ゾロ | ナノ


(やべえ、つい投げちまった。)

ゾロが自身の失態に気がついた時には、すでに短刀は壁に刺さっており、二人は壁を見つめ硬直していた。

まず考えたのはどう言い訳するか。

蚊がいた?
─んなもん短刀投げてまで殺すかよ。
じゃあゴキブリか?
─いやダメだ。実際に短刀の先で捕らえてんならともかく、この言い訳は俺のプライドが許さねぇ。

この際どうでもいいように思えるが、虫ケラ一匹捕らえられない間抜けだと思われるのは、真っ平ごめんだった。

1、2秒のうちにここまで思案し、ゾロは適切な答えを導きだす。

ひとまず撤退するしかない。と。

思い付いたが吉日。音も立てずにすぐさま立ち上がった彼は、二人に背を向ける。

背後に視線を感じたが、全てを気にしないように意識しながら彼は後ろ手にドアを閉ざした。

廊下を進む足取りは心なしか速くなる。

イオナのことだ。追いかけては来ないだろう。

それがわかっていながらも早足になるのは、心のどこかで"追ってきてほしい"と思っているからかもしれない。

追いかけてこられたところで、出来る言い訳など限られているというのにそう望んでしまうのは─

ドンッ。

彼は強く握った拳で壁を打つ。

「クソコックの野郎…」

サンジと親しくしていることが気に食わない。
自分が追いかけている相手に、簡単に触れられる男が居ることに耐えられない。

無意識に苛立って、冷静さを保てないほどに腹を立てる。

「アイツの隣に居ることねぇだろ…」

せっかくなら自分の隣に来てほしい。

そんな思いの中で、ただ彼は奥歯をグッと噛みしめた。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


短刀の先に新聞紙を巻き付け、頑丈にガムテープを巻いた。女子部屋に戻ったイオナはそれを掌に乗せて、ただ眺める。

どうして投げたんだろう…。

その時の状況を思い出しながら、考えを巡らせてみる。

サンジくんと話していた。

ゾロはそれを見聞きしていた?

それほどまでに私にかまってほしかったのだろうか。

いや、ダメだ。そんな可愛い理由だったら、自分は悶え死んでしまう。

あの態度と外見で嫉妬なんて…

「って、おいこら私ってばなんて都合のいい解釈を…。ダメ。絶対…聞けない。」

突然、イオナは悶え始める。

どこか間違った方向に進む予想は、ギリギリのところで普段は働きにくい自制心と持ち前のネガティブ思考によって中断されたらしい。

彼女はしばらく落ち込んだ後、もう一度その短刀に視線を向け呟く。

「返しにいけるの…かな。」

あの後、サンジは短刀を壁から引き抜き、「これクソまりもに返してやってくれよ。」と困ったように笑った。

ゾロのことともなると、なにも言葉を返せる訳もなく、無言でそれを受け入れてしまった。

二人きりになると恥ずかしくて手が出てしまうのに、二日前の出来事のせいで余計に照れ臭いというのに…。

イオナは再び指先を唇に当て、頬をポッと赤らめる。

「ちょ、直接渡しに行って、さ、刺しちゃったりしちゃまずいな─。」

二人きりになると必ず何かが起きることを踏まえて、彼女はいつになく真面目に、慎重に考える。

これだけ厳重に刃先に新聞紙をくるんでいようとも、興奮して動揺した自分は、─この包みを破り捨ててでも─刺しかねない。

「そ、そうだ。て、手紙にすれば…。」

直接顔を合わす必要もない。ついでにこの前のお礼と、あの晩のご、強引なき、キスの意味を─

「いやいや聞いちゃダメだって。そんなの聞いたら、わ、私は…」

両手で髪をワシャワシャしながら絶叫するイオナに投げ掛けられるのは、からかいまじりの女の声。

「何を聞いちゃダメなのか、あたしにも教えてくれないかしら?」

「ひゃっ!な、ナミ!?いたの?」

よほど驚いたのか、何故かイオナは胸元を両手で隠す。それをジト目で眺めつつ、彼女は言う。

「今戻ってきたとこ〜。で、何を聞いたらそんな真っ赤になるわけ?」

「えっ!?そんな、そんな!真っ赤だなんて滅相もないで、すぅ!?」

自分の言葉遣いのでたらめさに本人が気がついたのは話している途中。慌てて軌道修正に入ろうにもそうはいかず、何故か謙遜する形となってしまう。

そんな妙にパニック気味のクルーをよそに、ナミは意地悪な笑みを浮かべたまま単刀直入に本題を切り出す。

「で、アンタはアイツが短刀投げつけた理由。いったいなんだと思う?」

「どうしてそれ、を…?」

「サンジくんが言ってた。で、どう思うの?」

「どうって…。」

それが判れば苦労はしない。まぁ、今でもしているのは動揺だけで、苦労ではないのだけど。

ゾロ、ヤキモチ妬いたのかな?
だったら、やっぱり嬉しい…

ってバカ。それは考えない約束!

自分の願望だらけの妄想を吹き飛ばすべく、イオナはブンブンと頭をふり、一番無難だと思われる答えを口にした。

「ゴ、ゴキブリでも歩いてたんじゃないかな。うん。」

「へぇ。ゴキブリ、ねぇ。」

なにかまずいことを言ったのだろうか。

ナミの笑みは究極の悪を産み出す魔界の王のようなドス黒さをまとっている。

ゾクゾクゾク…

背筋が凍る。ひんやりと冷や汗が流れる。

後ろめたい想いがあるからこそそう感じるのだけれど、イオナはそれに気がついていない。

無意識にゾロの短刀にすがるかのように握りしめた彼女は、魔界の王の次なる言葉に耳を傾けた。

「じゃあ、短剣の先にソレは刺さってたわけ?」

「へ!?」

「ゴキブリは刺し殺せてたのかって聞いてるんですけど!」

「えっ、えぇ?」

何を言っているのかわからなかったようで、彼女は間抜けな声を漏らす。その様子にナミは勝ち誇ったように、最大級の皮肉をぶちかました。

「へぇ。じゃあイオナはさ、ゾロが虫ケラ一匹捕らえれないような、洞察力も瞬発力もない、残念で間抜けでヘタレで情けない奴だって言いたいわけ?」

ふぇええええーっ。

情けのない心の声が暴走するほど、彼女は慌てた。

そんなつもりじゃなかった。
ゴキブリなんて適当に言っただけだった。

むしろ、イオナの中でのゾロの評価は、消化出来ないほどに高く、携わる度にパニック起こしてしまうほど崇高なのだから。

このまま誤解されたままでは困る。

咄嗟に彼女は判断し─

「そ、そ、そ、そんなことない!ゾロはそんなんじゃない。強いし、頼りになるし、すごい瞬発力と動体視力で、見とれる程度にはかっこい─ぇえ?あっ!!」

─熱くなりすぎてしまったようだ。言わなくていいことまで口走り、それに気がついた時にはもう遅い。

ナミはニタッと意地の悪い不適な笑みを浮かべており、真っ赤な顔のイオナは手で押さえて隠した口をパクパクさせるしかなかった。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


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