまわして作製した、飴細工のようだ。

「あのどんくさいイオナに短刀投げつけるとか。殺す気だったわけ?」

「んなわけねぇだろ。」

「じゃあなに?イオナじゃなくて、サンジくん狙ったっていうの?あの娘の頬をかすめといて?ふーん。そう。まあいいや。じゃあ、なんでサンジくんに投げつけたの?」

ぐいぐいと早口で迫るナミ。

返事をしなくとも話を進め、結論を急ぐ物言いの裏。彼女の言葉の本当の意味をゾロは考える。

何を知ってんだ?
何を言わせたいんだ?
だいたいコイツは何をしに…

しかし、その猶予もそうはないらしい。

彼女は言葉だけで追い詰めるのではなく、距離までも近づいてきた。

捲し立てるように喋りつつ、一歩一歩とゾロへと迫る。彼の正面でピタリ足を止め、ゆったりとした動きで身を屈める。座り込む彼と目線を揃えたのだ。

鼻先同士の距離は拳1個分。

指折りの美女がそこまで顔を寄せていても、彼の胸はドキリともしない。それはナミに対する慣れなのか、それともナミを"そういう対象"として見ていないからなのか。

それどころか─

やっぱりなにか企んでやがる。

その魅惑的な態度と口調から彼はそう汲み取り、眼前の嘲笑に惑わされぬよう気を引き締めた。

訝しげな表情で自分を見つめる男。

未来の大剣豪。戦闘員。一味のNo.2…

それがたった一人の女クルーに翻弄され、一喜一憂している現実。

端から見ていておもしろくない訳がない。

当人同士は気がついていないようだが、ほとんどのクルーに"デキてんな、ありゃ"と呆れられている。

それでも誰も咎めるものはおらず、それどころか応援してあげているというのに、モジモジ、ソワソワ焦れったい。

カタツムリよりも歩みの遅い。
海水よりもしょっぱい。
安っぽい映画のラブシーンより照れる。

そんな二人の関係を、もっと"掻き回すために"ナミは1つの提案をする。

「プレゼント作戦とかどうよ?」

「はぁ?」

「この際イオナに、"ごめんね、そして大好きだよ♪プレゼント"を送ればいいんじゃないの?」

「だ、だ、だぁあッ!?」

んなもん、な、な、なんで俺が!?

彼女の口にした言葉の数々に、ゾロは細胞の一つ一つまで照れた。引き締めていたはずの顔の筋肉は緩み、全身が熱くなる。

「あんだけの人前で押し倒す勇気があって、なんで大好きくらいで照れるのよ。」

「て、照れてねぇ!だいたい、あ、あれだってアイツが転びそうになったからで─」

屈めていた腰を持ち上げ、仁王立ちの状態でゾロを見下ろすナミ。

それに対し動揺と照れで汗をダクダクと垂れ流す彼は、膝を立てて座り直し食って掛かる。というより、感情に任せて言い訳と心中をぶちまけていた。

「─だいたいあのキスだって事故だろ!アイツはいっつもなんだってんだ!ビンタばっかりしやがって。こっちの気も少しは理解しろよ!」

長い長いゾロの台詞が終わる。
強い口調だったせいか、息は切れている。

そんな状態でありながら─カッとなってしまったことへの気まずさからか─ゾロはナミから目をそらした。

極度の興奮状態で話していたため、言わなくていいことまで口走っていたことに彼自身が気がついていないようだ。

そこであえてナミは指摘する。

「キスしたんだぁ、そうなんだぁ。ふーん。キスしちゃったんだぁ…。」

まるで呪詛でも唱えるかのように、彼女は撫でるような口調で繰り返す。

「イオナとキス。ふーん。案外やるわね。キス。へぇ。キス、そう。キスしちゃったんだ。」

あわあわあわあわあわわ…

ナミによって唱えられ続ける言葉。

言ってはならないことを口にしたことに踏まえ、弱味を握られた上、その程度で狼狽している姿まで見せてしまっている。

なんで、なんで俺…
やべぇ、これ、まじで、えっと…

なにやってんだ、おい。
俺、ビンタよりやべぇことを…
やっちまってんじゃねぇの。

おいおいおいおいおいおい!

心中で絶叫しながらも、外面は最小限のあわわわわで程度でなんとか押さえられた。それでも、顔は湯気が出そうなほど真っ赤だ。

それに対するナミは落ち着いている。

だからか、余計にゾロは追い込まれてゆく。

自分だけが焦り、動揺し、バタバタとする姿は客観的に見なくてもカッコ悪いと彼は十分わかっていたためだ。

「いいのよ。いいの。キスぐらい事故で起こり得るものよ。そうそう。唇が重なる前に鼻が先にぶつかるようになっているのに、それでも唇を重ねたんだから、きっとすさまじい事故が─」

「待て!わかった!もうやめろ!」

真っ赤な顔で声を張り上げたところで、威圧感もなにもない。それがわかっていた上で、ゾロは声を張り上げていた。

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