砂浜を駆け抜けるイオナの後ろ姿は、揺らめく蜃気楼と重なり、幻想的な雰囲気でゾロの視覚を刺激していた。
何度も追走劇を繰り広げているけれど、今回はなんとなく捕まえたくないというか、もう少し見ていたいというか。
沸き上がる身勝手な感情に蓋をする。
そんな器用なことかできれば、衝動的に彼女を追いかけるようなことはしなかっただろう。
つまり現在、自分は…
「なんで俺は一定の距離を保って走ってんだ、ばか野郎っ。」
自身の行動を返りみてカッと頬が熱くなる。
無意識のうちに全力の10分の1以下に力を抑えて走っていただなんて、そんな間抜けな話しはない。
この熱気にやられんだと言い訳しながら、足を動かすスピードをあげた、その時。
イオナの前方に異変が─。
よく目を凝らし、それがなんなのか確認した瞬間。
「あのバカッ!」
ゾロはそう呟くやいなや、今までとは異なる勢いと素早さで、跳躍していた。
****
「ちょっ、えぇ…」
砂浜とタイル造りの道の間。
そこに大きな溝があることにイオナが気がついたのは、あと数歩で踏み込んでしまおうかというところだった。
こんな時に限って、身体が止まらない。
脳は確実に止まれと指示を出しているにも関わらず、二本の脚はそれを拒むかのように前進したがっている。
怖い、怖い、怖い…
目を瞑るしかなかった。
身体をこわばらせるしかなかった。
足は宙を蹴り空回り。
あぁ、落ちる。
大怪我する覚悟を決めた瞬間。
後ろからドンッと強い衝撃を受け、強い力に包み込まれた。
この"力加減"知ってる…。
そう彼女が思った時には、背中にほんのわずかな衝撃を受け、太陽光で熱されたレンガの熱さを感じていた。
でも、それよりもっと熱いのは。
「おい、大丈夫か?」
目蓋を持ち上げた先にいる、大好きな人の心配げな眼差し。
血が沸騰している。
心臓が爆発しそう。
呼吸が…、息が…、空気が…。
頭を打たなかったのは、腕を回していてくれたかららしい。いまでもまだ頭の下に、腕枕にもならないような堅い筋肉に覆われた腕がある。
だから、そのせいで、顔が…近かった。
あまりの出来事に頭の中が真っ白になる。
胸が焦げて、羞恥心で禿げそうだ。
視線を泳がせても、必ず視界に入る距離にいるその人が好きすぎて、眩しくて。
泣いてしまいそうで…。
おかしくなりそうで…。
一秒が長くて怖くて、それなのに…
この熱気すらも心地いい。
このまま死んでしまえないだろうかと、イオナが瞼を閉ざしたその時。
「こんなとこで、あんたら何やってんの?」
突如響いたその声は、混濁から救いあげてくれるには、身体中の熱を取っ払ってくれるには充分なほど冷ややかだった。
「ナ、ナミ…」
続くゾロの気まずそうに呟いた声が、嫌な汗を導いて、身体の内側を絶対零度の勢いで冷却してくれた。
イオナはただ思う。
「死んだ。」と。
そして同時に、ゾロは焦っていた。
「こ、これは、その…」
この体勢のままではいろいろとマズい。
しかし、イオナが脱力しきっているため、頭の下にいれた腕をうまく引き抜くことができず、馬乗りになったまま動くことができなかった。
せめて頭を浮かしてくれればいいのだが、彼女は真っ青のまま放心している。
このままでは、自分がクルーを捕って食おうとしていたと思われかねない。
いや、十中八九、エロいことを昼間っから炎天下のもとで行おうとしていたと思われているに違いない。
その証拠に、ナミの後ろに控えるあのエロコックが買ってきたばかりの袋を落とした上、口をパクパクさせてショックを受けていた。
「おい、イオナ。」
ちょっと頭を浮かせてくれ。
そう言おうと、腕の中の彼女へと目を向けた時、ゾロは"その瞬間"を悟ってしまった。
今にも泣き出してしまいそうな表情で、下唇をグッと噛んで、みるみると顔を赤く染め上げ─
やっちまった…。
どうなるかは予測ができた。
理由なんて聞いてもらえやしないだろう。
そう考えてゾロは潔く目蓋を閉じる。
あぁ、なんたって俺はいつもこうなんだ。
あぁなんでコイツはいつもこうなんだ。
もう話し合うどころか、顔も会わせてもらえなくなるんじゃねぇのか、これ。
内心ボヤきながらも、受け入れる覚悟を決めた彼の左頬に走るのは、裂くような衝撃。
パッチーンッ
恒例となった平手打ちの音は渇いた空によく響いた。
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